*良夜 月の美しい夜の意。 岐阜ひるがの高原にあるモンゴル村。流行りのグランピングでしょうか。実は、パオの室内装飾を見たのは初めてです。「パオ」<包>は中国語。「ゲル」がモンゴル語との由。モンゴル人の青年たちが羊や馬の世話をしています。今夜はモンゴルの遊牧民たちの住居「パオ」という天幕で眠ります。<殿>

飛騨と信州を繋ぐ野麦峠。能登で取れたブリを飛騨を経由して信州へ運ぶ古道とし発展。明治から大正に飛騨から信濃の製紙工場に出稼ぎにきた女工たちの冬の難所として映画化されています。安房トンネルが開通してからは乗鞍や御嶽を望む絶景スポットとして人気を博しています。11月より冬季の通行止めとの告示。標高1600mにある野麦峠。すでに美しい紅葉が始まっています。

昭和には、独特の文様が施された曇りガラスが流行したとの由。ガラスには「銀河」「古都」「銀杏」といった商品名がつけられ、いまではアンティークな希少品として扱われているようです。鎌倉の隣家のレトロな曇りガラスは「霧」という商品名。ご主人の話だと窓ガラスごしの景色は昭和のままとのこと。秋の日が影を作ります。
虫すだくの「すだく」を漢字にすると<集く> 虫が多く集まることで、虫が鳴く意となると誤用だとありました。
私は、虫が一斉に鳴いてあたりに響きわたることと思いこんでいましたが違っていました。
「音」が降り注ぐようであるなら 虫時雨
虫が鳴くだけで真っ暗な闇夜であれば 虫の闇
秋の深まるなかでなお生き残っている虫は 残る虫
虫の声をしたって郊外を歩くことを 虫聞き・・
虫の音、風の音にもののあはれを知る日本人ならではの繊細さを感じます。
等さん: 冬を前に虫などが集まって騒ぐ頃になりました。車椅子の生活になって1年、時のたつのはしみじみ早いものです
結宇さん:一年は早いような感じもあるけど、なかなかそう簡単には表現出来ないでしょう・・・
千香子さん:過ぎた1年は早いですね。これからも頑張ってください。
亜子さん:◎の句。車椅子の生活になるのは衝撃的なこと。その生活が一年になるという感慨と「虫すだく」という季語の取り合わせがよい。
一途に虫の声を聞いていると心が清らかになり、全てを受け入れていくという静かな心境になるのかも知れません。

もう一句
十月は 開くと青い音がする 遅足
麗子さん:「青い音」それは雲一つない青空の音でしょうか?
乾燥した空気に何もかも響き渡ります。他の月ではない「十月」しか感じられない音でしょう。参りました。
殿さま:色彩学で青は寒色です。作者が開いたのは秋の冷たさでしょうか。自由律にも感じる口語調。しかし、他の句の追随を許さない佳句といった感。
紅さん:不思議な魅力を持った句だと思いました。


遅足さんの頭の中には、真っ青に澄み渡った空が広がっているのでしょうね。郁子
亜子さんの亡きご主人はボトルシップをはじめ、本棚や屏風などなんでもご自身で作られる方だったそうです。
お天気のいい日は作業台のあるベランダでよく釘を打っておられたとのこと。ベランダには今も大工道具がいっぱい残っているそうです。秋晴れの日、今もその音が聞こえてくるような。それは悲しい音ではなく明るい平和な音だそうです。少しずつ悲しみも懐かしい思い出に変わって行くのですね。
結宇さん:秋天に立ち上がってゆくのでしょうね。ふとくぎ打ち作業の時に
思い出す亭主のありがたさかな? 失礼。
竹葉さん; お別れの時のあの釘打ちの響きは「秋晴れ」の季語に合ってて、じめじめはしてないけれど、未だ亡き人を忘れられない心が伝わってきます。
★★★
私も竹葉さんのように最後のお別れの時のことを詠んだのかも?と思いました。「秋晴れて」という季語に天に召されるある種の明るさや穏やかさも感じられました。あるいは、どこからか誰かの釘を打つ音が聞こえて来て、日曜大工などで釘を打っていた生前のご主人を思い出されたのかも知れないと。いづれにしても乾いた秋空にも心にも響きく音だと思いました。
それにしても俳句で亡き人のことを詠むという行為は、何よりの供養であり癒しでもあると思います。私もどうしても亡き母のことを詠んでしまいます。亜子さんの亡きご主人への俳句は時を経てこれからますます深みを帯びていくことと思います。麗子
お天気のいい日は作業台のあるベランダでよく釘を打っておられたとのこと。ベランダには今も大工道具がいっぱい残っているそうです。秋晴れの日、今もその音が聞こえてくるような。それは悲しい音ではなく明るい平和な音だそうです。少しずつ悲しみも懐かしい思い出に変わって行くのですね。
結宇さん:秋天に立ち上がってゆくのでしょうね。ふとくぎ打ち作業の時に
思い出す亭主のありがたさかな? 失礼。
竹葉さん; お別れの時のあの釘打ちの響きは「秋晴れ」の季語に合ってて、じめじめはしてないけれど、未だ亡き人を忘れられない心が伝わってきます。
★★★
私も竹葉さんのように最後のお別れの時のことを詠んだのかも?と思いました。「秋晴れて」という季語に天に召されるある種の明るさや穏やかさも感じられました。あるいは、どこからか誰かの釘を打つ音が聞こえて来て、日曜大工などで釘を打っていた生前のご主人を思い出されたのかも知れないと。いづれにしても乾いた秋空にも心にも響きく音だと思いました。
それにしても俳句で亡き人のことを詠むという行為は、何よりの供養であり癒しでもあると思います。私もどうしても亡き母のことを詠んでしまいます。亜子さんの亡きご主人への俳句は時を経てこれからますます深みを帯びていくことと思います。麗子

