人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

与那国島のティンダハナタ

2007年06月07日 | 島旅:与那国島

 船が祖納集落の沖を通過するとき、この様な風景が見えてくる。左端が祖納集落と波多浜(ナンタハマ)、 中央の切り立った崖がティンダハナタ、右端が宇良部岳(231m)です。今日はこのティンダハナタへ登ってみまし ょう。とは言っても車で行けます。

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 ティンダハナタの断崖は、隆起した琉球石灰岩の崖です。与那国島全体は、多くの断層によって階段状の 地形を成しており、このティンダハナタの崖も断層崖である。この遊歩道は、基盤岩の八重山層群の砂岩と上部 の琉球石灰岩の不整合面に沿って生じた差別浸食による窪地に作られている。

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 ティンダハナタから見下ろした祖納集落とナンタ浜、港湾建設が進みナンタ浜は港の中の一部に成ってしま っている。与那国島は別名「女護が島」と言う。この浜に船が着くと、島の乙女達が浜辺に自分の草履を揃え、 自分の草履を履いた人を島に滞在中世話をした、と言う言い伝えである。この話本当のところは、人頭税を負 けて貰うために自分の娘を琉球王府の役人に現地妻・妾として差し出した、と言うことらしい。

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 ティンダハナタにはサンアイ・イソバの碑が有る。サンアイ・イソバとはサンアイ村生まれのイソバの意味で、 身の丈八尺の女傑であったそうな。クブラバリやトゥングダの悪習を改めたり、宮古島からの軍勢を撃退したり して島民の信頼を得、女酋長として君臨したという。

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与那国島・・・クブラバリ

2007年06月06日 | 島旅:与那国島

 与那国島の久部良港へは14:30入港、本日の宿は港のすぐそばなので荷物を置いてクブラバリへ向かう。ク ブラバリは港のすぐ裏の崖の上に有るので歩いて15分ぐらいの所。ただし、現地には標識も何も無いので、ク ブラバリが何なのかを事前に知っておかなければ解らない。テッポウユリがチラホラ咲く丘の上から久部良港 が見える。中央の白い船は、先ほど乗ってきたフェリーよなくに。

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 港の入り口には、太平洋の荒波から久部良の集落を守る様に西崎が半島状に突き出している。

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 クブラバリとは、クブラ(久部良)のバリ(割れ目)の意味である。八重山層群の砂岩に出来た幅約3.0m、深 さ5.0m程の開口亀裂。現在は土砂が堆積しているが、昔は深さ7.0m程有ったらしい。西暦1500年ごろ、人口制 限策のため島の妊婦たちを飛び越えさせた、とする所である。若い男性ならまだしも、身重の女性が飛び越せ るかは五分五分と言ったところか。ためしにお前さん飛んでみろ、と言われたら御遠慮申し上げる。

 なんでこんな残忍で悲惨な人口制限策が取られたか、一説には食糧難のため人口抑制策として行った。も う一説は人頭税軽減のため頭数を減らした、とするもの。もう一つの人口抑制策として行われたのが、トゥングダ (人升田)と呼ばれる狭い田に島民を非常招集し、はみ出した者を惨殺したとする椅子取りゲームによる方法 である。これらは不具・廃疾者(現在は放送禁止用語か?)虚弱者を淘汰する狙いがあったとされる。いずれに しても、日本の辺境・絶海の孤島なるがゆえの生き延びんがための悲しい「知恵」であったのだろう。

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与那国島へ

2007年06月05日 | 島旅:与那国島

 石垣島から与那国島まで、127kmを4時間かけて航行する福山海運のフェリーよなくに。498tで巡航速度 17.3ノット(時速約30km)4000馬力、定員100名片道運賃3,460円です。今までの離島間の移動は、数十トン クラスの高速船だったので大きく見えるが、外洋を航海するフェリーとしては小型だ。荒天時は面白いように揺 れるそうだが、当日は残念ながら通常運航だった。

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 石垣港を出て30分もすれば、左手に西表島が右手に鳩間島が見えてくる。この間を通過すれば、後は絶海 の孤島与那国島まで外洋の航海となる。

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 航海も3時間を過ぎた頃、前方に与那国島が見える。左端が東崎(アガリザキ)、右端が西崎(イリザキ)、 中央の高い山が宇良部岳(231m)である。

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 船が島へ近づくと、これまで航海を共にしてきたカツオドリの群れが船から離れてゆく。彼らは船に驚いて飛 び出してくるトビウオを狙って、ズーッと一緒に飛んできた。

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 日本国の最西端の西崎です。ここから台湾まで111kmとか、石垣島より近い。左の灯台を回り込めば、船の 入港する久部良港です。本日の航海は4時間30分掛かった。

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