新発意(しんぼち)は、発心(ほっしん)して僧になったばかりの人。
網代笠は、竹の網代で作った笠。夏の季語になっています。
この場合、初雪が季語で冬の句です。
僧になったばかりの若者が網代笠を被って托鉢へ。
そこへ初雪。寒さも重さも身に沁みるようです。
でも決心は固く・・・足取りも確かに。
初雪が新発意と響きあっています。
作者によれば禅僧を詠んだものだそうです。
禅寺では、師が弟子に公案が出されます。
卒業試験のようなものでしょうか。
「禅問答」として知られています。
物の本によれば、公案には正解はないとのこと。
言葉を離れて直観で師の教えを体得するための試練だとの説明。
そのなかの一つです。
趙州が修行中に、師の南泉(なんぜん)に尋ねた。
「仏の道とは何でしょうか」
「平常心(普段の心)が道である」
「では、平常心が目標なのですね」
「いや、目標ではない」
「目標でないなら、どうやって道を求めるのですか」
「道というのは、求めるとか求めないといった問題ではないのだ」
応答の一日一句
雪時雨少年塾へまっしぐら 孝
寒風や九十秒の赤信号 亜子
網代笠は、竹の網代で作った笠。夏の季語になっています。
この場合、初雪が季語で冬の句です。
僧になったばかりの若者が網代笠を被って托鉢へ。
そこへ初雪。寒さも重さも身に沁みるようです。
でも決心は固く・・・足取りも確かに。
初雪が新発意と響きあっています。
作者によれば禅僧を詠んだものだそうです。
禅寺では、師が弟子に公案が出されます。
卒業試験のようなものでしょうか。
「禅問答」として知られています。
物の本によれば、公案には正解はないとのこと。
言葉を離れて直観で師の教えを体得するための試練だとの説明。
そのなかの一つです。
趙州が修行中に、師の南泉(なんぜん)に尋ねた。
「仏の道とは何でしょうか」
「平常心(普段の心)が道である」
「では、平常心が目標なのですね」
「いや、目標ではない」
「目標でないなら、どうやって道を求めるのですか」
「道というのは、求めるとか求めないといった問題ではないのだ」
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