575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

すませただ心しきよく すみぬればやまひは水の あはと消えまし

2014年11月15日 | Weblog
病気を治す「まじない歌」です。
作者は糟谷磯丸。渥美半島の伊良湖の貧しい漁師の家に生まれました。
ちょうど今から250年前のことです。

読み書きの出来なかった磯丸。
母の病気治癒を祈って神社に通っていました。
その時、旅人が和歌を口ずさむのを耳に。
美しい調べに心惹かれたそうです。

歌をはじめた磯丸は、文字を覚え、先生に習って上達。
数多く詠んだ歌の中に「まじない歌」がありました。
庶民の願いが叶うように、と磯丸がつくったもの。
病気治癒、家内安全、虫除け、火除け・・・など様々です。

古今集の序に紀貫之が書いているように、歌には
「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、
めにみえぬ鬼神をも、あわれとおもわせ・・・」
というスーパー・パワーがあると信じられていました。

掛け軸などにして願うと、ご利益もあったとか。
その功績で死後、磯丸霊神という神様になったそうです。

さて、この歌にはどんな願いが込められているのでしょうか?

   いのれかし花のさかりに たねとなるみをばむすぶの 神にまかせて

                             遅足

               

今日の応答の一日一句。

   身辺の整理捗る冬籠もり     孝

   冬籠りとて大瓶の純米酒     亜子

 
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応答の一日一句 

2014年11月14日 | Weblog
  

毎回、素敵な句を作っていらっしゃる亜子さん。
ご主人の孝さんも俳人です。
「あみの会」という句会で、俳句を楽しんでみえるそうです。

孝さん、ある時、一日一句を詠むことを決意。
毎日、短冊に書いた句をリビングの壁に。

十日ほど経つと、亜子さんが同じ季語で句を詠み、隣に。
かくして応答の一日一句が始まりました。10年ほど前のこととか。

今日、11月14日の応答の句。

  納豆や糸切れるまで待つがよし   孝

  山形のだだちや納豆味まろし    亜子

漫才でいえば孝さんがボケ。亜子さんがツッコミだとか。
息の合った応答ですね。
これからも応答の一日一句を紹介していきたいと思っています。

                          遅足

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落葉の季節    麗

2014年11月13日 | Weblog
また体調をくずし再入院。10日ぶりに家に帰ったら玄関先が落ち葉の絨毯でした。
前回の時は朝顔が迎えてくれ、今回は色づいた柿と落ち葉が迎えてくれました。
どこかに飛んでしまった私の今年の夏と秋でした。

さて、我が家の隣は公園があるのですが、そこを毎朝一人で黙々と雑草をぬき、今はケヤキの落葉を掃いてくださる年配の男性がいらっしゃいます。
今朝も、朝早くから落ち葉を掃く音が隣から聞こえてきました。
お手伝いしたいのですがなんせ、ままならぬこの体。

元気になったら一緒に落ち葉掃きしたいです。

         落葉掃くよき隣人に恵まれて   麗
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「縄跳び」句会が近づいてきました。  遅足

2014年11月12日 | Weblog
11月は19日が句会です。
今回の題詠は「縄跳び」

子供の頃に縄跳びで遊びました。
前跳び、後ろ跳び、交差跳び・・・
二重跳びは、なかなか出来ません。
高く跳べばと思っていたのですが、早く回すのがコツなんですね。

大きな縄跳びを回し、出たり入ったりして遊ぶもの。

  縄跳びや息とめてから入りけり

中に入ってジャンケン。負けたら外へ。
縄跳び歌がありました。
オジョーサンお入り・・・だったかな?