澄んだ大気の状態で見える水平線は約40km。地球は丸いのでその先は見えなくなります。ワイドレンズでの撮影。丸くなった東京の海。どこまでも秋の夕焼けに染まっています。

小春日。英語では「インディアンサマー」植民者とインディアンの土地争いがおこなわれていた18世紀の北米。よく晴れた秋の夜には霜が降りるため、地面がぬかるみ馬の足跡を消してくれることから襲撃の日を意味したことが語源の由来。日本では春のような穏やかな暖かい日。小春日には思わず背伸びしたくなります。
この句の魅力は しゃららら ですね。とても効果的に句全体を動きのあるものにしています。
等さん:
過去を振り返る時は、往々にして悲しいものですが、
これを“しゃらららら”と 軽いオノマトベでかわした点が良いと思いました。
殿さま:
桜紅葉<さくらもみじ>
擬音は冗漫になることが多く私的には避けています。そして「しゃららら」デジタルではありえないアナログ的な音。
懐かしいビデオテープや16mmフィルムを彷彿。擬音がレトロな作者の世界観を生み出しています。
映像に造詣の深い殿さまならではの感想です。
作者・竹葉さんにも伺いました。
「ありがとうございます。
紅葉では真っ赤でも黄でもない色んな明るい色のある桜の葉がすきです。
過去を振りかえるこの時期をからからと落ち葉の音にしようと思ったのですが、
過去の彩りもなくなるので明るい言葉を探しましたが、今度はかるがるしくなってしまいましたね。」
いえいえ、とてもオリジナリティーにあふれる しゃららら と思います。
降りしきる落ち葉がタイムワープの役割をはたし、自分の立ち位置も浮遊する感じ。
感動や感じた多くのことをたった十七音で表すのは難しく、
言い足りないものになったりしますが、
意表をついた擬態語が、ときにとても雄弁に世界観を広げます。
もちろんそのオノマトペが成功した場合ですが。。
今日から10月です!
禁解けて街しゃらららとマスク行く 郁子
これは失敗例?(笑)
等さん:
過去を振り返る時は、往々にして悲しいものですが、
これを“しゃらららら”と 軽いオノマトベでかわした点が良いと思いました。
殿さま:
桜紅葉<さくらもみじ>
擬音は冗漫になることが多く私的には避けています。そして「しゃららら」デジタルではありえないアナログ的な音。
懐かしいビデオテープや16mmフィルムを彷彿。擬音がレトロな作者の世界観を生み出しています。
映像に造詣の深い殿さまならではの感想です。
作者・竹葉さんにも伺いました。
「ありがとうございます。
紅葉では真っ赤でも黄でもない色んな明るい色のある桜の葉がすきです。
過去を振りかえるこの時期をからからと落ち葉の音にしようと思ったのですが、
過去の彩りもなくなるので明るい言葉を探しましたが、今度はかるがるしくなってしまいましたね。」
いえいえ、とてもオリジナリティーにあふれる しゃららら と思います。
降りしきる落ち葉がタイムワープの役割をはたし、自分の立ち位置も浮遊する感じ。
感動や感じた多くのことをたった十七音で表すのは難しく、
言い足りないものになったりしますが、
意表をついた擬態語が、ときにとても雄弁に世界観を広げます。
もちろんそのオノマトペが成功した場合ですが。。
今日から10月です!
禁解けて街しゃらららとマスク行く 郁子
これは失敗例?(笑)