575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

3月句会の投句が集まりました。   遅足

2020年03月16日 | Weblog
コロナウイルスの流行で世界が混乱、亡くなった方もでています。
さすがに俳句の世界にも大きな影響が及んでいます。
さてどの句が風に乗るのでしょうか?

題詠「摘草」
①初めての摘草をする小さな手
②摘草やマニキュアの指黒く染む
③摘み草や名無しの鳥の夕餉まで
④膝をつき草摘む妻や沖に船
⑤気がつけば暮色の中に草摘めり
⑥あの土手へ一足飛びや土筆摘み
⑦東には雪の御岳野蒜つみ
⑧摘み草を 飾る酢飯の 宴かな
⑨摘草で編んだ冠お姫様
⑩芹摘むと細き流れへ母屈む
⑪摘草や 大地に還る 友ありて
⑫図鑑ずしり摘んだ草の名小花の名
⑬フクシマの野の蓬摘み何時のこと
⑭摘草の土手の少女の笑い声
⑮摘草の年寄り土手に生き生きと
⑯縄文の指しなやかに蕨摘む
⑰摘草を思えどカラスのエンドウばかり

自由題
①癖のある文字の葉書や春深し
②春寒し猫いっぴきの通学路
③吾呼びて水に顔出す春の鯉
④風花を飛びつつ鵯の啄めり
⑤だしぬけにポトリと言って落椿
⑥早春の伊吹山今動かんとす
⑦春の宵暗くて深い河渡る
⑧ウイルス禍洗う手より春流れゆく
⑨鶯に 笑み浮かべるや 道祖神
⑩春の音コロナに消され寂しかな
⑪駆け足で落ちる点滴春夕焼け
⑫ミシン止め 眠気誘<いざな>う 初音かな
⑬眼下には不穏な地上春愁
⑭春告げ鳥乾び(カラビ)ザクロを縁枝(ユカリエダ)
⑮白ブルーピンク混じりてモネの春
⑯草萌えや転び上手の襁褓(むつき)の子
⑰春なれどパンデミックの寒き風
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夕暮れの部活のノツク春隣   千香子

2020年03月15日 | Weblog
春の甲子園はコロナウイルスのために中止。
部活のノックの音も聞こえません。
この句が詠まれた時点では想像もできなかったこと・・・。

関係者にも戸惑い。
まず生徒にどう言うべきか。私なら・・・?
先生の人間力が試されました。(遅足)
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陽光へ頤(おとがい)あげる春隣  晴代

2020年03月14日 | Weblog

下顎を上げ、顔いっぱいに春陽を浴びている。
そんな様子が簡潔を表現した句、と等さん。

男性でも女性とも書かれていません。
一番簡単な読みは作者が頤をあげていると読むこと。
しかし別の読みのほうが良いでしょうね。では、どんな人なのか?
季語の「春隣」をどう読むのか?
ちょっと手掛かりが少ないですね。
「数独パズル」にたとえたら上級編でしょうか・・・。遅足
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春隣り仔象は母に鼻こする  等

2020年03月12日 | Weblog

下五の「鼻こする」の描写が具体的。
ほのぼのとした光景が目に浮かぶようです。
季語の「春隣」にぴったり、と亜子さん。

もう春はそこまで来ている。日差しはおだやか。
甘えて仔象が母にすり寄っている。
リズムが良く、「ぞうさん」の歌を連想し、
詩的な雰囲気がある、と千香子さん。

なんのお話をしているのでしょうね?遅足
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鎮座(ちんざ)してあくびの猫や春隣  亜子

2020年03月10日 | Weblog
この句の「鎮座」という言葉から
猫が真冬に丸まっているのとは違い、
長らくそこに座っている様子が浮かびます。
「あくびの猫」でのんびりした暖かさを感じられ、
春隣の句にぴったりと思いました、と竹葉さん。

         