  おじょうさん おはいんなさい
  ありがとう さぁおいで
  じゃんけんぽん!(あいこでしょ!)
  まけたらさっさと おでなさい

と、ネットに載っていまいた。
微妙に歌詞に違いがあります。
思い出の句、今の子供たちの句など・・・
どんな句が集まるのか、楽しみです。

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然れど胡麻   鳥野

2014年11月11日 | Weblog
何気なく歳時記を繰っていて、胡麻が秋の季語と
知りました。思い出すのは母のこと。

戦後の食糧難のころ、僅かな土地を借り、見よう
見まねでイモなどを作っていました。そして「胡
麻」も。
ひもじい日々の足しにもならず、薬味か嗜好品に
過ぎない「胡麻」を何故。
食卓に載せるまでの大変な手間。刈り取って、干
して叩いて実を集め、ゴミを選り分けて、ようや
く製品。工面して手に入れた炭火で煎りあげると
いう業も要るのです。

母の胡麻つくりは若しかして、母の息抜き、母の
気骨。農家ばかりの田舎へ子連れで疎開し、「非
農家という理不尽な扱い。コメやイモ作りは不器
用でも、せめて胡麻くらい。そんな母でした。

  言い分は明日に回し胡麻を煎る  鳥野     



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竹中皆二歌集『自然は最高にして』を読んで     遅足

2014年11月10日 | Weblog
竹中皆二さんは、以前、このブログで紹介させていただいた
「若狭の海幸山幸物語」の著者・竹中敬一さんのお父さん。
その皆二さんの最後の歌集を読ませて頂きました。

皆二さんは明治35年生まれ、旧制八高を中退、波乱万丈の青春を過ごします。
そして若山牧水の弟子となり、一筋に歌の道を歩まれました。
昭和7年小浜の阿納尻に居を構えます。
そして今で言うコンビニのような「いるかや」を始めました。

  久須夜岳向ひに聳え入江にはさざ波湧けり満ち潮にして

  水面(みのも)にはかすかに水皺(みじわ)光りつつ入江次第に暗くなりゆく

住まいは入江に近く、海豚が姿を見せることから付けた屋号だそうです。

  有用材杉檜(ひのき)より雑木を好むはけだもの而うしてわれ

  この舗道割れ目に生ふる艾(よもぎ)草むらむら茂りすでに実を持つ

自然を見る目も鋭いものがあります。
そして、この目は歌壇にも向けられて。

  店頭には草花の新種歌壇には短歌の新種われは好まず

90年を生き抜いた方ならではの歌も。

  九十年生き来てわれは思ふなり世論と言ふもの当にはならず

  われ生きて九十二年の間には共産国興りまた消滅す

亡くなるまで牧水を師として尊敬されていました。
牧水忌・九月十七日という前書きのある一首。

  午前七時五十八分香をたく我忘れざりき六十六年

私の好きな歌です。

  しづかにも季(とき)の移るは吹く風に日の光にもあはれあれども







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夜神楽や神話の神は色好み   遅足

2014年11月09日 | Weblog
夜は高千穂神社「夜神楽」の見物。
本来は冬の間、各集落で行われるもの。
今は観光客のために毎夜、行われています。
普通は33番を一昼夜で舞ますが、4番を1時間ほど。

天岩戸に隠れた天照大神を行方を探す手刀雄の舞。
面白、可笑しく踊る鈿女(うずめ)の舞。
(実際は女性らしい優雅な舞でした)
天岩戸を押し開けて、戸を遠くに投げる戸取(ととり)の舞。

奥三河の花まつりを取材したことがありますが、
踊りのリズムがとてもよく似ていました。

最後が御神体の舞。
伊弉諾、伊邪那美の二神が酒をつくる。
お互いに飲みあい、抱擁しあう夫婦円満を象徴する舞。
この最後の舞の神様は観光客のなかに
これと言った男性、女性を見つけると舞台から降りて
抱き付いて・・・会場には笑いが。

舞台横で太鼓を叩いていた一人のオジサン。
この伊邪那美の神様のお面にそっくりでした。

昼間に歴史資料館で説明をしてくれた学芸員さん。
話し出せば、とどまることのない博識。
高千穂町の人口も最高時の半分に。
このまま行くと・・・と寂しいそうだったのが印象的でした。
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秋光のしぶきのなかへボート漕ぐ     遅足

