575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

10月句会の句がそろいました。  遅足

2006年10月18日 | Weblog
題詠

柿噛んで千年祟る臍固め
父眠る白磁の皿の柿熟るる
村中の雀集めて柿熟るる
柿もいだ従兄もいつか古希となり
棒切れの柿に届かずトボトボと
ふるさとの柿いっぱいの宅配便
里の柿はたらく義母の頬染める
豆柿や何処かに故郷あるような
天日萎え渋柿日毎に色を成す
柿ひとつ梢に残し村暮るる
照る柿の絵を古里と定めけり
熟柿一つテーブルにあり値踏みする
鳥も来ず落ちて潰れし熟柿かな

自由詠

木犀の金はらはらと零れけり
萩叢を括りて今日の客を待つ
古都の月蒼林かなた鴟尾の座す
裏通り金木犀の落つるのみ
晩学の本積むばかり熟柿食ぶ
濡縁に萩の花降る数奇屋かな
曲がり角ぬっと人影秋の暮
踏み入れば道遥かなる花野かな
秋日和カバにはカバの時間あり
和菓子屋の柿ヘタ上に並べけり
いわし雲水平線で海に浮く
十六夜の月コンドルは飛翔せり
友去りて一句を残す山河かな

        

番外
種なしの柿あらがえず口の中(麗子)
金木犀窓開けてみる五六日(愚足)
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ふたつの愛国心   遅足

2006年10月17日 | Weblog

今朝の中日新聞で、ひろさちやさんが、愛国心について書いていました。
ひろさんは、仏教徒ですから、まず、釈迦のエピソードを紹介しています。
自分以上に愛しい者なんていないと、妃に言われた王が、釈迦に訊ねました。
「それでいいのでしょうか?」と。
「それでいいのだ。自分自身ほど愛しいものはないよ。
だからこそ、われわれは他人を傷つけてはならないのだよ。」
と、釈迦は答えたそうです。

そして、ひろさんは、続けます。
「日本人は日本を、イラン人はイランを、北朝鮮の人は北朝鮮を愛しています。
だからこそ、われわれは他国を攻撃してはならない。
他国はどうなっても構わないというのは間違った愛国心です。
アメリカは間違った愛国心を発揮している国です。
自分の国を守るために他国に原爆を落すような国が
正しい愛国心の持ち主であるはずはありません」と。

         

この話は面白く読みました。
とくに「だから」という言葉の働きにとても興味をひかれました。
愛国心がある。だから、北朝鮮に厳しく対処するのか?
愛国心がある。だから、北朝鮮に寛容の精神で対応するのか?

あなたはどちらですか? 
とても難しい選択を日本人全体が問われているのだなと思いました。



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臭い消しの木             愚足

2006年10月16日 | Weblog
 狭い庭に金木犀の大木があります。子供の頃にはあったのて゛樹齢は六十年近くになると思います。狭い庭を巨大な球体で覆って一年中陽を遮っています。
 伐るのも可哀想だし大変でそのままにしていた付が回ってきています。
 落ち葉はこれから半端じゃなく舞い積もり毎日一仕事です。
 ただこの月の初めの数日間は見事に緑と黄色の巨大手鞠に変身し、近所に強い芳香を漂わせます。その時だけ近所で評判になる訳です。

 ところが 去年気持ちよく庭で香りに浸っていた妻の耳に聞こえてきたのが、保育園帰りの親子連れの会話。
 「ほんとーに、いいにおいだね。」「トイレのにおいだね。かーさん。」

 だから近所の猫どもが家の庭をトイレにするんだ。 と納得の妻。
      
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漢字とひらがな

2006年10月15日 | Weblog

俳句をつくる時、漢字にしようか?
ひらがなか?迷うことがあります。
日本語の手ざわり(石川九楊)という本を読んでいたら
その辺りのことが少し書かれていました。 

馬という字について

和語では「うま」   馬追 うまおい 馬市 うまいち

 イメージ 小 近 温 具象 

漢語「バ」「マ」「メ」 駿馬 シュンメ 馬上 バジョウ

 イメージ 大 遠 冷 抽象

という事だそうです。
そう言われれば、そんな気もしますね。
漢字より、ひらがなの方が温かい気がしまし、
具象的というか、身体に近い感じです。

       

 句会の投句は16日一杯、お待ちしています。
 よろしくお願いします。

                  遅足



  
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蝗煎り砂糖醤油という平和   朱露

2006年10月14日 | Weblog


 イナゴイリはバッタをフライパンで炒める。
 それを砂糖醤油で絡めて食べると旨いのだ。
 戦争をやるとそういうゼイタクもできない。
 戦争をやりたい人たちに言ってもムダかな? 
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文化審小委殿は御暇でいらせられますか

2006年10月13日 | Weblog
ただでさへ混乱している敬語を、さらに遣い難くして、どうなさる御積りですか。

尊敬語、謙譲語、丁寧語とわずらわしいけれど、どうやら理解できる3分類が、5分類に。
謙譲語にⅠ、Ⅱがあって丁寧語の1部がⅡに加わる、そして美化語を新設。

敬語小委→国語分科会総会→文化審議会答申が来年2月だって。

 ☆ 次の会話を新分類せよ

 よう来てちょうだいしたなも

 やっとかめだわねえ 御変わりものうて こないだ敬老パスを落とらかしゃーたそうだけど そんでどうしやーした?

