575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

中日歌壇! (12/4)

2022年12月05日 | Weblog

 

昨日の中日新聞・中日歌壇に、575のメンバーである佐保子さんの短歌が選ばれ掲載されました!

 

 なにがありなにがないのか八十年生きこし私秋の日に思ふ

 

小島ゆかり先生が一番に選ばれています。

【評】人生は予想外のことの連続で、有形無形の何かを得たり失ったり。

自分でもよくわからない現実を生きる。「なにがありなにがないのか」という

秋の日の感慨に、八十歳の深い味わいがある。

 

ご本人は

「2回目の投稿で2回ともとって貰えてちょっとビギナーラックにしては、出来過ぎな感じです」

とおっしゃいますがとんでもない。実力です!しみじみと心にしみます。おめでとうございました

 

 

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くつくつと煮える湯豆腐寄る辺なき  麗子

2022年12月02日 | Weblog

豆腐の動きに着目した一句

くつくつで笑い声を想像し、楽しい動きの描写と思ったら下五で「寄る辺なき」と来ました。

・・・?と余韻の残る気になる句です。

能登さん: 食べ頃なのに、誰にも掬われない湯豆腐の気持ち、と詠み、いただきました。

千香子さん: 湯豆腐といえば何となく人生の哀歓が漂うイメージがあります。一人これからどう生きていくのか、みたいな感じがあります。(自分に置き換えて言っている)

竹葉さんもとられています。

作者は豆腐の動きが頼りなく見えたのだそうです。その時の内向きな自分の気持ちを豆腐に投影したのでしょうか。

 

逆にちょっと引いて外から湯豆腐を見る目の句。

 湯豆腐や阿吽のなかのちりれんげ  晴代

 

結宇さん。: 湯豆腐を食べる時必須ですね。 一人ではなく、家族での雰囲気ですね。

須美さん: 阿吽のなかが効いている。

 私もいただきました。

ちりれんげと豆腐のセットで阿吽のなかとしたのか

一つのちりれんげが絶妙な間合いで行き来する長年連れ添った老夫婦を詠んだものか、意外に大家族か

湯豆腐鍋のまわりの人間模様も見える一句です。    郁子

 

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湯豆腐のもう食べ頃と身を揺らす  能登

2022年12月01日 | Weblog

師走に入り一気に寒くなりました。いよいよ湯豆腐の出番ですね。

能登さんのこの句は、擬人化の一句。湯豆腐が煮えて「今が食べごろよ」と体を小刻みに揺らします。なんだか豆腐がいとおしく思えるユニークな句ですね。

郁子さん:擬人化がいいですね。

泉さん:ぐつぐつと煮えてくる湯豆腐に合わせて身も動く。

遅足さんも採っておられます。私もいただきました。同じ様子を詠まれた

亜子さんの

     ひと揺らぎして湯豆腐の掬はるる

と迷いました。

亜子さんの句のポイントは「ひと揺らぎ」という繊細な動きに目をつけられたところだと思います。煮え過ぎるとおいしくないですもんね。

能登さん:拙句と同じことを詠んでいますが、こちらの方が俳句として上等。

郁子さん:豆腐が鍋から掬われるとき、確かに揺れますね。そこに目をつける作者の鋭さ、それこそ美味しい揺らぎです。

遅足さん、佐保子さんも採られています。

どちらも微妙な湯豆腐の動きを捉えた秀句だと思いました。どちらが上等ということではなく好き好きだと感じました。いずれにしても、鍋にかけてほったらかしではいけませんね。

今度湯豆腐を作る時は、この二つの句を思い出して、鍋の中をじっくり観察して食べ頃を見落とさないようにします。湯豆腐、なかなか奥深いです。       

                            麗子

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