2014年11月08日 | Weblog
もう一つの目的は高千穂峡の観光。
熊本から高千穂までレンタカーで3時間弱でした。
まずは高千穂峡へ。狭い道を行くと第一目的の駐車場は満車。
仕方なく第二の方へ。結果的にはこちらが正解。
600メートルの遊歩道を行けば、高千穂峡が手に取るように。
観光写真によく登場する真名井の瀧も橋の上からよく見えました。

ここへ来たらボートに乗って下から瀧を見なくては・・・
待たされることもあると聞いてきましたが、すぐに乗れました。
30分2000円。ちょっと高いな・・・

乗り場では鴨の餌を売っていました。
見ると鴨が後を追うようについていくボートも。
餌を与える人間は鴨のカモかも・・・

何十年ぶりのオール捌き。
ボートは思うように動いてくれません。
真名井の瀧のあたりは幅も狭くて。
瀧のしぶきを避けて、岩に何回も衝突。
写真で見ていたのとは、ちょっと勝手が違いました。

真名井の滝(まないのたき)は、川幅が狭まった所へ落ちる滝。
落差17米。日本の滝百選の一つです。

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石垣の石のいのちや冬すみれ   遅足

2014年11月07日 | Weblog
熊本城は、平成に入って大がかりな復元工事を。
飯田丸の櫓、本丸御殿などが完成し、なかなか立派。
日本人はもちろん、韓国や東南アジアからのも観光客が。
ところどころに忍者が。
また宮本武蔵が城門で交通整理に。

我が名古屋城は規模では負けていませんが、平城。
これに対して熊本城は丘を利用した城。
城としての魅力は熊本城が一段上です。

熊本市内に住んでいた漱石は何度も引っ越しを。
一番長かったのが坪井旧居。お城のすぐ近くです。
ここで長女誕生。こんな句を残しています。

  安々と海鼠の如き子を生めり

夕食は繁華街の銀座通りへ。
馬刺しが名物とあって、いずこも馬刺し料理の看板。
これは横目でにらんで海鮮料理の店に。
人口74万の熊本は金沢に似ていると思いました。

             

今日は立冬。秋晴れならぬ冬晴れです。
いよいよ嫌いな寒い冬です。
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冬に入る    麗

2014年11月06日 | Weblog
病室で一句作りました。

    見舞い無く午後の病室冬日差す   麗
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漱石の宿石蕗の人に会う    遅足

2014年11月05日 | Weblog
先月の29日から4日間、熊本・高千穂へ。
熊本は高校生の修学旅行以来。
まず夏目漱石の小説・草枕の舞台となった小天(おあま)温泉へ。
熊本から峠を二つ越えたところまで車で。
漱石は明治30年の大晦日に歩いて・・・
それが草枕の冒頭に。

  山路を登りながら、こう考えた。
  智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。
  とかくに人の世は住みにくい。

車は、あっという間に過ぎて坂を越え、蜜柑畑の中へ。
小高い丘の出ると、眼の前は有明海。普賢岳がくっきりと。
漱石の句碑がありました。

  降りやんで蜜柑まだらに雪の舟

丘をおりると漱石の泊まった温泉宿。
この地の有力者・前田案山子の別邸でした。
前田案山子は肥後藩の槍の指南役。
維新後は自由民権運動に身を投じました。

小説のヒロイン・那美のモデルは案山子の三女・ツナ。
彼女が深夜、漱石がいるとも知らずに湯船に。
このハプニングが小説の核となっているとのこと。

湯船と漱石の宿泊した離れは今も残っていました。
ツワブキの花が今を盛りと咲きそろっていました。

             

この前田ツナの妹・ツチと結婚したのが宮崎滔天。
二人の子・龍介が「アンと花子」に登場した
花子の腹心の友・柳川白蓮の夫だそうです。
九州は中国大陸に近いと改めて感じました。
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どこまでも、ススキ   鳥野

