人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

バカ旅もそろそろ終わりに

2008年03月09日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 

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今日の札幌地方は、気温10度で快晴、春のような陽気につられ海を見に行く。でもまだ三月上旬、この後寒波も 来れば雪も降るでしょう。北海道の冬はまだまだ続きます。

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 久高島最北端のカベール岬で記念撮影するバカ旅人です。ここまでトータルで110km程歩きましたか。

 バカ旅人は、なぜか上下左右ともに端っこが好きなのです。山が有れば頂上まで登ってみたくなる。洞窟が有 れば底の方まで潜ってみたくなる。岬が有れば先端の方まで行ってみたくなるのです。絶海の孤島の岬の先端なん てのは、ワクワクする様なロケーションじゃないですか。次回の目標は火山島にしょうかな、絶海の孤島に山有り 岬有り、温泉有りとくれば文句無し。

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 久高島には民宿が二軒ほど有るのですが、この「久高島宿泊交流館」ここを利用しない手はありません。久高 島には場違いな、と言っては失礼だが素晴らしい施設です。

 本日の費用 交通費 1,240円 宿泊費 4,400円 飲食費 730円 その他 500円

          小計 6,870円

 今回17日間の旅費は 215,200円でした。航空券を除くと 一日当たり 9,390円 になります。

 やはりレンタカーとガソリン代 (32,290円)が痛かった。


久高島の御嶽(ウタキ)

2008年03月08日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 久高島は別名「神の島」と呼ばれ、シャーマニズム・アミニズムの古代信仰の伝統が色濃く残っている(いた)。 この伝統も、第二次世界大戦と島の過疎化により薄れ、島内に多く残る御嶽(ウタキ)や拝所にその片鱗を見るだけ である。少なくとも、我々部外者にとっては。

 琉球列島の信仰は、古神道の祖型とも言える自然崇拝・祖先崇拝であるから、日本本土の神社仏閣に見られ る様な、虚仮威し(こけおどし)の華美な建築物や神像・仏像は一切無い。芸術家 岡本太郎が「何もないことの眩暈 (めまい)」と言って絶賛した所以である。

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 これは集落の中に有る拝所。小さな森の中の小さな空間。

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 伊敷浜入り口に有る拝所。石を積み上げただけ。

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 森の中の拝所。岩陰に切石の香炉が有るだけ。

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 昔は飲料水を得るための湧水地、現在は禊ぎ(みそぎ)の場、拝所・聖地と成っているヤグルガー。

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 久高島最高の聖地である「クボーウタキ」入り口、男子禁制であるため今でも入る事は出来ない。

 写真家 比嘉康雄 が外間ノロの許しを得て入って撮った写真が残っている。

 岡本太郎も外間ノロの息子に案内されて入ったみたいだが、「大御嶽」としか記載されていないので、ここかどう かは解らない。左の看板は白トビしてしまったので、別に撮ったものを合成してあります。


沖縄のどーでもいい話

2008年03月06日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 明日からは久高島へ行きますがネタ切れになると、どーでもいい話になります。

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 琉球王朝時代の建築様式には、人間工学的に理解出来ない物が有ります。これは坂道でもあり階段でもありま す。雨が降るとズルズル滑って、手すりに掴まらなければ登れません。非常に中途半端です。

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 海野漁港の朝市にて。

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 沖縄の土地は、決して安くはありません。

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 知る人ぞ知る、オキコのうず巻パン。だからどーなんだ、と言われても。

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 今夜の宿「民宿 海野」極めて普通の宿。

 本日の支出 宿泊費 5,000円 飲食費 2,970円 その他 1,000円 小計 8,970円


歩き旅最後の区間

2008年03月04日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 歩き旅の最後は、奥武島から知念半島の海野までの16km、あちこち寄り道したから20km以上は歩いたかな。 この間は沖縄本島でも歴史の古い所らしく、○○城跡とか☆☆御嶽なんて歴史遺産が沢山有る。まずは百名ビー チ近くに有る「受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)」へ寄ってみることとする。

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 左側に山裾からの湧水を引き込んだ小さな小さな田圃が有り、右手には拝所が有るだけ。説明はメンドーなの で、案内板をどうぞ。伝説はさておき、真水を得る事が出来る所を聖地とする傾向は、琉球列島何処でも同じです。 案内板右上のマーク何だか解りますか?朝に太陽神が東の海から現れ、夜には地底の世界を通って翌朝復活す ると言う沖縄の世界観を表現したものです。

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 さて次は知念城跡ですが、修復工事中でした。二年前にも一度行った事有るんですが、何か変!

