人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

暇人の暇つぶし・おしまい

2007年01月30日 | 今日の雑感雑記

Photo_322

 ズーッと原点に返って、そもそも「実在論」て何に(?)と考える。バクテリアや犬猫にとっての実在論は「そ いつは危険なやつかね、食えるの、食えないの、それさえ解らぁ~いいんだよ」てなもんでしょう。  人間がややこしい事を考える様になったのは、生存に必要最低限以上に脳が進化し、余った機能を暇つぶし に使う様になったため、と言い切ってしまうのだ。

 すなわち、実在論の片方には常に人間の脳細胞の働きが有って、あるがままのこの世の実在についての み語っているわけではないのです。そこで人間が考えたのは、神の視点=人間の視点=人間の脳機能と、ある がままのこの宇宙の実在とを切り離す方法論、いわゆる科学です。

 科学的方法論も人間の脳機能の働きであるから切り離す事は不可能とする考え方や、人間の脳もこの宇宙 の実在の一部であるから可能とする考え方、さらに実在の一部が全体を認識出来るのか、などなど色々あって 私には解りません。

 いずれにしても「実在論」とは、暇な知的生命体の存在が前提条件となる事は確かな様です。では何故、い かに脳の一部が暇をもてあましていたにしても「実在とは何か」なんてことを考えたのでしょうか。本当は、この 世に実在なんて物は無く、全て夢幻にすぎないんじゃないだろうかと、ウスウス感じていたからじゃないでしょう か。

      色即是空     空即是色

いかに暇人とは言っても、何時までもこんなアホな事書いていてもラチがあかないので、ここらでおしまい。時 間と空間の実在論、時空論とは結局のところ自論と空論の自空論なのだ・・・・・以上おしまい。

 追記:昔ここでお坊さんが座禅を組んで修行していたそうです。色即是空?色即是空?・・・・・・?一種の思 考実験だったんでしょうね。


暇人の暇つぶし・その5

2007年01月29日 | 今日の雑感雑記

Photo_321

 一個の光子とこの全宇宙が同じ空間を占めている、重なり合っているなんてアホな事をなんで考えたかには 理由が有ります。一個の粒子を観測することで、遥か遠く離れた別の粒子の性質が瞬間的に変化するという 「量子の絡み合い」と呼ばれる遠隔作用です。アインシュタインは、そんな気味の悪い遠隔作用が有るはずが ないと否定しましたが、その後実験によって確認されてしまいました。(知らない人は、WikipediaでEPRパラドッ クスを検索してね)

 絡み合った一方の粒子が変化すれば(観測により性質が確定すれば)、もう一方が「宇宙の何処に有ろうと も」それは「瞬間的に」変化する(有るべき性質に確定する)。暇人は頭が悪いので、ベルの不等式なんてやや こしい事は考えず、距離(空間)と時間の概念を取り去ってしまえば、別に不思議でも何でもないじゃないかと 思ったりするのです。二つの粒子は、何時でも何処でも一つの「空間」の中に居るのですから。

 そうなると、人間の感性・観測・実験って何だろう、という別の疑問に突き当たらざるを得ません。人間の感 性(感覚器官)・観測装置・実験装置はマクロな質量の塊ですから、有る程度まとまった質量になればそこに時間 と空間が発生してくるのかも知れません。またはミクロな粒子とマクロな質量の相互作用の結果時間と空間が 発生するとも考えられます。人間は、空間も時間も無いミクロな世界(次元)の現象を、空間と時間の窓を通し て見ているだけなのでしょうか。・・・・次回に続く。

 追記:故人となってしまいましたが私の古い知人に「空気より重たい物が空を飛ぶ訳が無い、あれは何かが 間違っているから飛んでいるのだ」と最後まで言っていた人が居ました。現実を否定し、物事を裏から見る姿勢 を教わりました。案外真実は、そんなところに隠れているのではないかと。


暇人の暇つぶし・その4

2007年01月28日 | 今日の雑感雑記

Photo_320

 二重スリット実験では、光子以外に電子や中性子を飛ばしても干渉模様が現れます。ところが、なんとなん と、炭素原子60個がサッカーボール状になったフラーレン(C60)を使った実験でも干渉模様が観測できたそうで す。炭素原子60個とは、陽子・中性子・電子がそれぞれ360個の集団ですぞ。こんなものまで波としての(電磁 波として)性質を示すとは、改めて実在とは何ぞやと頭を抱えざるを得ません。

 二重スリット実験では、こんな大質量を光速まで加速する事は不可能ですから、時空が消滅するというロジ ックは使えません。物質とはもともと素粒子の集まりですから、素粒子とは何ぞやと言う所から考え直さなければ 成りません。ここで、えいやっ!と無理矢理結論にもってゆけば、物質とは実在ではないと言うことです。

 目に見える物質世界(と思い込んでいる)の中で進化してきた人間には「そんなバカな」と言わざるを得ませ んが、これはただ人間のア・プリオリな直感がそれを許していないだけなのです。

