今年6月、歌人、若山牧水の生誕地、宮崎県の県立宮崎図書館に父が所有していた
牧水創刊の短歌誌「創作」878冊を寄贈しましたが、これに関連して朝日新聞の
宮崎総局の記者から電話取材を受けました。
その時、記者から「牧水と父との関係について、お父さんから何か聴いていたことが
ありますか。」と尋ねられました。
平成29年6月30日、朝日新聞宮崎版の記事より。
「敬一さんは、短歌をつくらないこともあって、牧水の話を聴いたことはないが、
牧水の命日には、仏壇に牧水の写真を置いて拝んでいた姿を見かけた。」
父から生前、牧水のことについて、聴いておけばよかったのにと、悔やまれます。
実のところ、私は父の短歌に関心を持つようになったのは、最近のことで、短歌を
つくったこともありませんでした。
子供心に、いつも母に負担をかけている父を時として恨んだこともあります。
父と同郷、同年輩の児童文学者、山本和夫氏が父が亡くなった時の追悼文の中で、
「中学(旧制)時代、秀才の誇りを専らにし」などということは、知りませんでした。
中学(旧制) が最高学府で、それ以上は勉強ができても進む者は少なかった時代、
旧制高校に入学できたのだから、ちゃんと卒業していれば、自ずと安定した生活が
約束されていたものを、と思ったものです。
わが如きものに従き来て五十余年 わが古妻を死なしむな ゆめ
この辺地 貧に耐へつつ不平なく われに従き来し五十余年ぞ
昭和60年、父が82歳の時の歌です。
母ミツは、この年に脳梗塞を患い、病院に入院。二年後に81歳で亡くなりました。
父のこの頃の歌に「人生の脱落者」とか「敗北」といった言葉がよく出てきますが、
ひょっとすると、それは母を幸せにできなかった父の後悔の念から来ているのかも
しれません。しかし、父はその後、牧水の生き方に救いを求めます。
牧水のその生涯をわれ思ふ まこと清貧最後の人か
牧水にわれ惹かれしは何よりも その清貧の境涯なりき
若山牧水と父との関係について、新聞記者に語ったように、父は牧水の命日に当たる
9月17日には 必ず毎年、仏壇に牧水の写真を置いてお経を唱えていたのだけはよく
今も覚えています。
生涯に六冊出した歌集には必ず牧水の命日に因んだ歌が載っています。
牧水の霊前にわが供へしは 若き穂すすき つゆ草の花
牧水忌に我等の諷誦する修証義第五章 山崎祖琳が導師となりて
牧水の外に師事せしことのなきを ひそかなるわが誇りとぞする
午前七時五十八分香をたく 我忘れざりき六十六年
先生の晩年より我は出発し ひとり歩みつつ悔いあらなくに
このシリーズはひとまず、これで終わり、後日、再開します。
どうぞよろしくお願いいたします。
写真は、父が所有していた若山牧水直筆の色紙
我が庭の竹の林の浅けれど ふる雨みれば春は来にけり
牧水創刊の短歌誌「創作」878冊を寄贈しましたが、これに関連して朝日新聞の
宮崎総局の記者から電話取材を受けました。
その時、記者から「牧水と父との関係について、お父さんから何か聴いていたことが
ありますか。」と尋ねられました。
平成29年6月30日、朝日新聞宮崎版の記事より。
「敬一さんは、短歌をつくらないこともあって、牧水の話を聴いたことはないが、
牧水の命日には、仏壇に牧水の写真を置いて拝んでいた姿を見かけた。」
父から生前、牧水のことについて、聴いておけばよかったのにと、悔やまれます。
実のところ、私は父の短歌に関心を持つようになったのは、最近のことで、短歌を
つくったこともありませんでした。
子供心に、いつも母に負担をかけている父を時として恨んだこともあります。
父と同郷、同年輩の児童文学者、山本和夫氏が父が亡くなった時の追悼文の中で、
「中学(旧制)時代、秀才の誇りを専らにし」などということは、知りませんでした。
中学(旧制) が最高学府で、それ以上は勉強ができても進む者は少なかった時代、
旧制高校に入学できたのだから、ちゃんと卒業していれば、自ずと安定した生活が
約束されていたものを、と思ったものです。
わが如きものに従き来て五十余年 わが古妻を死なしむな ゆめ
この辺地 貧に耐へつつ不平なく われに従き来し五十余年ぞ
昭和60年、父が82歳の時の歌です。
母ミツは、この年に脳梗塞を患い、病院に入院。二年後に81歳で亡くなりました。
父のこの頃の歌に「人生の脱落者」とか「敗北」といった言葉がよく出てきますが、
ひょっとすると、それは母を幸せにできなかった父の後悔の念から来ているのかも
しれません。しかし、父はその後、牧水の生き方に救いを求めます。
牧水のその生涯をわれ思ふ まこと清貧最後の人か
牧水にわれ惹かれしは何よりも その清貧の境涯なりき
若山牧水と父との関係について、新聞記者に語ったように、父は牧水の命日に当たる
9月17日には 必ず毎年、仏壇に牧水の写真を置いてお経を唱えていたのだけはよく
今も覚えています。
生涯に六冊出した歌集には必ず牧水の命日に因んだ歌が載っています。
牧水の霊前にわが供へしは 若き穂すすき つゆ草の花
牧水忌に我等の諷誦する修証義第五章 山崎祖琳が導師となりて
牧水の外に師事せしことのなきを ひそかなるわが誇りとぞする
午前七時五十八分香をたく 我忘れざりき六十六年
先生の晩年より我は出発し ひとり歩みつつ悔いあらなくに
このシリーズはひとまず、これで終わり、後日、再開します。
どうぞよろしくお願いいたします。
写真は、父が所有していた若山牧水直筆の色紙
我が庭の竹の林の浅けれど ふる雨みれば春は来にけり