575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

春眠や醒めてこの世に不時着す   遅足

2010年05月22日 | Weblog
船団の岡野ドクターの診断です。

この場合うたた寝、昼寝でしょうか。
たしかにこのような実感はあります。
それだけに類想はあるでしょうが、
現実のこの世が不時着した場所だという認識はやはり魅力的です。
パラレルワールドとかSF的な発想も、
不時着したこの世は仮の世だととらえれば、
ほら、日本の詩歌の伝統に繋がってしまいました。

(ありがとうございます)

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蟻の道時の過ぎゆくまま辿る    朱露

2010年05月22日 | Weblog

      相当閑人の蟻好きじゃないと作らない。
      時の過ぎゆくままは沢田研二じゃない。
      カサブランカのアズタイムゴーズバイ。
      何の事か判らなければ電話して下さい。

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山濡れて虹消えるまでもの言わず    朱露

2010年05月21日 | Weblog
句会での朱露さんの一句。

こんなメールを朱露さんに送りました。

   この句の下五の主語は普通は人ですが、
   虹と読んでも、また面白いと感じました。  遅足

返信です。

  この句は、私としては叙景百%。
  「山」は、眼前の多米山系。大雨が夕方止んで、いきなり虹!
  「虹はどう消えるのか」とじっと見ている。

  それを、虹が虹としての仕事を果たすまで沈黙。
  ただの飛沫になって「やれやれ」と呟く。 このほうがいい!

                             朱露
  
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アカショウビン 草女

2010年05月21日 | Weblog
 5月中旬に戸隠森林植物園にバードウオッチングに行くようになって6年。毎年のようにアカショウビンの噂を聞いたし、鳴き声を耳にしたこともある。一昨年は山歩きのために一緒にきていたグループの人達は会えたのに、バードウオッチングのグループはいくら探しても会えなかった。今年は半ば諦めの心もちで探すこともしないでほかの野鳥をウオッチングしていたら、リーダーの携帯にアカショウビンが出たという連絡がはいった。        急いで丘を降りると、アカショウビン、アカショウビンというざわめきと人々の流れがあった。その流れにのり、300mほどいくとアカショウビンがいた。右側 30mほどの距離にいたのが、枝移りしながら左10mの枝にきた。
 その日は抜けるような青空でアカショウビンの燃えるような赤い嘴が透き通っている。

 なんと私達の目の前で地面に降り、一瞬のうちに蛙を捕り枝に3回叩きつけ頭から飲み込んだ。蛙の足が嘴からでているのに、その時はなにも思わないでただただ見ていた。あとから、仲間が写した写真を見せてもらったときは眼をそむけてしまった
が・・・
 アカショウビンはブッポウソウ目 カワセミ科の夏鳥で、ヒヨドリ位の大きさで、漢字では赤翡翠と書く。分布は広いがなかなか会えない鳥の一つなのに、こんなに近いところで長い間いてくれた。森林植物園は広く仲間は散らばっていたのに全員が間にあって私たちはとても満足した。

 今年はゴールデンウィークまで雪が積もっていたせいか、水芭蕉が一段と美しい。ここは木々の間を水芭蕉が埋めていて雰囲気がとても良い。アカショウビンとの出会いといい、水芭蕉といいたいへん幸せなバードウオッチングの旅行であった。

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目が覚めてまたもわが身や業平忌   朱露

2010年05月21日 | Weblog

    元慶四(八八〇)年在原業平没五十六才。
    わが身ひとつはもとの身にしてをパクる。
    目が覚めてわが身を励ますのはラジオ様。
    今朝は天竜寺の壁画を描いた田村能里子。

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5月句会の結果です。    遅足

2010年05月20日 | Weblog
五月晴という宿題を天が嫌ってか?
雨の中の句会、8人の出席でした。

題詠『五月晴』

①為政者がやる気なくして五月晴(朱露)能登・遅足・麗子・立雄・愚足
②”しび”跳ねて天空届く五月晴れ(結宇)童子・能登・晴代・麗子・立雄
③引っ越しの案内届く五月晴れ(麗子)鳥野・遅足・亜子・狗子
④いつもより手を高く振る五月晴(静荷)鳥野・結宇・亜子・郁子・麗子
⑤笹舟を放つ小川の五月晴(亜子)静荷
⑥竿竹に水玉ならび五月晴(立雄)童子・晴代・静荷・狗子
⑦五月晴むかし子爵の白亜館(遅足)鳥野・朱露・郁子・狗子
⑧五月晴一気にとれぬ豆の筋(晴代)能登・遅足・静荷・郁子・愚足
⑨ぶなの葉のしずくに映る五月晴れ(能登)結宇・亜子・立雄
⑩生き方にツッコミいれる五月晴れ(郁子)朱露
⑪五月晴れ 噴水の跳ね 恋始め(愚足)結宇
⑫五月晴れ和太鼓を打つ細き指(狗子)朱露・晴代・愚足

