硫黄島は何処へ行っても「俊寛の〇〇」だらけの島なのです。
これは開発総合センターの前庭にある「ワシも乗せてくれ~っ」と沖の舟に
向かって叫ぶ歌舞伎で有名なシーンの俊寛像です。
そもそも俊寛とは・・・・・・と言うことらしいは。
そしてこれがその俊寛堂、集落からかなり離れた山の中に有りました。
本当にこんな所に一人で住んでいたのなら、完全なひきこもりですね。
これも有名ですが、硫黄島にはこんな物も有りました。
そしてこれがその説明文。
俊寛が鬼界ヶ島(硫黄島)へ流されたのが1177年、37歳で死んだのが1179年、
安徳帝が壇ノ浦の決戦後すぐに硫黄島へ落ち延びたのであれば1185年、
俊寛没後わずか六年ということになります。
平家の落人ぐらいは居たでしょうが、安徳帝本人となれば少々マユツバです。
もし本当なら、敵も味方も分け隔てなく受け入れた島の人はえらい。