時々、「雑記通信」という斎藤孝・伊藤幹彦両氏の随筆を中心とした小冊子を読ませていただいています。すでに152号を数えていて、話題も広く深い手ごたえのある随筆誌です。
その最新号に、「諧謔と哀愁と寂寥感と・・俳人・渥美清の歌ごころ」と題した斎藤孝さんの随筆に出会いました。寅さんと俳句こう聞いただけで一気に読ませてもらいました。
是非ブログの読者の皆さんにも知って欲しくてそのさわりを紹介します。
冒頭、「お遍路が一列に行く虹の中 風天」が載せられ、風天が渥美清の俳号であることが紹介されます。その後、渥美の余り知られていない私生活や生い立ちを手際よく語られ、それを挟みながら彼の俳句が紹介されています。
まず、苦労した気丈な母の思い出の句
おふくろ見にきているビリになりたくない白い靴
肌寒く母かえらぬろ路に立つ
切干とあぶらげ煮て母じょうぶ
少年の頃の思い出
天道虫指先くすぐりあっちへ飛んだ
ひとり遊びなれし子のシャボン玉
青写真子に忘れられ闇ほのか
渥美が俳人であることを世間が知ったのはこの世を去ってからであるという。
さて、渥美が文字通りフーテン家業をしていた頃の句
初めての煙草覚えし隅田川
晩春や下宿のギターつたなくて
さばつまんでせん風きの音やくざ者
寂寥感のある句
冬の蚊もふと愛おしく長く病み
げんのしょうこ土瓶にほこり子は外に
孤独の哀しみの句
だーれもいない虫籠のなかの胡瓜
テレビ消しひとりだった大晦日
ユーモアの句
山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きるたのしさ
蛙鳴きのみ障子にはね馬の寝息
艶っぽい句
待合の階段素足夏めいて
うつり香のままぬぎすてし浴衣かな
その他、ロケ先のスケッチ句、晩年演じたかった尾崎放哉や山頭火との類似性などに筆を進めていて、最後に
目貼りしてあとすることもなく風を聞く 風天
の一句で終わっています。
★斎藤さんの随筆で、色々知らなかった世界を垣間見せてもらっていましたが、今回も楽しく読ませていただきました。以上勝手に文章を拝借したうえ、拙い紹介ですみませんお許しください。