人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

もしもホームレスに成ったなら

2009年01月29日 | 今日の雑感雑記

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裏山へ行っても雪しか無いので、雪の写真しか有りません。

チャリンコにテント一式積んで旅を続ける若者達は「年収100万円有れば十分ですよ」と言っていた。

最もその生活実態は、ホームレスとほとんど変わらない様なものだが。

本当かなと思い昨年の私の家計簿から、同様の生活をした場合に必要な経費を抜き出してみた。

必要経費は以下の10項目である。

①国民健康保険料 (彼等の場合加入しているかは不明だが) ②携帯電話料金

③床屋代 ④台所用品 ⑤家庭消耗品 ⑥衣類 ⑦治療費・薬代 ⑧交際費

⑨郵便代 ⑩食費(私の場合エンゲル係数は12%である)

なんとその総額はたったの(と言うべきか?)年間 768,384円であった。

旅を続けるには、JRやフェリーを利用する事も有るだろうが、確かに100万円有れば十分である。

一般家庭の場合、各種税金・保険料、居住費、光熱費の占める割合がいかに大きいか

改めて実感したしだいである。

ビンボ~ッたらしい生活もイヤだが、それにしても無駄な金使っているんだろうな。

今年は節約に努め、その分でより多く旅に出ようかな。


西表島の旅お終い

2009年01月27日 | 島旅:西表島で年末年始

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1月4日早朝 浜へ出て朝日を見る。

明日帰らなきゃと思うと感慨もひとしお、帰りたくないなぁ~。

このままここで長期滞在者の仲間に加わってしまいたい。

四畳半一間の小屋建てて、ここに住み着いてしまいたい、なんて本気で思ったりしました。

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キャンプ場の外れに咲いていたルリハコベです。

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帰りは神戸空港乗り継ぎでした。

今から23年前、遠くに見える明石海峡大橋の地質調査に1年間従事していました。

思えばその頃は、南風見田の浜で出会った若い旅行者と同じ年代だったかも知れません。

高度経済成長期からバブル経済にかけて、仕事仕事に費やした時間を取り戻そうとした

今回の旅だったのかも知れません。楽しかったが疲れた、歳ですなぁ~。

ここだけの話ですが(ブログで、てな訳ないか)明石海峡大橋の2P(右側の主塔)の

地下250mに私の名前を刻んだ鉛板を埋め込んであります。

調査の終了したボーリング孔に放り込んで来ました。


南風見田の浜に人生の縮図を見る

2009年01月26日 | 島旅:西表島で年末年始

流星群を見る事が出来なかったので、地上の自然観察でも。

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巨大なクワズイモの葉、毒が有るため人間は元より家畜の餌にもならず。

至る所生え放題、延び放題である。

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この時期数少ない花、海岸に咲くオオジシバリの花。

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キャンプ場を縄張りとしている(らしい)ズグロミゾゴイです。

朝昼晩とキャンプ場の中を彷徨いて餌となる昆虫やミミズを探している。

鶏ほどの大きさが有り、数mまで近づいても悠然としている、一応絶滅危惧種です。

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このキャンプ場には、長期滞在者の他に入れ替わり立ち替わり色々な人がやって来る。

私とほぼ同年代のオジサンに「長いんですか?」と聞いたら「まだ一ヶ月だが、これから長くなる」

と言っていた。立派なテントに車を持っていた、この不況で職を失ったのか?

この様な場所では、お互いの過去は詮索しないのがルールであるが、だいたいは想像が付く。

長期旅行者のお兄さん方は、年齢的には三十代前半で就職氷河期の世代である。

どうせまともな就職先が無いなら旅に出てしまえ、と言った所か。

中央に座っている二十歳代半ばの女の子は、沖縄本島から石垣島へ、

そしてサトウキビ刈りのアルバイトを求めて西表島へやって来たとの事。

それ以上の事は聞かなかったが、超ビンボー生活を経てきた事は想像に難くない。

食事内容を見ていたら「アズキの炊き込みご飯」「カボチャの炊き込みご飯」のみ以上終わりである。

「私、白菜を持っているので今夜は鍋にしましょう」・・・オイオイ、黄色く成って半分腐っているジャン!

