穂村弘さんの「短歌ください」を読んでいたら、この歌に出会いました。
作者は、亜にまさん、20歳の女性。
25時とか、26時という表現が登場したのは、何時ごろからだろうか?
ラジオに続き、テレビの深夜放送が当たり前になっていった頃、
放送の進行表に、25時、26時という表記が現れたように思います。
テレビの現場で働いていた頃、収録が終わって帰宅するのが
午前1時だったり2時だったり。
地下鉄やバスはもう動いていなかったので、帰宅はタクシー。
タクシー伝票に25時と書いたことを思い出しました。
家族は、もう寝ていました。
この歌、大東京ならではの歌と思いました。
しかし28時の人も4時の人も、健康には良いとは言えないでしょうね。
いのちを削るようにして毎日を生きている哀しさ。
この歌集には20代、30代の若い人が多く歌が新鮮です。
その理由のひとつは、歌が予定調和に陥っていないからかな。
高齢になればなるほど、歌が予定調和に陥っていくような気も・・・。
わが父の命終の息をともないし風の使いを窓辺に見送る 遅足
作者は、亜にまさん、20歳の女性。
25時とか、26時という表現が登場したのは、何時ごろからだろうか?
ラジオに続き、テレビの深夜放送が当たり前になっていった頃、
放送の進行表に、25時、26時という表記が現れたように思います。
テレビの現場で働いていた頃、収録が終わって帰宅するのが
午前1時だったり2時だったり。
地下鉄やバスはもう動いていなかったので、帰宅はタクシー。
タクシー伝票に25時と書いたことを思い出しました。
家族は、もう寝ていました。
この歌、大東京ならではの歌と思いました。
しかし28時の人も4時の人も、健康には良いとは言えないでしょうね。
いのちを削るようにして毎日を生きている哀しさ。
この歌集には20代、30代の若い人が多く歌が新鮮です。
その理由のひとつは、歌が予定調和に陥っていないからかな。
高齢になればなるほど、歌が予定調和に陥っていくような気も・・・。
わが父の命終の息をともないし風の使いを窓辺に見送る 遅足