昨日ゴッホ展を見てきた、いかにもゴッホの絵らしい色づかいのゴッホの絵が展示されていた。
この頃は絵画と写真やCGとの境界がぼやけてきたが、ゴッホの絵は人の手が描いた絵画そのものだ。
遠くない将来、コンピューターがゴッホの絵を描く時代がやってくる、草葉の陰でゴッホ何思う。
絵画でもない、写真でもない、ゴッホの「寝室」の実物の写真、帰りに寄った紀ノ国屋に展示されていた。
絵画=写真=実物=認識=VR=実在とは?だんだん訳が分からなくなってきた。
写真なんてものはしょせん光の三原色の記録、記録自体は実体のない0か1、
有るのは赤い夕陽を見たという記憶だけ、その記憶も怪しくなってきた今日この頃。
緑色はいいな心が和む、この緑色はこの地球が有る限り毎年やってくる実在。
ボケが進んで記憶が薄れても、新緑の季節にはまた記憶が刷新される。
私が子供だった頃、今から半世紀以上前の昼間の青空は、
月夜の星空の様に濃い青紫色をしていた。
いかにこの地球の大気が汚染されてきたか、
今では成層圏を飛ぶ飛行機の窓からしか見られない色。