猫にはウイルスはうつらないのでしょうか?
犬にはうつったとか。昼寝の猫は知らぬが仏・・・かな?
だんだん身近に迫ってきた感じですが・・・。

  ウイルスを流してしまえ春の雨  遅足
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さようならマイカー   遅足

2020年03月09日 | Weblog

77歳の誕生日をむかえ、運転免許証を返上しました。
10年ほど前からセールスマンの方には
「老人用のクルマ」をつくってほしいと言ってきました。
当時、メーカーはまだクルマは若者のものという考えでした。
いまならいい車があります、と言われても。

免許を取ったのが昭和39年でした。
それから半世紀、自動車業界も100年に一度の変革期だとか。
一昨年は車の事故に巻き込まれて大けがを。
クルマ社会をなんとか生き延びました。

トヨタ・ホンダと乗り継いで、最期はニッサンのキューブ。
先日、廃車手続きに。
サービス工場の駐車場にぽつんと置かれたクルマ。
10年以上乗りなれた愛車。後ろ姿がさみしげに見えました。

 捨てられた仔犬のごとく暗がりに免許返上せし日の別れ
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3月句会が近づいてきました。   遅足

2020年03月08日 | Weblog
題詠は摘草(つみくさ)。

野原に出て、蓬、土筆、蒲公英、げんげ、芹などをを摘むこと。
今では土筆とか蕨をつむ優雅な遊びですが、
かつては春の食物を採集する神聖な年中行事でした。

百人一首のこの歌も摘草を詠んだもの。

  きみがため春の野にいでてわかなつむ我衣手に雪はふりつゝ

伝統を引き継いでいる季語。どう詠むのか?
  
  摘草にいちづとなるはかなしけれ  神山幸子

  摘草にしやがみて知りぬ子の視界  上田日差子

あるいはコロナウイルスを詠み込むか?
冒険する句を詠むのもたのしみです。

草摘む、蓬摘む、蓬籠、土筆摘む、芹摘むなどもOKです。

またメール句会ですが、よろしくお願いいたします。遅足
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「軽井沢の思い出」

2020年03月08日 | Weblog



大原富枝<おおはらとみえ>1912年 高知県長岡の生まれ。結核のため高知市内の女学校を中退。病気療養中に文筆活動を始め「宝文館」という女性雑誌に小説を発表したことから本格的な文筆活動に専念していきます。1957年「ストマイつんぼ」で女流文学賞を受賞。そして岩下志麻主演により映画化された「婉という女」で毎日出版文化賞と野間文化賞を受賞。広く知られることになります。

「従ひて 行きとどまれば 山の上に物の音なく 月澄みわたる」<富枝>

1976年 カトリックの洗礼を受け「彼もまた神の愛でし子か」インド詩人プリヤンバダ・デーヴィーの交流を描いた「ベンガルの憂愁」など、哲学と宗教的な視点からの作風へと移行していきます。1990年 勲三等瑞宝章を受賞。そして、故郷の高知県本山町に「大原富枝文学館」が開設されます。今回は句でなく短歌をご紹介させていただきます。

「うかららを 恃まず生きて来し 吾のさびし大方の 苦にたぢろがず」<富枝>

実は、大原家は親族です。大原富枝の軽井沢の隣家は遠藤周作邸。当時の軽井沢には、阿川弘之、北杜夫、佐藤愛子など若き執筆家が揃い、文学論などにぎやかに交わされていたようです。私の父はあららぎ派に傾倒。斎藤茂吉の短歌について北杜夫と論じたようです。さらに、私事となりますが、このグループに私の母もいて父と馬術を通じ結婚に至ります。ちなみに、私の母は、中部日本放送の女性アナウンサーに合格。しかし、娘の一人暮らしを嫌った祖父の反対により入社は叶いませんでした。