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 これが二年前の写真です。石垣の積み方は、野ずら積みに少々手を加えた古い時代のあいかた積み技法です が、修復された石垣を見れば、後世の高度なあいかた積み技法によって作られています。こんなの、文化財の修 復って言うんでしょうか?

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 次はご存じ世界遺産の斎場御嶽です。説明の要無しでしょう。

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 拝所の中には、四角い切石の香炉以外何も無いのが沖縄の御嶽の特徴です。左の囲いは久高島を望む拝段 なのですが、ここへ土足で上がり込む不埒な輩(観光客)が居るので、やむなく鎖で囲ってあるとか。

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 ここからは、聖地久高島がこの様に見えます。天気が悪くて残念!

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 斎場御嶽には、大庫理・三庫理・寄満の三箇所の拝所が有るのですが、これは寄満です。オイオイ、そこのオ バサン、勝手に上がり込んじゃダメじゃないの、と思っていたら長いことお祈りしていました。どうやら島人みたいでし た。ちなみにこの写真は、ISO800・F4.0・1/15秒の手持ちで撮影しました。気合いを入れてシャッターを切れば、手 ブレしないものですな。


港川人

2008年03月01日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 三月に入ったというのに、北海道はまだまだ真冬の世界。部屋で地球儀をひっくり返し、南半球へゆきたいなぁ ~なんて思っている今日この頃です。北海道に住む私にとって、地球温暖化は歓迎すべき事態(怒られそう!)。 でも、地球46億年の歴史の中では、温暖化も寒冷化も度々有った出来事、ただ今はそのスピードが早すぎるだ け、生物の進化が付いて行けないから慌てふためいているだけなのです。

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 本日の宿の有る奥武島(おうじま)の少し手前が港川地区、有名な1万8000年前の人類の全身骨格が出土し た所です。写真撮影禁止と書いて有ったが、コッソリ撮ってきちゃた。もちろんこれはレプリカですが、那覇市おもろま ちに有る県立博物館にも同様のレプリカが展示してあった。港川人は骨格標本になっても、沖縄ではかなりの有名 人なのです。

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 これは港川人が発掘された1968年かその少し後の港川遺跡(砕石場)の写真です。この琉球石灰岩の割れ目 の中から、不完全な数体の人骨と共に発見されました。道すがら国道脇に有るのですから、これを見て行かない 訳にはゆきません。

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 遺跡入り口の標識、今は民有地のため入る事は出来ません。見学希望の方は、事前に連絡をと書いて有りま した。貴重な遺跡兼観光資源なのですから、県または国が整備し公開すべきと思うのですが。

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 入り口標識と周辺の地形から、おそらく此処だろうと撮ってきたのがこの写真です。それにしても、40年の歳月 とは恐ろしいものです。当時のはげ山となった砕石場の面影が全く有りません、亜熱帯の植物はいかに成長が早い かを実感しました。

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 今日のお宿は奥武島の「海の家あけぼの荘」客は私一人だけ、夜ご主人が「泡盛飲まんかね」と誘いにきてく れました。なんでもローカルテレビドラマのロケの舞台となった民宿とか。

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 部屋から目の前は海、夏なら良い雰囲気なんだろうが。

 本日の支出 宿泊料(素泊まり)3,500円 飲食費 2,360円 入館料 920円 小計 6,780円


ひめゆりの塔から摩文仁の丘

2008年02月29日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 沖縄南部へ行ったなら誰しも必ず寄る所、ひめゆりの塔と摩文仁の丘平和祈念公園。ひめゆりの塔は、完全に 観光地化している。摩文仁の丘は、広大なテーマパークと言った感じであった。両者共に平和祈念資料館が有り、 中には悲惨な戦争記録が多く展示されている。残念ながら写真撮影は禁止なので、ここではお見せ出来ない。ネ ットで一部公開されているので、そちらをどうぞ。

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 これが野戦病院地下壕入り口らしい。

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 摩文仁の丘全景、ギザギザの石碑に敵味方国籍を問わず、戦没者の名前が刻まれている。

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 資料館の前に展示されていたボロボロの魚雷、まさかこれが酸素魚雷では?

