575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

映画「鳥の道を越えて」      遅足

2015年01月02日 | Weblog
奥さんの知人から薦められて観たドキュメンタリー映画。
監督の今井さんは、岐阜県の東白川村の生れ。
「故郷の空に鳥の道があった」と、祖父から聞いて育ちました。

その道には、鳥屋(とや)がつくられ、カスミ網猟が行われていたとのこと。
長野県と岐阜県の県境にある鳥屋山へ登ったことを思いだしました。
カスミ網が張ってあったのでしょうか。

網をかけておくだけでは鳥はかかりません。オトリを使って呼びよせます。
オトリの囀りが仲間を呼ぶのですが、囀りは春の鳴き方。
猟は秋に行われます。どうするのか?
餌の与え方で秋に囀るように仕向けます。なかなか技術の必要な猟です。
(今ならテープで簡単ですが)
さらに、布切れを振って鷹の羽音に似た音を立て小鳥をおどします。
かくして低空飛行に移った鳥を網に遊動。一網打尽。
一度に100羽、200羽と網にかかったと言います。

カスミ網猟は農閑期の副業として岐阜県の東濃地方で盛んに行われていました。
捕獲されたツグミなどの鳥は、腹を取り、麹などにつけて保存食に。
山村の貴重な蛋白源として珍重されました。

猟師たちは、お隣の福井県などへも出稼ぎに行っていたのです。
山の権利を買って鳥屋をつくり、秋から冬につぐみなどの渡り鳥を捕獲していたとのこと。
これにはビックリでした。カスミ網猟は生活の手段だったのです。

戦後は禁止に。

敗戦後、GHQは自然保護を名目にカスミ網を全面禁止に。
私が現役の頃は「密猟摘発」のニュースが、毎冬のようにマスコミに。
野鳥の会と鳥屋師の戦いは、その後も続きました。
半世紀経った平成の時代、ようやくカスミ網猟も姿を消したようです。

実はカスミ網は秋の季語。
小鳥狩り・鳥屋師(とやし)などは傍題です。

  袂より鶫(つぐみ)とり出す鳥屋師(とやし)かな   大橋櫻坡子

この映画、名古屋今池のシネマテークで9日まで上映中です。

             

応答の一日一句

  羽根突きも独楽回す子も消えし町   孝

  羽根つきの消えて久しき閑所かな   亜子



コメント
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