遠藤氏は、夏季になると旧軽の庭先で執筆されることが多く、長時間熟孝される姿に感動した記憶があります。大原家では「三郎」という犬を飼っていて、大原富枝 著「三郎物語」中文庫刊でエッセイ化されています。三郎は遠藤邸へひとりで遊びにいくことが多く明るい性格の遠藤周作氏が好きだったのかもしれません。万平ホテルから始まるジョンレノンの親交など、私にとって軽井沢は忘れ得ぬ思い出の地となっています。

「命終のまぼろしに 主よ顕ち給へ病みし一生を よろこばむため」<富枝>

大原富枝。山深い故郷の高知県本山墓地があります。享年87歳。


私事となりますが、麻痺が発症。投句と選句は続けさせていただきますが、拙文の継続に自信がありません。そのため非定期とさせていただきます。何卒、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。また、誰でも自由に意見や投句できる「俳句研究会」を主宰しています。「575の会」諸氏のご参加をお待ち申し上げております。下記サイト。

https://www.facebook.com/groups/230678158521039

構成と文<殿>


"Memories of Karuizawa"

Tomie Ohara <Ohara Tomie> Born in Nagaoka, Kochi Prefecture in 1912. She dropped out of a girls' school in Kochi because of tuberculosis. She started writing while she was being treated for illness, and since she published a novel in a women's magazine called "Hobunkan," she will concentrate on her full-scale writing activities. She won the Women's Literature Prize for "Streptomycin" in 1957. And she won the Mainichi Publication Culture Award and the Noma Culture Award for "En toiu onna", which was made into a movie starring Shima Iwashita. She will be widely known.

"If you stay obedience, the moon will clear on the mountain without sound." <Tomie>

She was baptized in Catholicism in 1976 and she "is he also a child of God's love?" Her philosophical and religious perspectives, such as "Bengal's Melancholy," which depicts the interaction of the Indian poet Priyanbada Davy. I will shift to her style from. She was awarded the Order of the Sacred Treasure in 1990. Then, "Ohara Tomie Literature Museum" will be opened in her hometown of Motoyama Town, Kochi Prefecture. This time she will introduce her tanka instead of her phrase.

"I've lived without any regrets, and I'm lonely, and I'm suffering from most of the suffering." <Tomie>

In fact, the Ohara family is a relative. The house next to Karuizawa in Tomie Ohara is Shusaku Endo's residence. At that time, Karuizawa was filled with young writers such as Hiroyuki Agawa, Morio Kita, and Aiko Sato, and it seems that literary theory was lively exchanged. My dad is devoted to the rough sect. He seems to have discussed Mokichi Saito's Tanka with Morio Kita. In addition, personally, my mother is also in this group and she marries her father through equestrianism. By the way, my mother passed the female announcer of Chubu-Nippon Broadcasting. However, her joining was not possible due to the opposition of her grandfather who hated her daughter living alone.

Mr. Endo often writes in the garden of the old Kei car in the summer, and I remember being impressed by his long-term filial piety. The Ohara family has a dog called "Saburo", which has been published as an essay in "Saburo Monogatari" by Tomie Ohara. Saburo often goes to Endo's house by himself and may have liked Shusaku Endo, who has a bright personality. Karuizawa has become an unforgettable place for me, such as the friendship of John Lennon starting from the Mampei Hotel.

"To the illusion of the end of life, Lord, to be sick of the salary and to make him happy for the rest of his life" <Tomie>

Tomie Ohara. There is a graveyard in Motoyama, Kochi prefecture, which is her hometown deep in the mountains. She is 87 years old.


