575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

色なくて匂い残れり    遅足

2015年09月14日 | Weblog
能の「井筒」を観てきました。世阿弥・作の夢幻能。
死んだ女の霊が、この世に現れて・・・という作品。

旅の僧が、在原寺の旧跡を訪ねると、女が登場。
シテの井筒の女です。女は業平の物語をして消えます。

僧がうつらうつらしていると・・・シテが、業平の形見の冠と直衣を着て現れます。
恋の舞のあと、女が井筒を覗くと・・・

 昔男の冠、直衣は女ともみえず男なりけり。業平の面影。

井筒に映っているは恋しい男の面影。クライマックスは急転して終局へ。
女の姿は、しぼんだ花の色艶もなく、匂いだけが残るように朧に。
在原寺の鐘の音とともに夜は明けていく・・・僧は夢から醒めたのです。

面影は消えても匂いは残る・・・「色なくて匂い残れり」というフレーズが好きです。
視覚では消えても、嗅覚にははっきりと残っている。
いつか俳句に使ってみたいフレーズです。

古今集の序で、紀貫之が業平の歌をこう評しています。

その心あまりて詞(ことば)足らず、しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし、と。

世阿弥はこのフレーズを見事に借用したのです。

            

応答の一日一句

  残したる腸(わた)山ほどの秋刀魚かな   孝

  先細の箸のよろしき秋刀魚喰ぶ       亜子
コメント
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