ハイキング感覚で登れる身近な山なのですが、現在は噴火の恐れが有るため入山禁 止です。上から見下ろす大沼・小沼の風景は絶景なのですが、残念です。昔は春夏秋冬 良く登りました。(まだ元気が有った)下の写真は駒ヶ岳キャニオン(私が勝手に命名)で すが、現在はどうなっているのでしょうか。剣が峰直下から発達する沢地形です。富士山 の、大沢崩れのミニ版とでも言いましょうか。
遠くから眺めれば優雅な山容の駒ヶ岳ですが、中に入り込めば結構荒々しい山です。 馬の背噴火口の全容は、航空写真でなければ良く解りませんが、次回昔撮った写真を紹 介します。山麓では、大規模な泥流対策工事が行われています。どの様な規模の噴火に 対する工事なのか、納税者には説明が有りません。自然災害は、予想の付かない要素 が多々ある事は事実です。行政にその全てを説明しろとは言いません、ただその前提と なる仮定条件を説明してほしいと言っているだけです。(それさえ説明出来ない事は重々 承知で言っているのですが)
歩き方は確かにぎこちないが、これ程の直立姿勢で二足歩行する動物は人間以外に居 るだろうか。もしもペンギンが、完全に陸上生活に戻って500万年経ったら、鳥人間に成っ ていると思う。ペンギンの前肢の形はクジラと同じだ。このまま海上生活を続けて500万年 経ったら、羽毛の生えたクジラに成っていると思う。地球環境がこのまま大きく変化しない と仮定すれば、卵胎生の水中動物と成って、水中出産水中子育て一生陸に上がらない生 物と成るかも知れない。
実は私、現在の進化論に若干の疑問を持っている。たとえば「花カマキリ」いかに擬態 する事が生存に有利とは言え、自然淘汰だけであれ程の形態の変化を生ずるものだろう か?遺伝子があたかも外界認識力を持って、自発的に変異している様に思える。こんな 事考える私ってバカかな。
進化論の本を読んでいて思うことは、何か古い博物学の本を読んでいる様な気になる。 もっともこれは、古生物学の分野から進化論を説いている場合の話だが。考古学や古生 物学は、検証再現が不可能な分野だからしかたがないのだろうが。
一億年後に、宇宙人の古生物学者が地球に来て、一億年前の地層と一億五百万年前 の地層を発掘して、直立二足歩行する生物の化石を見たら何と言うだろう「大して進化し てね~なぁ~」。
若葉のオオウバユリ、近くに寄れば独特の臭いがします。これが3~4ヶ月もすれば、2 m近くに成長するのですからスゴイですね。このユリ根は、昔のアイヌの人達の食料でし たが、私も子供の頃食べました。こぶし大のユリ根を採ってきて、焚き火の中に入れて焼 いて食べるのです。決して美味いものではありませんが、おやつ代わりだったのでしょう か。
子供の頃野山で食べたものを思い出してみました。ヤマブドウ、食べ過ぎれば舌が割れ る。コクワ(サルナシ)、食べ過ぎれば痔になる。ヤマグワ、口の周りが紫色になる。イチイ の実、中の種を噛んでしまうと強烈にエグイ。ハイイヌガヤ、松ヤニ臭い。アキグミ、渋み が強い。山桜の実、サクランボには違いないが種ばかし。マルスグリ(グズベリー)、カリッ とした歯触りで酸っぱい。ヒメリンゴ、えぐくて酸っぱい。スモモ、これは美味いが虫が入っ ている。ツツジの花、ほんのり酸っぱい。カエデの若葉、かなり酸っぱい。ヤマブドウの 蔓、相当酸っぱい。エゾニュウの若い茎、なんとも言われぬ味がした。エゾノギシギシ、わ ずかに甘く酸っぱい。イタドリの茎、酸っぱくて美味しい。ツメクサ(クローバー)の蜜、花を 引き抜いて付け根をチュッと吸う。その他毒で無い物色々。
今になって考えて見れば、ほとんどヒグマかノウサギみたいな食生活ですな。
支笏湖の風不死岳(1103m)から見た恵庭岳(1320m)と樽前山(1038m)です。支笏湖は、 約二万年前の破局的大噴火によって生じたカルデラ湖です。当初は円形だったのでしょう が、恵庭岳・風不死岳・樽前山などの外輪山が噴火し、現在のまゆ型に成ってしまいまし た。また当時は太平洋に流れていた石狩川が火砕流により埋没し、日本海へと流路を変 えました。この火砕流は、札幌市にまで達しています。建築用石材として有名な札幌軟石 です。(溶結凝灰岩のこと、地質図でピンク色の部分)
すでに活動を停止しているとは言え、札幌市の南西部には火山活動の跡だらけです。 樽前山は今後小規模な噴火が予想され、厳重な監視下に置かれていますが、支笏火山 そのものが再度破局的大噴火を起こしたらどうなるでしょう。その様な事態を想定し書か れたのが石黒あきらの小説「死都日本」です。おすすめ本に追加しておきました。小説の 題名で解るとおり日本と言う国は、地獄の釜の蓋の上に有る様なものです。いつ何時釜 の蓋が開くかも知れません。
なぜこの様な事を書くかと言えば「災害は忘れた頃にやって来る」という言葉が有りま す。これを裏返せば「自分が生きている間に特別な事は起こらない」と言う思い込みです。 地質学的時間スケールと比較すれば、一人の人間の一生などは一瞬の間です。よほど 運が悪くなければ、地質学的特別な事態に遭遇する事はないでしょう。でもこれは確率の 問題なのです。確率が0で無い限り、いつかはやって来る運命です。