 
自由題  

①路地の奥汐の香のぼり夏来る(能登)
②さかな跳ね緑震えて風を生む(郁子)
③新緑のベンチで手作りマドレーヌ(麗子)晴代・狗子
④藤はらり初祖を寄る辺(ヨルベ)と団蔵碑(結宇)遅足
⑤山濡れて虹消えるまでもの言わず(朱露)結宇・亜子・郁子・愚足
⑥薫風やチョークを好きな子に当てて(遅足)童子・能登・朱露・晴代・郁子・立雄
⑦寝返りの夜具の軽さや夏に入る(晴代)童子・能登・鳥野・朱露・静荷・亜子・麗子・狗子・愚足
⑧花筏漕ぎゆく先の闇の色(亜子)朱露・狗子
⑨五月晴太緒(ふとお)の下駄をつつかけて(静荷)鳥野・遅足・結宇・亜子
⑩百歳の英単語帳緑さす(狗子)能登・鳥野・遅足・晴代・静荷・麗子・立雄
⑪幼子の寝息やわらか 柿若葉(愚足)結宇・静荷・麗子・立雄
⑫母の日の妻は生き生き子ら来たり(立雄)童子・郁子・愚足

   

次回は6月16日(水)午後6時 安田屋。

宿題は「青葉時雨(あおばしぐれ)」「青時雨(あおしぐれ)」です。

雨があがり、青葉の木々にたまった雨粒が、ぽたぽたと落ちる様子を
青時雨というそうです。

私のもっている歳時記にも、辞書にも、載っていませんが
一応、認知されたコトバです。

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五月句会    麗

2010年05月20日 | Weblog
兼題は「五月晴れ」でしたがお天気は「五月闇」となってしまった
昨日の句会。
五月晴れの清々しさや明るさを描いた句や
五月晴れの大らかさと対比する日常のささやかな行為を詠んだ句に
票が集まりました。

そんな中注目すべき俳句は

「五月晴むかし子爵の白亜館」

このところどなたかの俳号を読み込んで下さる遅足さんですが
今回は亜子さんでした。が、誰も気づかず。。。
ご本人もびっくりされていました。
「むかし子爵」というフレーズにやられてしまった感じです。

そして自由題の遅足さんの句。

「薫風やチョークを好きな子に当てて」

少年時代の淡い恋を詠んだ句かと思いきや
チョークのことを「白亜」ということから
これまた亜子さんに捧げる俳句だったのです。

これはひょっとするとひょっとする。。。
なんて無粋なことを言ってはいけません。(笑)

ご本人はもちろん誰も気づかないところに俳句としての完成形を見た気がしました。

来月の句会もますます楽しみになりました。
ちなみにお題は「青時雨」あるいは「青葉時雨」。初めての季語ですね。

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禅寺を出てきて青葉風となる   遅足

2010年05月19日 | Weblog
母のお骨納めに京都にいってきました。
東本願寺です。
新しくなった御影堂のなかは明るく立派でした。
親鸞聖人の像のしたにお骨が納められました。

翌日、南禅寺に行ってみました。
南禅院というお寺の庭を楽しみました。
新緑がうつくしく、しばし、見とれていました。

ある日本画家が庭の新緑をあきることなく
楽しんでいたという話を思い出しました。
一体、何種類のみどりがあるのか?

画家は一つ一つの緑を絵具の色に置き換えて
楽しんでいたのではないでしょうか?

私には、そんなに種類が多くには見えないのは
脳のなかに、様々な色に対応する地図を
もっていないからではないだろうか?
など、と考えていました。

    

池に映ったカエデが風にそよいでいました。









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妹の句を誉めてみるメールかな   朱露

2010年05月19日 | Weblog

    諦めない程度にボロクソに言っている。
    母に似て気が強い女だからヘコタレぬ。
    歳時記を持って通勤するようになった。
    「何事も形からだぞ」と言う私が自覚。

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三次元すれすれの蜘蛛俺四次元    朱露

2010年05月18日 | Weblog

      蜘蛛を見た目は二次元だが俺は違う。 
      生まれ落ちた途端の三次元的構造だ。
      而も伊達に歳は取らぬ四次元の常連。
      蜘蛛を眼の下に力んでも仕方ないが。

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5月句会の投句が集まりました。  遅足

2010年05月18日 | Weblog
力作がそろいました。


題詠『五月晴』

①為政者がやる気なくして五月晴
②”しび”跳ねて天空届く五月晴れ
③引っ越しの案内届く五月晴れ
④いつもより手を高く振る五月晴
⑤笹舟を放つ小川の五月晴
⑥竿竹に水玉ならび五月晴
⑦五月晴むかし子爵の白亜館
⑧五月晴一気にとれぬ豆の筋
⑨ぶなの葉のしずくに映る五月晴れ
⑩生き方にツッコミいれる五月晴れ
⑪五月晴れ 噴水の跳ね 恋始め
⑫五月晴れ和太鼓を打つ細き指

