ズーッと原点に返って、そもそも「実在論」て何に(?)と考える。バクテリアや犬猫にとっての実在論は「そ いつは危険なやつかね、食えるの、食えないの、それさえ解らぁ~いいんだよ」てなもんでしょう。 人間がややこしい事を考える様になったのは、生存に必要最低限以上に脳が進化し、余った機能を暇つぶし に使う様になったため、と言い切ってしまうのだ。
すなわち、実在論の片方には常に人間の脳細胞の働きが有って、あるがままのこの世の実在についての み語っているわけではないのです。そこで人間が考えたのは、神の視点=人間の視点=人間の脳機能と、ある がままのこの宇宙の実在とを切り離す方法論、いわゆる科学です。
科学的方法論も人間の脳機能の働きであるから切り離す事は不可能とする考え方や、人間の脳もこの宇宙 の実在の一部であるから可能とする考え方、さらに実在の一部が全体を認識出来るのか、などなど色々あって 私には解りません。
いずれにしても「実在論」とは、暇な知的生命体の存在が前提条件となる事は確かな様です。では何故、い かに脳の一部が暇をもてあましていたにしても「実在とは何か」なんてことを考えたのでしょうか。本当は、この 世に実在なんて物は無く、全て夢幻にすぎないんじゃないだろうかと、ウスウス感じていたからじゃないでしょう か。
色即是空 空即是色
いかに暇人とは言っても、何時までもこんなアホな事書いていてもラチがあかないので、ここらでおしまい。時 間と空間の実在論、時空論とは結局のところ自論と空論の自空論なのだ・・・・・以上おしまい。
追記:昔ここでお坊さんが座禅を組んで修行していたそうです。色即是空?色即是空?・・・・・・?一種の思 考実験だったんでしょうね。