575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

生れよ、反戦の句や歌

2007年12月04日 | Weblog
花鳥風月を透徹した眼で眺め、調べ美しく詠む、細やかな心象を抉って述べる。俳句も短歌もそれだけでは終りません。
うちに秘めた怒りや希い。それが社会詠や反戦歌になって、溢れ出します。

 ・外国に果てたる兵の頭蓋たち帰りて九条の旗ゆらすべし  副田千春(かりん)

 ・手榴弾に果つとぞ密林に餓死すとぞいずれも叔父の真実とせん 高尾文子(かりん)

 ・おののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかむ 木村久雄(28歳不当な処刑半時間前)

 ・このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね 斉藤茂吉

   ・ゲームでもゴッコでもない首都炎上 イラクの幼な澄める眼で佇つ 鳥野 

 
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日米開戦と詩歌           愚足

2007年12月03日 | Weblog
 また十二月八日がやってくると言っても何の日か知っている人はだんだん少なくなっている。66年前のこの日、日本は米国に宣戦布告し真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった。昭和20年8月に終戦を迎えるまでに何百万という人々が死に傷ついた。
 しかし、この開戦の日には日本国民は熱狂し開戦のニュースに沸き立った。
 特に真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇に乗り米戦艦に体当たりし玉砕した九人の若き兵士は、軍神と讃えられ戦う日本人の手本、鏡として英雄になった。(写真はその九人の兵士である。・・タイトルをクリックすると拡大します)
 そして 彼らの行為を賞賛する声は全国に高まり、短歌や俳句などでその感動が寄せられたのである。そのなかの数編を紹介したい。

潜く舟 行きて還らずなりしより 思ふ子どもは神成りにけり
                           釈 迢空
ものあらふみづしのをみな妻どもも涙して聞けり刻々のラジオ
                           吉川英治

花ちるや瑞々しきは出羽の国         石田波郷
日の本の武士われや時宗忌           高浜虚子
かしこし勅 昼はふたりきりの箸をおく     萩原井泉水
冬霧にぬかづき祈る勝たせたまへ        水原秋櫻子
かしこみて布子の膝に涙しぬ          富安風生

 これらの俳句は情報局の国策団体づくりで結成された日本俳句作家協会の俳句年鑑に載せられた俳句である。
 当時、俳人も一人の日本人として開戦に散った若者の悲壮美に心うたれたのであろう。しかし再びこのような俳句が詠まれることの無い事を祈りたい。
 
※私の参加する九条の会でも、この開戦の日の夜 この戦いで散った人々の鎮魂と平和を祈ってともし火を掲げて行進する予定である。
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蓮根              愚足

2007年12月02日 | Weblog
 夏には大きな葉っぱで一面緑の蓮田も土色になって、陽が短くなるとレンコンの収穫が始まります。いつものように、隣のじゅんちゃんとひろしくんと学校の帰り道、遠くの方でお父さんが泥だらけになってレンコンを掘っていました。 私が大きな声で「おとうさーん」と呼んでも気がつかないので、今度は三人でもっと大きな声で呼びました。するとお父さんは仕事の手を止めて手を振ってくれました。  三人でお父さんの近くまでかけて行くと、お父さんはにこにこ笑って掘りたての大きなレンコンを見せてくれました。                     ひろしくんが「おじさんとこでとれたレンコン大好き。うちのばあちゃんもおいしいってほめてたよ。」と言うとじゅんちゃんも「私もレンコンのてんぷら大好き。」と言うので二人に掘りたてをお土産に持たせてくれました。ひろしくんもじゅんちゃんも大喜びで帰っていきました。
  
   泥ともに掘出されたる蓮根かな      正岡子規
   蓮掘の美事な蓮をひき出しぬ       村上鬼城
   顔上げてからかはれをり蓮根堀      高野素十
   蓮堀りが手もておのれの脚を抜く     西東三鬼

※作文と絵は「まち・みち・だより15号」より
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焚き火は今や軽犯罪 (コメントにかえて)     ぐ

2007年12月01日 | Weblog
よそ者のよそ者の入る空きなし焚火の輪  青木 昭

評・・地名は村から町や市にかわっても土俗的な風習は以前として「むら」の雰囲気を伝えている。村の時代から「よそもの」は「のけ者」にされて三代ぐらい住んで初めて「村のもん」になれたということです。焚火には原始の頃からのよそ者を排除するDNAが残っているのでしょう。

 (愛読するインターネット俳句の今月号から転載しました)

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焚火知らぬ人類である君たちよ   朱露

2007年12月01日 | Weblog


     大人子供一緒に焚火に当たっていた。
     火に顔を向けたり背中をあぶったり。
     思い思いにやるから話なんかしない。
     私が基本的に無口なのは焚火の為だ。

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