2014年11月04日 | Weblog
「オレは河原の枯れすすき、同じお前も枯れすすき・・・」
一世を風靡した「船頭小唄」の出だしです。
野口雨情と中山晋平の名コンビが生んだ流行り唄も今では
影が薄く、思い出のメロディにさえ、登場することは無く
なりました。

唄は忘れられても、ススキは健在です。
本来ススキは、嘆き節に唄われるような、ひ弱では無し。
野原、丘陵、土手と至る所に根付き、時には大群落を形成。
旧石器時代から命を繋いできました。
人類の生活にも貢献。屋根材として、縄や筵材、飼料など
と、大切な植物でした。

つい先日も、奈良県と三重県の県境近くの「曽爾高原」の
ススキ原が紹介されていました。
見の限りの、銀の穂波。風に揺れて、何処までが原だやら、
空だやら、秋の日に見たあの壮観は忘れられません。

   ・ ススキ波空へと続きなお続く  鳥野


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幾年月青く冷えたる光追い    智恵

2014年11月03日 | Weblog
ノーベル賞の光を冷えた光と言いとめました。
確かに青色は温かく感じません。冷えた色ですね。

これはLEDのノーベル賞快挙との時事句でお見事。
名大に捧げましょう、麗子さん。

名古屋大学は「名大(メイダイ)」と略して言います。
しかし東京で「メイダイ」といえば明治大学のことでした。
ノーベル賞受賞者が相次ぎ今なら「メイダイ」が通用?

東京大学では受賞者が出ず、名古屋大学で可能だったのか?
名大は、戦争中にあわててつくった大学。
自前の教授が圧倒的に不足。
全国から優秀な若い学者が集まりました。
研究室の自由な雰囲気もこうした環境から生まれたとか。
学問は自由の大切さがわかります。
結果が出るのには30年、評価が定まるのに30年です。
成果をセッカチに要求する今の大学では無理かも・・・

名大グッズに青色ダイオードのキーホルダーがあるとのこと。
生協のお店に行ってみました。
残念ながら品切れ・・・でした。
野依ボールペンというのもありました。         遅足


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秋冷や警策(きょうさく)の音床に鳴る    能登

2014年11月02日 | Weblog
坐禅に参加、身も心も引き締まって有意義なこと、と鳥野さん。
床に鳴る、という下五が素晴らしいですね。
どんな音なのか浅学で想像つかずという声も。

警策は 坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒。
曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読むそうです。
樫や栗といった固い木が使われているとか。
打つ側は「警策を与える」
打たれる側は「警策をいただく」と言うそうです。

中学生の時、警策をいただきました。
夏休みでしょうか、永平寺への数日間の参禅。
朝まだ暗いうちに起床。座禅を組みました。
姿勢が悪くなると・・・バシッ!
音ほどは痛くありませんでした。

警策は江戸時代になってから登場したとか。
道元さんの時代にはなかったようです。

良い体験だたと言えましょうか・・・ 

             

雨があがって庭にサフランが咲きました。   遅足
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おはようの猫の鼻先ひやひやと    郁子

2014年11月01日 | Weblog
もう1月です。雨が肌寒く感じられます。
風邪に要注意です。

さて、この句。
鼻で感じたひやひやをつくってみました、と作者。

猫を飼っていないとこういう句はうまれませんね。
ひらがながやさしい!と麗子さん。

私も猫を飼っていたので、この句の感じはよく分かります。
「おはよう」と、手をさしのべると猫は鼻先を近づけてきます。
匂いをかぐのは、猫のあいさつ。
猫同士でも鼻と鼻をくっつけあって、あいさつしています。

その鼻、指先で、そっと触ってみると、ひやっとします。
健康な時は湿っています。
乾いていると風邪でも引いているのでは?と心配でした。
嗅覚は猫が人の数万倍。犬はさらに優れているそうです。

                       遅足



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