誰しも“十分生きた”と言いたいもの。特に男は。
しみじみした句です。(等さん)
夫の嘘を優しく許す詠み手が素敵。(能登さん)
最後の嘘にドッキリしました。その嘘に気付いている妻。
切ないな。(すみさん)
またまた、嘘関連を選んだ私の深層心理にビックリ。
やましさが出るのでしょうか。笑
人は、生きたい思いと、十分生きた、の間で揺れて
時を過ごすのでしょうか。(智恵さん)
若い頃から、人生75歳までと考えてきました。
後期高齢者となり、十分生きた、と感じています。
「これでもう何時死んでもいい」が祖父の口癖でした。
この気持ちが分かる齢になったわけです。
老人になると、二つの時間を生きていることに気づきました。
過去から現在までの時間と、まさに、この今の現在の時間。
十分生きたからと言って、死を受け入れられる訳ではないのでしょう。
智恵さんのご指摘のとおりです。
晩春と言う季語が救いになっています。 遅足