575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

言葉の置き換え      遅足

2015年09月15日 | Weblog
「俳句は技術である」(平井洋城・著)を読んでいたら
「言葉の置き換え・レトリック」という項目がありました。
例として

   欠伸せる眼中に入る秋の山

   欠伸せる口中に入る秋の山   高浜虚子

荻原先生の受け売りで「言葉をずらす」と言うのも同じ意味です。
なぜ、こうした技術が有効なのでしょう?

出来事を伝えるために、日常に使っている言葉を使わざるを得ません。

  葉桜のなかの無数の葉がさわぐ

これでは説明であり、俳句にはなりません。
つまり、その場に立ち会っている臨場感が感じられません。
ライブ感といったら良いでしょうか。

先生は、また、言葉を見つけ出す前の状態が大切とも。
出来事の現場に立ち会っているように、という意味でしょうか。
有名な句は、こうなっています。

   葉桜のなかの無数の空さわぐ   篠原梵

言葉をずらす、という技術の目的は、ライブ感を獲得することにあるのでしょうか。

             

応答の一日一句

  夕映えの合掌造り柿落葉     孝

  渋柿や餓鬼大将の泣きっ面    亜子

    



コメント
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