今井聖さんの「部活で俳句」のなかの一句です。
御茶ノ水の檸檬画廊で4時。誰かと待ち合わせのメモです。
そのメモを、ふと読み返している作者。
どんな人との待ち合わせだったのか?
画廊に行ったのか、行けなかったのか?
その後、どんな展開があったのか?
様々なことを想像させてくれる句です。
今井さんは、この句について、こう言っています。
本来の写生、つまり子規が言った方法とはこういう句のことです。
写生はいわゆる俳句らしい情緒を持った風景を演出したり
見出したりして写すことではありません。
見えたものを見えたまま提示することです。
そこに作者の驚きや感動がいかなる情緒であれ、見えればいい。
この句、このメモの内容に作者の思いがこめられています。
演出ではこんなリアルは出ません。
説明を省いて対象を描写することにより、作者の思いが想像できる。
季語はありませんが、御茶ノ水、檸檬画廊、午後4時、
というコトバが生き生きとしています。
遅足
御茶ノ水の檸檬画廊で4時。誰かと待ち合わせのメモです。
そのメモを、ふと読み返している作者。
どんな人との待ち合わせだったのか?
画廊に行ったのか、行けなかったのか?
その後、どんな展開があったのか?
様々なことを想像させてくれる句です。
今井さんは、この句について、こう言っています。
本来の写生、つまり子規が言った方法とはこういう句のことです。
写生はいわゆる俳句らしい情緒を持った風景を演出したり
見出したりして写すことではありません。
見えたものを見えたまま提示することです。
そこに作者の驚きや感動がいかなる情緒であれ、見えればいい。
この句、このメモの内容に作者の思いがこめられています。
演出ではこんなリアルは出ません。
説明を省いて対象を描写することにより、作者の思いが想像できる。
季語はありませんが、御茶ノ水、檸檬画廊、午後4時、
というコトバが生き生きとしています。
遅足