575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中皆二の短歌から 〜入江〜竹中敬一

2017年09月08日 | Weblog

 入日もゆる若狭入江の奥まりの阿納尻に君住みて久しき

若山牧水の妻、喜志子先生が昭和39年、福井県小浜市阿納尻(あのじり)にある
「いるかや」を訪れられた時の歌です。

私の父、皆二は母ミツと結婚して間もなくの昭和7年、いるか地蔵脇の街道に
小さな茶店を営みながら、生涯、短歌の道に精進しました。
私は郷里を離れて久しいのですが、幼い頃の記憶でも「いるかや」は千客万来
でした。東京などからの歌友の他、画家や陶芸家が入れ替わり立ち替わり姿を見せ、
父と熱っぽく語り合っていたことが、思い出されます。
後に人間国宝となられた京都の陶芸家、故、近藤悠三先生も若い頃、よく写生に
来られ、それが縁で私の弟は悠三先生に弟子入りしました。

父は太平洋戦争中、村の役場に勤務していた時期があります。戦争中は店も閉じて
おり、役所勤めが唯一、収入の道でしたが、父はある日、突然その役場を辞めて
しまい、母を困らせたことがあります。
別に、仕事が面白くなかったいうことではありません。母から聞いた話ですが、
なんでも昇進することが判って辞めたということでした。これ以上、歌の道との
両立は難しいと判断したのでしょう。
その後、父は神職となり、晩年まで若狭湾に点在する村々の産土(うぶすな)神社を
守りました。

「いるかや」のある入江は四季折々、見飽きることはありません。
波の穏やかな時には目の前の久須夜岳(619m)の秀麗な姿が海面に浮かび出されます。
夕暮れ時など風雲が湧き出すと、さざ波が立ち入江の面(おも)が複雑に色を変えます。

 久須夜岳向ひに聳え入江にはさざ波湧けり みち潮にして

 蒼ぐろくたたふる入江に波なくて 曇り空にはかもめ飛び交ふ

 日はすでに没したれども西空の残照赤あか入江を染めぬ

 水面(みのも)にはかすかに水皺(みじわ)光りつつ入江次第に暗くなりゆく

 廃船となりつつ船は形保つ 入江の岸に半ば沈みて

父は社会現象や歌壇のことになると、激しやすく、そのままを歌にしている場合が
多いのですが、沁み沁みとした歌もあります。

 しづかにも季(とき)の移るは吹く風に日の光にもあわれあれども

 しらぎの鐘しづまりかへりて居るゆゑに その沈黙のひびきをきけや

                 

写真は、歌人、若山牧水の妻、喜志子氏が昭和38年、福井県小浜市阿納尻
(あのじり)の「いるかや」を訪れられた時の父宛の便り。

 夏なりき若狭入江の奥なりき まともの入は浪に流れ来し

 入日もゆる若狭入江の奥まりの阿納尻に君住みて久しき

 入江の奥阿納尻に永く留まりて君いるかやの小店いとなむ

 いるかやの軒に仰きける弧つ松 かの老松よいまも栄ゆる

コメント
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