円を半分描いて、急に怖ろしさを感じたという。
なぜ円を描くことは憚られるのでしょうか?
完全な円は神様の領域なんでしょうか?神を前にした恐怖?
この句、よく分からないのですが、ずっと気になっていました。
倉阪鬼一郎さんの本「怖い俳句」には次のような解説がありました。
私たちが見ている、このまことしやかな世界の裏面には
言語化することの出来ない白い不定形なものが
ウレタンのごとく埋められている。(ヴィックス粒子?)
その世に知られない構造を直感的に把握し、
平明な言葉に定着させたのが青蛙の句。
なぜ半円をかいた作者はおそろしくなってのでしょう。
見えているのは「かかれた半円」だけです。
その半円をかいた時、作者はかかれざる、本質的に
かくことが出来ない半円の存在に気づいて戦慄するのです。
この空白。人知の及ばない、言語化できないおそろしい空虚です。
この世の知られない構造は神の世界なのか?
言語化できないものを言語によって、どこまで表現出来るのでしょう?
周囲をぐるぐる廻っているだけのような気もします・・・
他にこんな句も。
額縁屋額縁だけを売りにけり
売られているのは実体のある額縁ですが、眼目は額縁のなかの空虚です。
この空虚な部分は何でも入ります。
ということは何も入らない空虚でもあると・・・
この句の方が理解できそうです。
俳句が認識の一形式であるなら、花鳥諷詠に入りきらないものも
数多くあることは分かりますが・・・
やはり不可解な句です。
遅足
なぜ円を描くことは憚られるのでしょうか?
完全な円は神様の領域なんでしょうか?神を前にした恐怖?
この句、よく分からないのですが、ずっと気になっていました。
倉阪鬼一郎さんの本「怖い俳句」には次のような解説がありました。
私たちが見ている、このまことしやかな世界の裏面には
言語化することの出来ない白い不定形なものが
ウレタンのごとく埋められている。(ヴィックス粒子?)
その世に知られない構造を直感的に把握し、
平明な言葉に定着させたのが青蛙の句。
なぜ半円をかいた作者はおそろしくなってのでしょう。
見えているのは「かかれた半円」だけです。
その半円をかいた時、作者はかかれざる、本質的に
かくことが出来ない半円の存在に気づいて戦慄するのです。
この空白。人知の及ばない、言語化できないおそろしい空虚です。
この世の知られない構造は神の世界なのか?
言語化できないものを言語によって、どこまで表現出来るのでしょう?
周囲をぐるぐる廻っているだけのような気もします・・・
他にこんな句も。
額縁屋額縁だけを売りにけり
売られているのは実体のある額縁ですが、眼目は額縁のなかの空虚です。
この空虚な部分は何でも入ります。
ということは何も入らない空虚でもあると・・・
この句の方が理解できそうです。
俳句が認識の一形式であるなら、花鳥諷詠に入りきらないものも
数多くあることは分かりますが・・・
やはり不可解な句です。
遅足