 電子もクオークも(それが三個集まった陽子や中性子も)実在でないとしたら、それらがさらに集まった石コロ や我々人体も実在でないことになる。我々はなぜ物を物として認識しているのだろう。感覚器官と脳細胞によっ てである。その内の視覚について考えてみよう。

 人間の目が感知し得る可視光線領域の周波数で見れば、人体は不透明な物体として認識される。それより 波長の短いX線で見れば、かなりスカスカになってくる(レントゲン写真でおなじみのはず)。さらに波長の短い γ線でみれば、完全な透明人間になってしまうでしょう。百聞は一見に如かず、と言いますが視覚で認識する と言うことは、実はかなりあやふやな概念なのです。・・・・・次回に続く。


暇人の暇つぶし・その3

2007年01月27日 | 今日の雑感雑記

Photo_319

 「飛んでいる光は止まっている」なんてゼノンのパラドックスみたいなこと言いましたが、これは観測者の立 場の違いのことで、光の立場から見れば止まっている、人間(マクロな静止した質量の塊)から見れば秒速30万 kmということです。

一個の光子にとっては、時空の概念(実在)が無いのですから、人間が勝手に決めた137億光年の宇宙空間 も、距離がゼロで移動時間もゼロの「空間」となります。両者とも実在とすれば、人間の目から見た(観測した) 137億光年の宇宙と一個の光子が認識する時空は、お互いが内在しあっている、重なりあっているとも 解釈出来ます。

 ではその一個の光子は、人間の目にはどの様に見えるでしょうか。直感的には、宇宙全体にボワァーっと広 がった状態が考えられます。なぜなら、一個の光子の中に宇宙全体が入っているのですから。そんなアホな、 とお思いでしょうが、これを類推させる事象が観測によってほぼ間違いのない事実として考えられています。そ うです、ブラックホールです。その内部(が有るとすれば)には膨大な質量が詰まっているのですが、時間も空 間も有りません。(何故かは、アインシュタイン先生に聞いてね)

 一方光子からすれば「私は私で此処に、粒子として居るじゃないですか」と言っているかも知れません。人間 も光子も対等な実在とすれば、その両方とも正しいと考えざるを得ません。別に人間の方がエライ訳じゃないん ですから。(蛇足:これをコペルニクス的展開と言い絶対者の視点「神様とか人間が一番エライと思っている人 のこと」を排除する考え方)だとすれば、光が粒子に見えたり電磁波に見えたりしたっていいじゃないですか。 両方ともアリなんだから。

 そろそろ話の内容が、暇人の妄想の領域に突入してきました。これから先をお読みになる方は、眉毛に唾を ベトベトに付け、決して信用なさらぬように。・・・・次回に続く。

 追記:新見温泉駐車場の脇に立つミズナラの巨木。蘭越町指定の名木。晴れていれば、この木越しに目国 内岳が見える。今は唯の枯れ木にしか見えない。


暇人の暇つぶし・その2

2007年01月26日 | 今日の雑感雑記

Photo_318

 一年経てば一歳年を取り、頭の毛が少し薄くなりボケてきたり、六畳間が四畳半より広いことから、時間と 空間の実在性は自明の理のように思はれている。ビンボーくさい例えなのでアカデミックに表現すれば、ニュート ン力学における絶対時間と絶対空間である。哲学用語で言うならば「ア・プリオリ(先験的)な直感」てなところ でしょうか。でも本当に時間とか空間なんて物が実在するの?と暇人は考えてしまうのです。

 真空中の光の速度は毎秒30万kmで、これは絶対不変の値である、と教科書に書いてある。では速度とは 何でしょう。

 速度=距離(空間の広がり)÷時間のことですから、ここからはアインシュタイン先生の出番です。先生は速 度が光速に近づけば、空間の長さは限りなくゼロに近づき、時間の進行も限りなく遅くなると言っています。光 速度では空間は縮まりゼロとなり、時間の進行も停止しゼロとなるはずです。

 すると 30(万km/秒)=0(万km)÷0(秒)、こんなバカな数式が成り立たないことは小学生でも解ります。 正解は「飛んでいる光は止まっている」または「時空という概念そのものが無い」です。光の立場から言わせれ ば「あんたら勝手に30(万km/秒)で飛んでいると言うけれど、私は生まれてこの方ここから一歩も動いたことな いんよ」てなところでしょうね。でも、そう言われて困るのは人間の立場です。・・・・次回に続く。

 追記:新見温泉は、JR蘭越駅から10kmの山の中に有ります。周りにはなぁ~にも無い所で、まさに秘湯ち ゅうの秘湯です。開湯は明治41年で、開祖の新見直太郎が夢のお告げにより・・・云々(よく有る話)。でも当時 は、とんでもない山の中だったみたい(今でもそうですが)。宿泊料金は、3~6泊の短期湯治で三食付き6,500 円です。


