575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

端居(はしゐ)               愚足

2008年07月07日 | Weblog
 変わった夏の季語に出会った。「端居」である。
 夏の夕べ屋内の暑気を避けて縁に出て涼むことを言うらしい。
 一時代前の夏の情景で、浴衣、団扇、蚊遣り、風鈴、夏座布団等が自動的に
連想される。
 今見ている本には喜多川歌麿の版画が載せてあって遊女二人と色男の客が遊郭の離れの縁で物憂げに涼んで居る絵が艶めかしく描かれている。
 しかし、この季語が本格的に愛好されるようになったのは大正期以降だそうだ。

  端居して明日逢う人を思ひおり       星野立子
  端居してただ居る父の恐ろしき       高野素十
  耳遠く端居を好む母となれり        大野林火
  妻といふかなしきものの端居かな      田村寿子
  端居せるこころの淵を魚よぎる       野見山朱鳥

ホッとしたい方に

  娘を呼べば猫が来たりし端居かな      五十嵐播水
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荻原俳句教室    遅足

2008年07月06日 | Weblog
荻原俳句教室も最終回です。

天の川待合室に足ならぶ

(この句は教室当日の午前中に病院で考えたもの。
待合室とは考えてみれば、不思議な空間だな、
と感じたことがキッカケ。
沢山の人が順番を待っている。人といわずに人を表すものは?
顔、眼、耳、鼻・・・待合室にならぶ鼻、なんて面白いかな?
やはり足にしておこう。かくして中七下五は決まりました。
上五になにを置くのが良いのか?
病院からは離れたいな、と、天の川を置いてみました。)

待合室といえば、病院か、駅か。
病院の待合室であれば、上五には、待合室にあったもの、
あるいは、外にあって、季節のものを取り合わせるほうが良い。
たとえば「夏つばめ」を置いてみると、

夏つばめ待合室に足ならぶ

ならんで、巣で餌を待つ燕の子。ならぶ足。
というところにイメージの重なりが生まれる。
天の川として、銀河鉄道の駅とすると、甘くなる。

(たしかに銀河鉄道とすると、足ならぶ、という下五は要一考。
天の川待合室にならぶ猫
は、どうかな?やはり甘いか。)

   

先生が俳句の初心者の方にしたアドヴァイス。
日誌を書くこと。
朝何時に起きた。
朝食はパン一枚、コーヒー2杯・・・
など、事実だけを書き残す。
感想はかかない。
こうした日誌には、俳句の素材が一杯。
読み返していると句になることがある。

   

荻原先生ありがとうございました。   
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写生とは?    遅足

2008年07月05日 | Weblog
荻原先生のブログを読んでいたら、こんな一節がありました。

仁平勝の評論集『俳句の射程』(二〇〇六年)に、以下のようなくだりがある。
「写生とは、比喩的な効果のある取合せを、比喩のかたちを前面に出さずに、
できるだけ自然らしく表現する手法でもある」。
きわめて単純なことを言っているのだが、きわめて秀でた認識だと思う。
写生句以外も俳句だと認める場から、俳句における写生ととりあわせについて、
現在、これより巧く説明することは無理だろう。

    

写生、客観写生など・・・いろいろに説明されていますが、
今ひとつスッキリと納得できるものはありませんでした。
仁平さんの説明は、たしかにと、思わせるものがあります。
が・・・・


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ヤマトシジミ蝶        草女

2008年07月04日 | Weblog
 6月下旬海上の森の明るく広い道に、たくさんの空色のシジミチョウが舞っていた。地面すれすれの高さをひらひら群れていて写真を撮ることが出来ない。やっと何かに止まった瞬時翅を休めて閉じるののだが、空色の面は隠れてしまう。見える裏面は薄い灰色で黒い斑がある。大和小灰シジミである。
 シジミチョウは蜆貝に大きさ、形、そして雌は色も似ていることからつけられた名前。ヤマトシジミは日本を代表するシジミチョウだか、この種は中東から東アジアフィリピン等に広く分布し、日本には北海道を除く全国に生息する。
 蝶は幼虫の時食べる植物が決まっている。ヤマトシジミの幼虫はカタバミ。だからカタバミのある所なら、山里から都会までどこにでも出現する。
 ところが、カタバミでも外来の帰化植物のカタバミや紅紫色のものはだめで、日本原産の緑色のノカタバミでないと成長できないそうだ。
 さて、食用の蜆貝は大半がヤマトシジミと呼ばれている。つまり市場に出回り私たちが食べる蜆はヤマトシジミである。 ややこしや。
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爪を切る女   麗

2008年07月03日 | Weblog
電車内での化粧。器用にマスカラやアイラインまで使い
手鏡しかみていない女たち。
マナーのなさにはもうすっかり慣れてしまいましたが
先日、いよいよここまで来たかという場面に遭遇しました。

なんと!
若い女性が車内で紙袋を片手に爪を切っているのです。
ぱちんぱちんと爪を切り紙袋に切った爪を入れている。
一体いつから車内は家のリビングルームか縁側と化したのでしょうか?
そのうち歯磨きする人もでてくるのではないでしょうか?

また学生に向かって小言を言ってしまいそうです。でも一句できました。その女性は帽子をかぶっていませんが。。。

      夏帽子深くかぶって爪を切る   麗
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荻原俳句教室    遅足

2008年07月02日 | Weblog
宿題は「夏帽子」

しんがりのわが名呼ばれて夏帽子

子どもの頃のことか、懐かしい感じのする句。
しんがりはシッカリした子か、はたまた、しっかりしていない子か?
子どもの頃に名前を呼ばれるとすると、用事を頼まれたりする時・・・
「呼ばれて」の「て」という言い方に、
作者は夏帽子のなかにいるのだが、
それを外から見ている感じもあって、うまくいっていると思う。

天空をななめにかぶる夏帽子

天空がはっきりしたイメージを結ばない。
「天空」の「天」と、「夏帽子」の「夏」がうまく機能していない。
夏空をななめにかぶる帽子、という表現のほうが良いのでは?
また、この句は一人称とも三人称とも読める。
○○を××に○○する、という表現を、
三人称にするには、○○する、をはずすと良い。
いずれにせよ、この句では夏帽子という季語の本意が生かされていない。

     

とりあえず、

夏空をななめにかぶる野球帽

としておいて下五を推敲しよう。

次回は最終回。宿題は「7月」と自由題です。


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オオムラサキ郷愁   鳥野

2008年07月01日 | Weblog
八ヶ岳の南麓、北杜市にあるオオムラサキセンターのことが、気になる季節です。
一生一年のうちの大半を幼虫で過ごし、美しい成虫の姿で生きるのは、たったの2週間たらず。
その姿に遭遇できるチャンスは短いのです。

オオムラサキにしてみれば、いまこそ種の継続の大役を果たす時。より高く、速く、力強く飛翔してメスにアピールしなければなりません。

選択権はメスが持ち、気に入らなければ、羽を閉じて拒否。一度交尾すれば、生殖孔を蝋状の物質で閉じて、丈夫な卵を育てるのに専念します。

こしうしてオオムラは懸命というのに、生息圏の雑木林は減る一方。
そこで北杜市は巨大な網の囲いを設けて、植生を再現。大切に飼育し、繁殖に努力しています。自然の里山に乱舞する日よ早く来い。

オオムラサキは24年間の大議論の末、1956年に「国蝶」に決まりました。でもこのままで、再投票されれば、ギフチョウが当確の声も聞こえます。
日本の固有種で、”春の女神”と言われる可憐な美しさこそ、と。興味深い話です。

  ・ 磨崖仏おおむらさきを放ちけり 黒田杏子
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