春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

恒例のぶどう狩り

2016-09-09 14:54:00 | 晴耕雨読

3月頃から、剪定、殺菌、殺虫とスケジュールに載って、ブドウ造りに
ある種の期待感を持って、取っ掛かる。
芽が出て、花が咲き、粒に成育する、毎日変わっていく様子のこの時期
が楽しみ。
変わる様子もないのに、棚の下に日参し、手を合わせない迄も、ぶどう
権現さまに目配せしながら、無事の成育を祈るのは習慣化してしまった。
成育していく過程で、雨傘を付け、その後、フクロを被せる、周辺の
プロの農園の様子を伺いながら、我が家もフクロだけは被せる。
ひたすら天を仰ぎ、邪魔する枝を除けながら、フクロを被せ、針金で縛
る作業は根気のいる作業で、同じ姿勢で、腰が痛くなる。
フクロを掛けてしまうと、中の様子は一部しか見ることができず、粒の
成長である
青色から赤色に変わってゆく様子は中々見ることが出来ない。
それまで、ある種、成長を見届ける楽しみで、日参した、ブドウ権現の
拝観はご無沙汰になってしまう。
8月末から9月にかけて、ブドウ棚、周辺は『そろそろ、食べごろだよ~
と』、甘い匂いが立ち込め、熟成していることを知らせてくれる。
この知らせは、ぶどうの耕作者、のみならず、嗅覚の鋭い、鳥にも伝
える。
先般、此処のブログでも書いたように、鳥の格好な餌になってしまう。
正に手塩を賭け、育てた果実、しかも、美味しいところを狙いすまし
たように、食べられてしまい、悔しい思いをする。

さ~て、今年の袋の中身は如何なるものか、小さな作付けであるが、
ぶどう狩りを恒例行事として孫娘達が楽しみしている。

所が、上の孫娘は中学になり、学業や部活で忙しく、来られず、今年
来たのは下の孫娘だけになってしまった。
<自他ともに認める、ブドウ娘の活躍>

下の孫娘も、心身と共に、成長著しく、揺れる階段梯子もなんのその
、今まで届かなかった棚のブドウが、介添いなしでしっかりと手中に
治められるようになってしまった。
ハサミで枝を切り、ずしりとくる、房に手応えを感じながら、
「これは大きいよ」とパパに手渡し、一端のぶどう娘に生りきっていた。
半年がかりで育て、一つ、一つ手間ひまかけて付けたフクロに、1日
以上の時間をかけたが、ハサミを入れての収穫は30分もかからず、あっと
言う間に終わってしまう。
育ちの良い子、未だ青い、未成熟の悪い子とフクロの隙間から覗き、選別
し、エリートのみ落とす。
フクロを外し良い子、悪い子、一旦混載し、玉蜀金剛であるが、良い子
だけをピックアップする。
<選び抜かれたエリート集団>

<選別作業も時折、口の中に>

同じ樹に関わらず、既にカラカラに干上がった干しブドウもあれば、未成
熟品も結構多い。中には居心地良かったのか、こおろぎが紛れ込み、身の
危険を感じ、慌てて逃げるなど、小動物も居る。

取り立ての積まれたブドウに甘い匂いが部屋の中に立ち込め、一端の
農家風になる。
選別も一段落し、収穫作業の慰労を兼ねて、皆で試食する。
種があり、まどろっこしく今では市場にもその姿は無くなったが、その分、
甘さは抜群と身びいきに思ってしまう。

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