暇人の暇つぶし・その1

2007年01月25日 | 今日の雑感雑記

Photo_317

 暇なので今度はニセコ山系の新見温泉へ湯治に行ってきた。湯治と言う物は、朝昼晩三食宿のメシを食 べ、朝昼晩温泉に浸かり、それ以外にやることが無い。したがって、暇人が暇つぶしに湯治に行くと言うことは、 本末転倒な行為であった。

 暇つぶしの暇つぶしに寝っ転がって、天井の節穴数えてみてもしょ~がないので、何か考えてみることにし た。すぐに答えの出る考えは暇つぶしにならないのでダメである。なかなか答えの出ない事、いやいっそうのこ と答えの無い事を考えて見るのが良さそうである。まずは答えの無い事とは何かを考えて見る、これでケッコー 時間をつぶせる。

 紀元前の哲学者から今日の物理学者まで、2000年の長きに渡り人類の英知が考えても答えの出ないも の、「実在論」なんてのが暇人にとっては「バカな考え休むに似たり」で暇つぶしにはピッタシである。アリストテレ スやデカルト・カントなどの実在論は、そもそもその哲学的素養が私には無いため、考える糸口さえ無いのでこ れはパス。生かじりの耳学問で、相対性理論や量子力学なんて方面からの実在論が、手前勝手で的はずれ な空論に成る可能性が大なので暇つぶしにはもってこいである。

 無謀にも時間と空間の実在性について、こんな所から考えてみよう。・・・次回に続く。

 追記:新見温泉の湯は、石膏泉とのことだが、無色透明無味無臭、限りなく単純泉に近い。主要成分のカル シュムイオンが311.3mg/l ・ 硫酸イオンが907.1mg/l であるからかなり薄い温泉である。滞在中は曇り であったが、晴れたら露天風呂からの星空が素晴らしいと思う。尚、当温泉は由緒正しい湯治場である。食材を 持ち込み自炊しながらの逗留が可能。


雪花

2007年01月19日 | 写真

Photo_316

 山野草の花の写真をメインテーマに始めたブログだが、冬の北海道ではこんな被写体しかない。天気が良 ければ出かける気にもなるが、雪の降る日は家で冬眠状態の毎日。近くに温泉が沢山有るので、露天風呂で雪 見酒なんてのがせめてもの慰め。スキーに乗らなくなって10年近く経つ。また再開しようかと思うのだが、体力 の衰えを考えると恐怖感が先立つ。ファミリーゲレンデでチョロチョロしていればいいんだが、つい昔のつもりで 急斜面に突っ込んで行ってしまいそう。今じゃ恐らく五体バラバラになちゃうだろうな。


手稲山頂

2007年01月18日 | 写真

Photo_315

Photo_314

 昨日の手稲山頂は、こんな感じで窓のしばれもこの通り。やはりこの時期は、暖かい所で過ごすのがいいな ぁ~と思い、宮古・八重山諸島へ行く計画だったんだが冬は冬、いかに亜熱帯気候とは言えあちらも冬は冬気 候、三月下旬デイゴの花咲く季節まで延期した。冬の北海道の贅沢は、何と言っても温泉なので来週ニセコの 新見温泉へ行くことにした。


怖いと思う状景

2007年01月17日 | 写真

Photo_313

_

 今日は朝から天気が良いので、手稲山山頂へ行ってきた。予想通り、陽光に煌めく樹氷の白銀の世界が広 がっていましたが、雲の一片も無い青空から雪が舞い降りてきたので、上を見上げたらこんな光景が目に飛び 込んだ。正直、これは怖いと思いましたね。高さ50m程の鉄塔の氷落としをしているのです。

 高層ビルの窓ふきやロッククライミングなどの光景も怖いが、あれはあれで巨大な物に貼り付いているから まだ安心感を持てる。この場合は、ほとんど空中に浮かんでいるようなものだ。見ている方が怖くなる、それにし ても、寒いだろうな。


地底旅行

2007年01月16日 | 写真

Photo_312

 子供の頃、ジュール、ヴェルヌの「地底旅行」1865年、を夢中になって読んだ記憶が有ります。記憶は定か では有りませんが、最後は石綿で出来た大きな皿(?)に乗ってマグマに押し出され、地底から脱出する話で す。地質学や地球物理学の観点からすれば荒唐無稽な話ではありますが、小説としては面白い。

 地底に大きな鍾乳洞の様な空間が有り、其処には燦然と輝く宝石や貴金属が晶出している、なんて描写が 有りました。地底に空洞は有りませんが、1865年当時としては、かなり正確な科学的描写です。地下数百km のマントルにはダイアモンドを始めとし、宝石の類はゴロゴロ有るでしょう。また地球中心核には、金・白金など の貴金属類はタップリと存在します。

 ここまでは理論的な話であり、誰も見たことは有りません。でもこれはたった100m地下の世界です。空気や 地下水に触れず、数百万年経つとこんなにも美しい岩石になるのです。