575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

春雨や燃やすゴミあり捨てもせず    らくせき

2012年03月09日 | Weblog
     春雨ということになると蕪村のこの句。
     「春雨や小磯の小貝ぬるるほど」絶句。
     絶唱は極めてすぐれた詩や歌と広辞苑。
     絶句は極めてすぐれた句に言葉を失う。

               



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一刻一刻の大切さを詠む     遅足

2012年03月09日 | Weblog
西村和子さんは、著書「子どもを詠う」のあとがきで、
一つの劇を紹介しています。
ソーントン・ワイルダーの「わが町」。

二十世紀初頭のアメリカの小さな町が舞台。
主人公はエミリーという女性。
田舎町のこの町は、さして変わったこともなく、
淡々と毎日が過ぎていきます。
主人公のエミリーは大人になって、幼馴染みと結婚。
そして10年後に亡くなります。
丘の上の墓地ではエミリーの葬式が営まれ、
彼女は、他界した町の人の仲間入り。

お話はここからです。
エミリーは一度だけ、一日だけ、生者の世界に戻ることが許されます。
選んだのは12歳の誕生日です。どんな一日だったのでしょう?

お母さんは朝ごはんの支度。
お父さんは出張先から帰って来る。
いつもの一日が始まりますが・・・
お父さんも、お母さんも忙しく立ち働くばかり。
エミリーの思いを置き去りに、時間はどんどん過ぎていきます。
生きている人々は日常の大切さに気づいていない。

エミリーは叫びます。
「ママもパパもさようなら。時計の音も・・・ママのひまわりも。
お料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。
あ風呂も。夜眠って朝起きることも。」

日常の一刻一刻がどれほど素晴らしいものだったか。
失ってみてはじめて知ることが出来るようです。

しかし、一日一日を意識して暮らすことはとても難しいことです。
すぐに日常の些細なことに気を奪われて行きます。

このことを、生きているうちに分かっている人は?
作者のソートン・ワイルダーは、「詩人とかはあるいは・・・」と
答えています。

西村さんは、日常のささやかな出来事を、575の17文字に
言いとめておくことが、そうした大切さを意識することになるのでは、と。


「子どもを詠う」のなかの一句。

 父やさしく母きびしくて雛祭り  右城暮石

子育ての本質を言い得た句、と西村さん。
その通りですね。





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