安座真港の久高海運の事務所で高速船のキップを買ったら「はい、これ」と言って手渡されたのがこの絵図 面です。代表的ウタキと聖地が記されています。▲17とあるのは島の最高標高と三角点です。
無神論者と唯物(タダモノと読んで下さい)主義者を自認する私ですが、島に上陸すれば何か荘厳な雰囲気 と畏敬の念を感ずるのではないかと期待していたのですが、ハッキリ言って有りませんでした。以下の三箇所 は久高島の代表的ウタキ、説明は絵図面参照して下さい。
外間殿
久高殿
大里家
今まで八重山諸島で見てきたウタキと比べれば何か変、そうです立派な建物・拝殿が有るのです。本来ウ タキには拝殿などの建造物は有りません。何もない森の中の小さな空間、海の彼方を向いた浜辺や岬などが自 然崇拝と祖先崇拝が統合した古代琉球文化独特の聖域であったはずです。「何もない空間」その向こう側に人 は無限の世界を見ることが出来るはずです。
久高島のウタキがなぜ日本本土の神社仏閣の様な形態に成ったのか、それは1470年宮廷クーデターによ って第二尚氏の王位に着いた尚円王(金丸)の祭政一致の統治形態に久高島が取り込まれたことによるので す。琉球の古代から中世への転換を象徴しています。
これに対して、琉球王府から遠く離れた八重山諸島では、古代琉球の聖域「何もない空間」がウタキ(八重 山ではウガン・オン・スクと呼ぶ)として残っている。これは鳩間島のウタキ、素朴ですよね。ヤッパ下々を王の権 威の前に平伏さすためには、それなりのシカケが必要だったてことでしょうね。