西村和子さんは、著書「子どもを詠う」のあとがきで、
一つの劇を紹介しています。
ソーントン・ワイルダーの「わが町」。
二十世紀初頭のアメリカの小さな町が舞台。
主人公はエミリーという女性。
田舎町のこの町は、さして変わったこともなく、
淡々と毎日が過ぎていきます。
主人公のエミリーは大人になって、幼馴染みと結婚。
そして10年後に亡くなります。
丘の上の墓地ではエミリーの葬式が営まれ、
彼女は、他界した町の人の仲間入り。
お話はここからです。
エミリーは一度だけ、一日だけ、生者の世界に戻ることが許されます。
選んだのは12歳の誕生日です。どんな一日だったのでしょう?
お母さんは朝ごはんの支度。
お父さんは出張先から帰って来る。
いつもの一日が始まりますが・・・
お父さんも、お母さんも忙しく立ち働くばかり。
エミリーの思いを置き去りに、時間はどんどん過ぎていきます。
生きている人々は日常の大切さに気づいていない。
エミリーは叫びます。
「ママもパパもさようなら。時計の音も・・・ママのひまわりも。
お料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。
あ風呂も。夜眠って朝起きることも。」
日常の一刻一刻がどれほど素晴らしいものだったか。
失ってみてはじめて知ることが出来るようです。
しかし、一日一日を意識して暮らすことはとても難しいことです。
すぐに日常の些細なことに気を奪われて行きます。
このことを、生きているうちに分かっている人は?
作者のソートン・ワイルダーは、「詩人とかはあるいは・・・」と
答えています。
西村さんは、日常のささやかな出来事を、575の17文字に
言いとめておくことが、そうした大切さを意識することになるのでは、と。
「子どもを詠う」のなかの一句。
父やさしく母きびしくて雛祭り 右城暮石
子育ての本質を言い得た句、と西村さん。
その通りですね。