 御心配を御掛けして、相すみません。御陰様で拾って届けてちょうした御人があって、助かりました。うっかりして御名前を御聞きするのを、ころっと忘れて、御礼のしようもないので、困っておりますわ。

 ☆ 正解、御任せします。

敬語の見本になるような句はないでしょうか。

                       鳥野

 
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鰯雲沖の小島の身の振り方  朱露

2006年10月12日 | Weblog

   十年前の句だがこの秋埃を払って出番。
   安倍政権下の小島の身の振り方を憂う。
   個人的には、故郷真鶴沖の初島のこと。
   いや、つまり自分の身の振り方なのか。

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今月の題詠「柿」   

2006年10月11日 | Weblog

柿の句は芭蕉もつくっています。

 里古りて柿の木持たぬ家もなし

昔は嫁ぐ時に柿の木の苗を持っていったとか。
その嫁が亡くなると、柿の枝が折られ
火葬の薪や、お骨を拾う箸にされたそうです。
芭蕉の句は、こんな慣わしがあっての句なのでしょう。

昔はまた結婚初夜にあたって新郎新婦の間で
次の様な問答をしたといいます。

 「おまえの家に柿の木があるか」
 「あります」
 「おれが取ってよいか」
 「どうぞ取って下さい」

これを柿の木問答と言い、問答のあと
夫婦は初めて結ばれたそうです。

 季語集(坪内稔典)より  

   

なかなか風流な問答ですね。
問答あったかな?
                遅足

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スランプ脱出法   遅足

2006年10月10日 | Weblog

岸本尚毅の「俳句の一問一答」を呼んでいたら
スランプ克服法が載っていました。
題詠と吟行がよいとのことです。
このうち題詠についての部分を紹介します。

選ぶ季語は、なるべく生活体験があって、自分の体験を手がかりに
連想がひろがるもの。
季語を決めたら、その季語にまつわる様々な場面を想像します。
思いついた句は、すぐに書きとめ、次の句を考えます。
その季語と出会うには、どんな日、どんな時刻だろうか、
どんな天気、どんな場所だろうか。
そこに誰がいて、どんな会話をするのだろう、想像を膨らませます。
嘘も方便です。多くに句をつくっていくうちに、凝り固まった考えが
解きほぐされていきます。

題詠の場合、時間の制約なしに考えますと、発想が固定されがちになります。
これから一時間で5句作ると締め切りを決めて、自分を追い詰めた状態におくと、
否応無く自分の殻を破るような発想が出てくることがあります。

自分の好きな季語、得意な季語を使ってたくさん作ることだそうです。
また、あわせて名句を鑑賞するのも良いそうです。


       



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注意六条  禁忌七条              愚足

2006年10月09日 | Weblog

水原秋桜子が『俳句の作り方』で提唱した、初心者が俳句を作る時に意を注ぐべき六ヶ条と、避けるべき七ヶ条だそうです。

注意六条
俳句を詠むとき、意を注ぐべき六条

①詩因を捉える
②分量をわきまえる
③省略を巧みにする
④配合を工夫する
⑤わかる用語を使って
⑥丁寧に詠む


禁忌八条
俳句を詠むときで避けるべき八ヶ条

①無季の句を詠まない
②重季の句を詠まない
③空想の句を詠まない
④や・かなを併用した句を詠まない
⑤字あまりの句を詠まない
⑥感動を露出した句を詠まない
⑦感動を誇張した句を詠まない
⑧模倣の句を詠まない

 点検してみようと思ったが、まだ句ができていなかった。
 句作りの意欲を高めるための六条ゃ八条は無いのかなあ?

                   
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客観写生とは?   遅足

2006年10月08日 | Weblog
客観写生って何かな?と、疑問に思っていましたが、
NHK俳句で、稲畑汀子さんの解説を聞いて、少し分かりました。
きっかけはこの句です。

呆然と立って案山子となりにけり

主語は「私」か?
私が案山子のように呆然と立っていた。
これでは俳句としては?と、思っていたら、
稲畑汀子さんは、案山子が主語だ、としていました。
えっ!案山子が主語なの!
案山子が立っている様子を、呆然と、捉えた句。
同時に、私が呆然としていることでもある、と。

俳句は、作者の気持ちを、直接、表現するものではない。
塔句会で、Tさんが、いつも言っていることですが、
今ひとつピンときませんでした。

虚子の言ったことは、気持ちは、花鳥に託せ。
中途半端な託し方ではダメだ。客観に徹せよ。

どうもそういう意味らしいです。
そうかな?