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 本当の九三式酸素魚雷はこちら。長さ9.0m  直径61cm  炸薬量780kg  射程30km

  炸薬量490kgでは射程40km  、以上 Wikipedia  より引用

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 テングバナ

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 ハナキリン

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 モンパノキ


沖縄の意味不明

2008年02月28日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

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 沖縄の道を歩いていると、時々意味不明で理解に苦しむ物に出くわします。これ何でしょう???

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 知っている人は知っている、コーヒーショップの事です。沖縄ではオジーもオバーも耳英語を話します。ですから 「水」は完全に「ワラー」と言います。下手な文部省英語よりも通じるのではないでしょうか、アメリカ人には。

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 その筋の業界の方以外には興味が無いかもしれませんが、「完全自走式ボーリングマシン」。

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 本日の宿「ホーボーの宿ヤポネシア」、ヤポネシアは解るのですが、ホーボーって何だか聞くの忘れた。

 今日の支出  バス代 500円 宿泊費 5,000円 飲食費 2,890円 入館料 300円

          小計 8,690円 


喜屋武岬から荒崎へ

2008年02月27日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 那覇市で一日ゴロゴロしていて、沖縄は今日で11日目になる。本日の宿は大度海岸に有る「ヤポネシア」、関 東地方から移住した若夫婦が経営する小ぎれいな宿である。那覇市から此処までは26kmも有るので、糸満市ま ではバスで移動する。

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 おなじみの喜屋武岬(から)の海岸風景。喜屋武岬は沖縄本島最南端という事に成っているが、本当の最南端 は奥に見える平たい荒崎で、ここから約500m程南に位置する。喜屋武岬は、地形的には岬でも何でもなく唯の 海岸であるが、灯台と平和の塔が有り観光客が車で乗り付ける事が出来るため、便宜的に「岬」としているのだろ う。私は「端っこ」が好きなため、何が何でも本当の最南端へ向かうのだ。

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 荒崎へは地図上では道は無いが、オフロードカーなら入っていける道が付いている(ダテに那覇でゴロゴロして いた訳ではないのだ、調査済み)。これが本当の沖縄本島最南端の荒崎です。見事な海食台(波食台・ベンチ)が発 達している。

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 荒崎から見た喜屋武岬方面、さて問題はこの大きな岩です。地元では「カサカンジャー(笠岩?)」と呼ばれる長 さ4.0m程厚さ1.5m程の岩塊。

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 近くで見ればこんな感じです。常識で考えれば、これは宮古八重山諸島でよく見られる津波石(大津波によって 打ち上げられた岩塊)なんですが、沖縄本島に大津波の記録は無いし、他に津波石も有りません。そこでネットで 調べまくりました。有るところには有るものですね、琉球大学の河名俊男氏の小論に「歴史書の『球陽』によると、 1832年の台風の高波によって打ち上げられた」と記載されていました。

 笑ってしまうのは、「ムー」というオカルト雑誌知っていますか、そこには「このドルメンは、中国からの来訪者が 残した墳墓跡か?」なんて書いてありました。まあオカルト雑誌なんだから、どうでもいいんだが。

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 近くについ最近剥がされ転がった岩塊が有りました、此処は海岸線から数十m入った標高10m付近、何時の台 風によるものだろう。沖縄の台風はハンパじゃないと聞いていたが、・・・実感!

 もう一度最初の写真に戻って見て下さい。あの岬が全て高波に飲み込まれてしまう光景なんて想像出来ます か、でも一度是非見てみたいものだ。

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 今日の花の写真は、何時でも何処でも咲いている ムラサキカタバミ です。


海軍司令部壕跡

2008年02月26日 | 島旅:沖縄本島・端から端へ

 那覇空港の東約2.5km程の所、標高68mの小高い丘の上に有ります。当時そのままの状態で保存してあると 言うことなので、これは行って見ない訳にはゆきません。沖縄戦については、此処で私がとやかく言うまでもなく、皆 さんご存じの事と思いますが、詳しく知りたい方はWikipediaで検索して下さいね。

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 これは壕内の見取り図です。

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 中の通路はこんな感じ。急ごしらえで、決して立派な造りとは言えません。

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 ツルハシとスコップを使って人力で掘ったとの事ですが、掘り跡が残っていました。新第三紀鮮新世の島尻層群 の泥岩を主とする軟岩ですから、人力でも掘れたのでしょう。

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 司令官室、昭和20年6月13日 海軍司令官 太田 実 少将が此処で自決した。

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 これが有名な太田少将最後の電文の現代文訳です。

 動画サイトに島歌が有りました。この方が実感が湧くでしょう。「島歌」をクリックして見て下さい。