575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

若狭の海幸山幸物語 ⑦ ~絵巻に出てくる老人とは~竹中敬一

2018年04月06日 | Weblog

若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の海幸山幸物語に出てくる「浦人」は、国学者、本居宣長が云うように、
漁の経験が豊富で、潮の流れや天気にも詳しい老人だったでしょう。
それでは、その「浦人」は特定できないものか、私の生まれ故郷、若狭の内外海(うちとみ)半島に残る
言い伝えを探ってみました。

内外海半島の先端に、僅か23戸の泊(とまり)という集落があります。私は何度かここを訪れていますが、
その度に、どうして、若狭彦姫神社の鎮座する遠敷(おにゅう) の地から遠く離れた泊の集落に同じ社名を
もつ小さな社(やしろ)があるのか不思議に思っていました。
口伝えや文献を調べているうちに、どうも 、この泊の集落にある社が始まりであるように思えてきました。

代々、この泊の若狭彦姫神社の禰宜(ねぎ)を世襲してきたのは、高橋家でした。高橋家の表札には、今でも
高橋刀禰(とね)と出ています。刀禰(とね)とは、村の頭(かしら)、つまり首長のことです。
5年前、訪れた時、当主の高橋豊彦さん(78)が、先祖からの言い伝えとして興味深い話をして下さいました。
「蘇洞門(そとも) の千畳敷に上陸された神様は、うち(我が家)の山であるトンビヤスの中腹から、
"トト、トト…"と、村の長(おさ) である私の先祖を呼び、やがて村に来られた。神様はしばらくここに
おられたが、やがて"杉千本 生える地へ行きたい"と申され、遠敷(おにゅう) の地へ行かれた、と聞いている」

泊地区にある蘇洞門は、久須夜岳(くすやだけ) の北山麓に奇岩が連なる景勝の地です。近くには、異国の船を
繋留した唐船島もあります。

もともと、海幸山幸神話はインドネシアを起源としていることが、定説となっています。それが、中国、朝鮮
半島に伝わり、渡来人によって、若狭の地にもたらされたとしても不思議ではないと思います。
また、古墳時代には、すでに九州との交流もあつたことがわかっており、その際、日向神話にある海幸山幸の
物語が口伝えで持ち込まれ、それが、若狭地方固有の神話と合体したのかもしれません。

若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」に出てくる「浦人」は、内外海半島の先端にある泊の浦に辿り着いた渡来人か、
または、その渡来人から色々と教えを受けた高橋氏の先祖をはじめ、泊の浦人ではなかろうか、と思っています。


写真は福井県小浜市の内外海(うちとみ) 半島の先端に位置する泊(とまり)地区。戸数23。
背後の山はトンビヤス、久須夜岳(619m)の南側で内海になっていますが、この山の北側は
外洋で、近くには外国船を繋留した唐船島もあります。




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