        




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宇宙論焼きもみ海苔をもみしだき  朱露

2006年10月07日 | Weblog

  「物質が持つエネルギーはその物質の質量と
  光速の二乗を掛けたものに等しい」という、
  「相対性理論」が、皆目わからぬまま死ぬ。
  悔しいからこの句を「私の宇宙論」とする。

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ノミのウタ

2006年10月06日 | Weblog
朝、目を覚ましたら太ももの内側が痒い。
ポチョッと小さい噛み跡。

 ひと夜さを共棲みしてか噛み跡を残せし小虫 名を告(の)らすべし

憎っくき奴め、蚤に違いない。

ノミには俳人さまも、ずいぶん手こずったらしい。歳時記には多くの例句が見えます。

  痩せ蚤の這ひ出る肩や旅枕  丈草

  わが臍を襲いし蚤を誅しけり 草城

  見事なる蚤の跳躍わが家のあり 三鬼

迷惑には違いないがどことなく、親近感のあるノミ。同じく血を分けた奴なのに、ダニの句は見当たらない。
ネットで、拡大写真を見て、納得。

                    鳥野



  

 

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1972年  麗

2006年10月05日 | Weblog
皆さんは1972年という年にどんな思い出がありますか?
昭和47年、ミュンヘンオリンピックの年です。
私は小学校の2年生でした。物心ついた初めてのオリンピックで
まだ白黒テレビ。男子バレーの優勝がかすかに記憶にあります。

そんな1972年の芦屋が舞台の小説、小川洋子著「ミーナの行進」。
とても心が暖かくなる甘酸っぱいお話です。
小説では、身体の弱い小6の少女「ミーナちゃん」が主人公とともに
日本男子バレーを懸命に応援するシーン、ミュンヘンでイスラエルの選手
がテロに襲われるシーン、川端康成の自殺などあの時代を象徴する事件が
次々と出て来ます。劇中劇ならぬ小説中小説とでもいいのでしょうか?
小さなマッチ箱の中にミーナちゃんが書き紡ぐせつないお話も、
とてもせつなく何とも言えぬ郷愁に包まれます。

寺田順三氏の挿絵も本の内容にぴったりです。挿絵を見るだけでも楽しい本です
よ。秋の夜長、お勧めの一冊です。
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望月さま   遅足

2006年10月04日 | Weblog

愛知県の奥三河に望月峠と呼ばれる峠があります。
織田・徳川連合軍と武田の騎馬軍団が激突した長篠の合戦。
武田軍が敗れ、望月某という武者が信濃に落ちて行く途中、
村人に殺されました。
武者の死体は、放置されたままでしたが、間もなく疫病が流行。
村人は「望月さま」の祟りと恐れ、信濃の見える峠に丁寧に葬りました。
峠には、今も「望月さま」と呼ばれる祠があります。

      

「望月さま」のことはすっかり忘れていましたが、
先日、中仙道の望月宿を訪れる機会があり、望月一族のことを知りました。
望月宿は、佐久市の千曲川と鹿直川が合流するあたりにあります。
古代から望月の牧と、呼ばれる有名な馬の産地で、
望月氏は、この牧を掌握した武士団でした。
歴史に登場するのは、源平合戦の頃。木曽義仲に従って京に上っています。
その後も、鎌倉幕府に仕え、勢力を誇っていました。
南北朝の動乱の頃、南朝方についたのが躓きのもと、次第に衰えて行きます。
新興勢力の武田信玄と戦って降伏。長篠の合戦に参加しました。
そして武田氏の滅亡後、間もなく、歴史から姿を消していきます。

      

私は、なぜか南北朝時代に活躍した後醍醐天皇の皇子のひとり、
宗良親王に関心があって、その遺跡を訪ねてきました。

  都へといそぐをきけば秋をへて雲ゐに待ちし望月の駒

この歌は、宗良親王の歌集「玉葉集」にある歌です。

  信濃国に住み侍りし頃、人々に歌よませ侍りし次に、駒迎のこころを

という前書きのある歌です。
信濃の望月氏に身を寄せていた頃に詠んだ歌でしょうか。
皇子の悲願は、戦に勝利して都に帰還することです。
望月氏の助力に感謝する心を込めて詠んでいるのでしょう。

望月さまと宗良親王が繋がっているとは思いもよりませんでした。

      

南北朝から戦国時代にかけては、日本の大きな転換期。
この時代に、古代からの名族の多くが滅んでいます。
そうした中で、見事に生き残った天皇家。
現代の天皇制の原点が、この時代にあるという歴史学者もいます。
そんな興味が、宗良親王への関心の根っ子にあるのかも知れません。




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