She is a private affair, but she develops paralysis. She will continue to utter and select, but she is not confident in continuing my writing. She is therefore irregular. Thank you for your understanding. She also presides over a "Haiku Study Group" where she can freely comment and post. She looks forward to the participation of the "575 Association". The following site.

https://www.facebook.com/groups/230678158521039

Composition and text <Tono>

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俳句帳 旅の欠片や 春隣   殿

2020年03月07日 | Weblog
575と指折り数えて・・・旅の一句がうまれました。
それを「旅の欠片」と言い留めました。(遅足)



旅の一コマの思い出を俳句帳に書き留めるあたたかさをかんじます、と紅さん。
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半跏して思惟の指先冴え返る  狗子

2020年03月06日 | Weblog

半跏思惟の仏像の指先に春の寒さを感じ取った作者。
身の引き締まるような余寒のなか、
その指先はかすかに震えていたのかもしれませんね、と亜子さん。

国宝弥勒菩薩はあまりにも有名、広隆寺の仏が連想されすがすがしい気分になった。
凛として張り詰めた冷気の中で、この世の中のあれこれを憂いているのだろうか。
と、千香子さん。

京都・広隆寺の半跏思惟像。不思議な魅力のある仏像です。
「知」というものを目に見えるかたちにすると
こういうものになるのか、とも思いました。
この句を読んだら、また行ってみたくなりました。遅足
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石蹴りの石の声聞く春隣  遅足

2020年03月05日 | Weblog

石の声 という言葉が題詠の中で、唯一現実にはないもので、あれこれ考えました。
どんな声だろう、そう考えるところに意味がある俳句なのでしょうか?と千香子さん。

とてもいい質問です。
殿様の先生の「意味不明。石の音とすれば加点。20点」も同じような疑問だと思います。

石の声、とは擬人法です。
声とすることで作者は石と対話ができるようになりませんか?
石蹴りをして遊んだ子供のころに帰って・・・。

石の音、としても、音を聞きながら昔を回想するということは可能。
擬人法はどうか?という考えもあります。

季語は生かされていると思います。
いま気づいたのですが、この句「聞く」は必要でしょうか?
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冴え返る雑事をはなれ花鋏  晴代

2020年03月04日 | Weblog

静謐な時間の流れを感じます。
この方はたぶん高齢で一人暮らし、
雑念を、整理しているのかもしれません。
余生を生ききる作者の矜持のようなものさえ感じます。

きちんと暮らしている人に敬意をこめて一票、という方も。

冴え返る、という季語がよく効いていますね。遅足
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雛求む退屈顔は男親  すみ

2020年03月03日 | Weblog
母親と娘はお雛さま選びで、はしゃいでいる。
それを退屈そうに見ている父親。
女の買い物はいつも時間が掛かるんですよね、と狗子さん。

我が家には女の子はいないので、こうした体験はありませんが、
とてもよく分かります。
奥さんの買い物についていくのですが・・・。
どうしても気が入りません。

よく見かける風景だけに句にするときは一工夫が必要。
もう少し観察して・・・。遅足

 
 
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急かされて寝ぐせつきたる木の芽たち   郁子

2020年03月02日 | Weblog

「春だよ」と急かされて、寝ぐせ=枝の曲りも直せないで、起きようとする。
そんな木の芽の様子を詠んだ句で良いのでしょうか?
木の枝の寝ぐせ、という比喩表現は独特でいいけれど、
それは本当は何を表現してるのでしょうか。竹葉さんの質問です。(遅足)
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春北風(はるならい)躓いて目に仔犬かな   遅足

2020年03月01日 | Weblog

春北風。春の北風(ならい)。
ならい、とは、冬の寒い風のこと。
東日本の海沿いの地方の方言。ならい風。冬の季語。

低気圧の影響で一時的に西高東低の冬型気圧配置に戻り、
冷たい 北西風が雪を伴って吹く。
一時的に季節の戻りを感じます。
春一番。春疾風。なども同じような季語です。
こちらは春の季語です。

等さんの読みです。
散歩中、何かに躓き転んだら?目の前に子犬がいた・・・
こんな句だが、何故か春間近かのホットした感じがする。
「仔犬」が良く効いている。

これに対して殿様からは、こんなメールが。
大学の俳句同好会の顧問を務める古文の教授に採点を依頼しました。
結果は「意味不明 0点」

さまざまな読みのあることは嬉しいことです。
0点は分かりますが、「意味不明」はちょっと・・・。(遅足)


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