3月から4月にかけて約一ヶ月間、八重山諸島を中心に旅をしてまいりました。旅立つ動機は、吹雪舞う寒 い北海道から逃れ、ともかく暖かい所へ行きたかったのです。沖縄本島から宮古・八重山諸島には、日本全国か ら多くの旅人が訪れており、各島の民宿ではユンタクで盛り上がり色々な人々との出会いが有りました。日本 の南の島を旅する人は、人それぞれの思いと訳が有り訪れていた様ですが、やはり共通するものとして意識・ 無意識にかかわらず「非日常の世界での癒し」を求めていた様に思えます。
では何故沖縄(本島とその周辺)であり宮古・八重山なのでしょう。藍い海に青い空、まばゆいばかりの陽 光に白い雲、原色の花々が咲き誇る亜熱帯の森、そんな自然環境自体が都会生活に疲れ切った人々にとって は十分癒しの条件となります。
でもそれだけでしょうか?今振り返って見れば、其処には日本人が遠い昔に忘れ去ってしまった日本文化 の基層の様な物が脈々と生き続けているからではないでしょうか。特に八重山諸島は日本本土は元より、沖縄 本島からも遠く離れた辺境の地です(でした)。さらに西暦1500年琉球王朝による石垣島オヤケ・アカハチの乱 平定を皮切りに、1522年与那国島征服(此処に登場するのがサンアイ・イソバ)、1609年島津侵攻、1879年琉 球処分、1945年沖縄戦と米軍統治、1972年本土復帰までは被抑圧の歴史が約500年間も続いたのです。悪 名高い人頭税が廃止されたのは、なんと1903年(明治36年)今から約100年前のことです。
島々の自然環境は、飲料水もままならず農耕に適さない石灰岩の大地、度重なる台風の被害、一村全滅 に至るマラリアの猛威等々、過酷なものが有りました。物質的豊かさを求めるべきもない人々は、生きるすべを精 神世界に求めたとしても不思議ではありません。その心の救いを、仏教やキリスト教などの権力と結びつき新 たな抑圧の構造を生み出す形式化された宗教でなく、祖先崇拝・自然崇拝という一種の原始宗教に求め、さら にこれを村落共同体のアイデンティテイとした所に生存の知恵が有ったのではないでしょうか。
日本人のいや人類の基層文化は、こうして八重山の人々の心の中に生き続けたのだと思います。現代の 日本人は、心で忘れていても八重山の島々へ行けば、直接DNAへ働き掛けてくる「なにか」を感ずるのではない でしょうか。それが「無意識の癒し」であり、それが故に人々は南の島へ旅立つのだと思います。
沖縄の文化について書かれた文献は多々有りますが、ここで一つだけご紹介します。「沖縄文化論・忘れら れた日本」岡本太郎・中央公論新社です。その中の「何もないこと」の眩暈(めまい)の章は是非ご一読をおす すめします。これは1959年当時の話であり、その多くは本土復帰後に霞ヶ関官僚の手によって破壊され尽くさ れていますが、まだ幾分かは有形無形で残っているのを感じました。
今回は沖縄本島を含め10島を駆け足で回ってきたので、とても島々の深い所までは見聞出来ませんでした が、その中で私なりに気が付いた物を約2000枚程写真に撮ってきました。今までのブログでその極一部を掲 載しましたが、今後写真を見直して何か思い当たる事が有りましたら、ボチボチと拙い文章ではありますがご 紹介したいと思っております。最後に那覇市国際通りの県庁前交差点からお別れします。