昭和記念公園は旧米軍基地のあったところを、返還され、全面的に公園に整備され、基地としての面影は完全に一掃されてしまった。
しかし、公園の西側に隣接する土地は立川基地跡地として手つかずのままである。
その一番西端にあたる部分は残掘川が流れ、その周辺は訪れる人も少なく、自然がたっぷり残されるところである。
残掘川側から基地跡に巨大な煙突が昭島口側に1本、更に玉川上水口に3本の煙突が樹木越しに頭の部分が顔を出している。
かっての基地は米軍が抜け出した後は人をも寄せつけぬ未踏の自然の宝庫の世界である。
その煙突直下に近づいて見る。
樹木に遮られた部分はクリーニング工場で、3本の煙突はボイラー用の物である。建物と周辺設備は自然に晒され荒れ放題の所もあれば、そっくりそのまま残って居る事が、某サイトで写真が掲載されてあった。
かってのアメリカンドリームとして、そこで生活していた空間が何とも気になる。まして、会社も関わりを持ったユーザーの一つであったことが微かな記憶の中にあった。そんな背景もあって、変な虫が騒ぎだし、その姿をこの目で確かめたくなってしまった。
しかし、現実は有刺鉄線のフエンスがしっかり張りめぐらされ、行く手を阻んでいる。
スティーブマックインの「大脱走」並のフエンス越えは出来ない事も無いが、この重い体では失敗して有刺鉄線の餌食になる可能性が大である。
要所には警察に通報の張り紙がベタベタ貼られてあり、過去の累犯を物語り、一辺にその夢は萎えてしまった。
「いい年こいて、あのじじいが、どう血迷ったか」と、昭島警察署で補導なんて、顛末はみっともないので、バンドラの箱は封印したままにして置く事にした。
「法を犯してまで、それをやっちゃあ~おしまいよ~」・・・と柴又の虎さんも、きっと言っているに違いない。
新宿の某にょきっと3本ビル同様気になりますね。
いざ、勝負と志を持って、フエンス沿いを歩いたが、警察通報の張り紙には流石、萎えて しまいました。
某サイトはそれを覚悟で忍者もどきを、果敢にやったのであろうか?
打ち果てた廃屋の世界が・・・気になる
先ほど帰宅時に中央線から見えまして。。。
調べたら長沼のようですが。。。
豆腐屋の火事も大型車が来てまして片付け始めた模様です。
火事がまだ続きますね(T.T)
余震が少し収まったようですが、
この辺では"余火"が続いてますね~
それも、段々、南に移っているようで、不気味ですね