575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中皆二の短歌から 〜アウトサイダー〜竹中敬一

2017年09月01日 | Weblog
昭和38年 (1963) 父、61歳の時の歌です。

 還暦を過ぎたる我は自称して昭和隠逸(いんいつ) 列伝の中

 お目出度き皆二先生 現世とは梢梢(しょうしょう) ずれある歌を作りて

 短か歌に財そそぎゐる彼よろし 埋没に生くる我更によし

 一流になりそこねたる我友の誰彼も亦静かに生きぬ

 落魄(らくはく) に似たる静けき我が生も尚余燼燃えつつ

父は「アウトサイダー」という言葉が好きでした。
また、昇進とか、何かの賞をもらうことをひどく毛嫌いするところがありました。
私がサラリーマンになって何年かして、帰省したある日、父が私に「何か役でも
ついたか」と聞いたことがありました。
「いや、まだ何も… 」と答えると、父は「それは よかった」と云うのです。
もちろん私の性格や能力を見抜いてのことだとは思いますが…。

昭和50年、私はテレビドキュメンタリー「 木曽の四季 」で当時、文部省主催の
芸術祭で優秀賞を受賞し、その記事が中日新聞に私の顔写真入りで紹介されました。
その新聞の切り抜きを父に見せましたが、父は馬鹿にしたように、「ふん」 と
云っただけで記事を読むでもなく、一瞥しただけでした。
そんな父の態度を私は憎んだりはしていません。やはり、そうだった。想像して
いた通りだった と一人で苦笑しました。

 「自然泉」我年齢(わがとし) に既に老を歌ふ 有名には老も早く到るにや

 吾いまだ田舎の無名の歌よみ故 看破すべき是非の数数を持つ

「自然泉」は文化勲章をもらった歌人、土屋文明が63歳の時に出した歌集。
それを読んだ父は土屋文明のように有名になるのはいいが、老いも早いらしい。
それの比べて自分はお陰で、無名故に意気軒昂であるということでしょうか。
私には父が強がり云っているように思えてなりませんが…。

 敗北はわが二十代に始まりて それより凡そ半世紀経つ

この歌を取り上げて、同郷で同年輩の児童文学者、山本和夫氏は歌誌「創作」に
寄せた父への追悼文の中で、
「竹中さんは、中学 (旧制) 時代、秀才の誇りを専らにし、名古屋の八高(旧制)の
理科甲類に進学しました。…敗北というなら愚の至りです。
蓋し、竹中さんは天国で

 先生の晩年より出発し ひとり歩みつつ悔いあらなくに(牧水忌)

と、にっこりしているでしょう。羨ましい。」私も全く同感です。
父は 愛唱歌「八高寮歌」にある「路傍の花に明け暮れて はかなき夢の姿かな」を
地で行くような人生でした。

写真は晩年の父です。

コメント (1)
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