 
自由題  

①路地の奥汐の香のぼり夏来る
②さかな跳ね緑震えて風を生む
③新緑のベンチで手作りマドレーヌ
④藤はらり初祖を寄る辺(よるべ)と団蔵碑
⑤山濡れて虹消えるまでもの言わず
⑥薫風やチョークを好きな子に当てて
⑦寝返りの夜具の軽さや夏に入る
⑧花筏漕ぎゆく先の闇の色
⑨五月晴太緒(ふとお)の下駄をつつかけて
⑩百歳の英単語帳緑さす
⑪幼子の寝息やわらか 柿若葉
⑫母の日の妻は生き生き子ら来たり

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荻原教室近況報告 ⑪   鳥野

2010年05月18日 | Weblog
ご無沙汰しました。荻原教室の報告です
教室は4月から、新入生を迎え、なごやかに前進中。
受講生に年齢の差があり、感性や表現もそれぞれで、お互いにいい勉強をしています。

先生はほんとうに懇切丁寧、分け隔てなく指導を続けられます。

提出歌の一首ごとを尊重しながら、助詞ひとつを変えたり、語順に手を入れたりで、
その歌の景が立ち上がります。

ほんとうに鮮やかな添削。わたしの拙作も幾度か、救済していただきました。
出題は最近、地下鉄の駅名の一字から、というのが微笑ましい。

 「栄」
  ・ 栄える地区を栄と呼んでゐたことのなごりのやうなひかりの栄

 「久」
  ・ 春を感じてゐるのか欅のよく揺れて久屋大通が笑う午後

 「伏」
  ・ 伏せてあることが次第にふえてゆく冬のつづきを春とは呼ぶが
  
 「場」
  ・ 約束の場所には選ばれさうにないビルの谿間で春を見てゐる

 「種」
  ・ 花の種やゼムクリップや五円玉がなぜか下駄箱の隅に置かれて

 「役」
  ・ 夫の義務とは夫の役をそこそこに演じることだと椿がわらう

 
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豌豆           愚足

2010年05月17日 | Weblog
 先日 遅足さんから自家製の豌豆をもらい
 卵とじでおいしくいただいた。

 我が家の庭にも少し前まで豌豆が実をつけていた。

 孫が来るとそれを千切るを楽しみにしていて、まだ小さいさやまで
取り尽くしていく。

 それに豌豆料理の苦手な彼らは、別の実ものの苗を植えろとやかましい
 年長組の子はマンゴーがいいとか、スイカにしろとか勝手なことを言う。
そこで、相談してキュウリの苗を植えた。

 さてさて、キュウリは豌豆ほど実をつけるだろうか?

見事なりましたら、お返しをしたいと思っています。ご期待くださいね。

  ゑんどうむき人妻の悲喜いまはなし    桂 信子

  酒よろしさやゑんどうの味も好し     上村占魚

  びしょぬれの豌豆摘むやほととぎす    石田波郷

 

 
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たましいのそこはあぶらみ朧月   遅足

2010年05月16日 | Weblog
船団の岡野ドクターの診断です。 

たましいにあぶらみはない、と言ったらそこで終わってしまいます。
たましいのそこはあぶらみであるという言表がなされているので、
とりあえず、それに付き合ってみようという態度がこの場合望ましいかと。

付き合ってみても中七までは一向に像は結ばず、
朧月がボーッと光っているのみ。

それこそが作者の狙いかもしれず、たましいは何にも譬えられず
茫漠とした空間に投げ出されています。
さらに、あぶらみであると指摘された、そことは?と問えば
其処ではなく底かもしれず、
あぶらみの「み」も原因・理由を表わす接尾語の「み」にも見えてきて、
こうなるともう、平仮名表記にした作者の術中に嵌ってしまっています。

好みもあるでしょうが、このように全体が虚でできた、
読みによって像がぶれ続ける句も私には魅力的です。

 (ありがとうございます)
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歳時記がぼろぼろになり雲の峰    朱露

2010年05月16日 | Weblog

      角川文庫版と平凡社ポケット版が崩れた。
      角川が平成十五年で平凡は昭和五十六年。
      腰抜けどもめこっちは昭和九年七十五だ。
      「雲の峰」が転んでもただ起きない根性。

           

 夏めくも足暖めて憮然とし   朱露

      朝からヒーターに足をかざして動かず。
      こんなことをしていては何にも出来ぬ。
      この句と四行文を書いたら兎に角動く。
      「普天間問題」でいらいらしているし。

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