この句、句会で評価されず。
さて、このまま捨てては可哀想。再考することにしました。
「水澄むにまかせて」が、一番気に入ったフレーズなので
そのまま残して、その後を考えることにします。
まず、なぜ、不破の関の址か?
それは不破の関にまつわる、こんなお話しが背景に。
人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただの秋風
新古今和歌集の藤原良経の歌
この歌に誘われて、荒れはてた板びさしからもれる月を
見ようと思った二条良基さん。現地に行って驚きます。
不破関の人たちは、京からえらいお方おいでになるので
見苦しくてはいけないと、関屋をふきかえしてしました。
月の歌を詠もうと意気込んでいた二条さんはがっかり。
ふきかへて月こそもらね板庇とく住みあらせ不破関守
不破の人々の苦労は無駄だったんですね。
さらに時代が下がって芭蕉さんも、不破の関を訪れています。
秋風や藪も畠も不破の関 芭蕉
秋風とともに詠まれた不破の関。
水と一緒に詠んでみようという句でした。
水澄むにまかせて不破の関の址
声にしてみると、どうも調べがよくない。
調べは、すうっと、こころに入り込んでいきます。
何回も声にしてみなさいという教えは、
調べを整える工夫について言っているんでしょうね。
水澄むにまかせて不破は関の址
このほうが、調べは良くなったような気がします。
しかし「フワワ」という音が、水澄む、のイメージの足をひっぱっている感じ。
そこで思い切ってフワを捨て、キソへ。
水澄むにまかせて木曽は関の址
木曽にも関はありましたが、不破のような歴史はありません。
関は捨てたほうが良いようです。
水澄むにまかせて木曽は谷の中
これでは調べは良いのですが、ひっかかってくるものがありません。
調べがよくなると、耳には入りやすいのですが、余情がありません。
言い尽くしてはダメなんでしょうね。
読んだあとのなにかがありません。
ひっかかりを残すのは言葉だそうです。
ここでは「まかせて」が、その働きをするかどうか?
時間を置いてみます。
(写真はアサギマダラ・蓼科で撮影したもの)
さて、このまま捨てては可哀想。再考することにしました。
「水澄むにまかせて」が、一番気に入ったフレーズなので
そのまま残して、その後を考えることにします。
まず、なぜ、不破の関の址か?
それは不破の関にまつわる、こんなお話しが背景に。
人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただの秋風
新古今和歌集の藤原良経の歌
この歌に誘われて、荒れはてた板びさしからもれる月を
見ようと思った二条良基さん。現地に行って驚きます。
不破関の人たちは、京からえらいお方おいでになるので
見苦しくてはいけないと、関屋をふきかえしてしました。
月の歌を詠もうと意気込んでいた二条さんはがっかり。
ふきかへて月こそもらね板庇とく住みあらせ不破関守
不破の人々の苦労は無駄だったんですね。
さらに時代が下がって芭蕉さんも、不破の関を訪れています。
秋風や藪も畠も不破の関 芭蕉
秋風とともに詠まれた不破の関。
水と一緒に詠んでみようという句でした。
水澄むにまかせて不破の関の址
声にしてみると、どうも調べがよくない。
調べは、すうっと、こころに入り込んでいきます。
何回も声にしてみなさいという教えは、
調べを整える工夫について言っているんでしょうね。
水澄むにまかせて不破は関の址
このほうが、調べは良くなったような気がします。
しかし「フワワ」という音が、水澄む、のイメージの足をひっぱっている感じ。
そこで思い切ってフワを捨て、キソへ。
水澄むにまかせて木曽は関の址
木曽にも関はありましたが、不破のような歴史はありません。
関は捨てたほうが良いようです。
水澄むにまかせて木曽は谷の中
これでは調べは良いのですが、ひっかかってくるものがありません。
調べがよくなると、耳には入りやすいのですが、余情がありません。
言い尽くしてはダメなんでしょうね。
読んだあとのなにかがありません。
ひっかかりを残すのは言葉だそうです。
ここでは「まかせて」が、その働きをするかどうか?
時間を置いてみます。
(写真はアサギマダラ・蓼科で撮影したもの)