先回の荻原先生の宿題は「走り梅雨」と「ほととぎす」
鍵穴に鍵のこさるる走り梅雨
なつかしい感じがする。子供の頃、鍵をかけっぱなしにして
親の叱られたことを思い出す。
しかし今は、鍵のシステムも進化して、こんな風景は余りないのでは?
との評でした。
厳しく言いなおすと、句がありきたりで、新しい発見がない。
言葉の並べ方も工夫が必要、という評でしょうか。
そういえば昨年も梅雨晴れ間の宿題があって
梅雨晴れ間鍵のかからぬ旅鞄
という句をつくっています。
梅雨の取り合わせに鍵。潜在意識になにかあるのでしょうか?
どうしてだろう?
落ち着かないな・・・
うぐいすの耳に初音のほととぎす
うぐいすと、ほととぎすを同じ空間のなかで詠むことは問題ない。
しかし、耳に、と、初音、がいけない。とくに初音は。
うぐいすの耳に、というと、現実の景ではなく、作者の頭の中のこととなる。
それをもう一度現実に引き戻す必要がある。
実際にほととぎすの声を聞きにいったのですが、
アタマでつくる句になってしまいました。
この句は一から考え直さねば。
鍵穴に鍵のこさるる走り梅雨
なつかしい感じがする。子供の頃、鍵をかけっぱなしにして
親の叱られたことを思い出す。
しかし今は、鍵のシステムも進化して、こんな風景は余りないのでは?
との評でした。
厳しく言いなおすと、句がありきたりで、新しい発見がない。
言葉の並べ方も工夫が必要、という評でしょうか。
そういえば昨年も梅雨晴れ間の宿題があって
梅雨晴れ間鍵のかからぬ旅鞄
という句をつくっています。
梅雨の取り合わせに鍵。潜在意識になにかあるのでしょうか?
どうしてだろう?
落ち着かないな・・・
うぐいすの耳に初音のほととぎす
うぐいすと、ほととぎすを同じ空間のなかで詠むことは問題ない。
しかし、耳に、と、初音、がいけない。とくに初音は。
うぐいすの耳に、というと、現実の景ではなく、作者の頭の中のこととなる。
それをもう一度現実に引き戻す必要がある。
実際にほととぎすの声を聞きにいったのですが、
アタマでつくる句になってしまいました。
この句は一から考え直さねば。