翌日テントをたたんで「バイト予定している大富の農家まで行ってくる、二時間も歩けば着くでしょ」

足下見たらビーチサンダル、見るに見かねて遊びに来ていた人のトラックに乗せてあげた。

このくらい逞しくなければ生きて行けないよなぁ~、こんな生活。若いってウラヤマシイ。

右に座っている中年の男性、一見しただけで貧乏旅行者とは人種が異なる。

ポツリポツリと語り出したのを聞いていると、東京のI T 企業でシステムエンジニアしていたらしい。

一年中休み無し、昼夜を問わないハードスケジュール、社内の派閥争い、同業他者の陰湿な謀略、

どんなに良いシステムを開発しても、所詮は影の存在で社会的に認知されない

等々で心身とも疲れ果て、月収200万円だったが現在休職中でバイクで全国旅行中とか。

周りに居た貧乏人が「俺、年収100万円・・・俺も・・・俺も」の大合唱。

私も、と言いたかったが退職したオヤジが言っても様に成らないので黙っていた。

なんて話聞いていると、「人生金じゃないよなぁ~」と思う半面、ここに居る貧乏人達は

将来どうするんだろうと心配したりするのであった。

「他人の心配している場合かバカ人間、お前こそどうするんだ!」と頭の中で声がした。


流星群現れず!

2009年01月25日 | 島旅:西表島で年末年始

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1月3日 午後8時30分 北の空の雲が無くなってきた。

山の端ギリギリまで星が見えている、これは期待出来そうだ。

流星群出現予想時刻は午後10時00分頃である。

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雲が少し残っているが、東の空からオリオン座が昇ってきた。

星に興味の無い人達は、囲炉裏小屋の中で宴会中。

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露出100秒でオリオン座と天の川を撮ってみました。

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そろそろ午前0時、どちらを見ても流れ星一つ見えません。

どうやら今年の流星群は不発に終わったようです。

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午前0時を回った頃海岸へ出てみました。

雲が出てきて星が僅かに見える程度に成ってしまいました。

真っ暗な水平線上の光の帯は波照間島の明かりです。

世が世ならば、この方向の水平線上に南十字星が見えるはずなんですが。

流星群といい、南十字星といい、いきなり行っても簡単には姿を現してはくれません。

世の中そう甘くはないと言うことか。

明日は、地上界の世の中もそう甘くは無いという話でも。


忘勿石の碑へ行く

2009年01月24日 | 島旅:西表島で年末年始

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1月2日 パッとしない天気であるが、冬の八重山はこんなもんか。

今日は南風見田の浜の東端に有る忘勿石(わすれないし)の碑へ行く。

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忘勿石の碑の由来です。

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碑の右下の岩盤に刻まれた原文「忘勿石 ハテルマ シキナ」とハッキリ残っている。

誰が手向けたのか、小さな花が添えてあった。

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マラリアに侵された子供達が望郷の念で見つめ死んでいった波照間島が

水平線の彼方にウッスラと見えていた。美しい風景であるが故に、その悲惨さが倍増する思いです。

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少々時期はずれではあるが、イソマツが琉球石灰岩の窪みに根を下ろしていた。

人間の愚かな行為とは無関係に、ここの自然は今も昔も変わらぬ姿を見せている。

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今夜は半月に照らされた雲が激しく流れている。月の光がこんなに明るいとは知らなかった。

向こうに見える明かりは、今日来たメチャクチャにビンボーそうな女の子のテント。

さすがに顔と髪は綺麗にしていたが、服装は完全にアジア系。

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雲間から僅かに見えた星空、雲が無かったらどんなに素晴らしいことか。

明日の夜はいよいよしぶんぎ座流星群であるが、どうなることやら。


元旦の夜は更けて

2009年01月23日 | 島旅:西表島で年末年始

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1月1日 元旦の昼下がり、やることが無いので採ってきた貝を焼いて昼間から泡盛で宴会を始める。

右端の仮面ライダーが、何年も家に帰っていない(らしい)長期旅行者、1月10日から

大原の製糖工場で三ヶ月間アルバイトをし、また旅に出るらしい。

ここへ来る前は、ラクダに乗ってモンゴルを旅して来たと言っていた。

そういえば、民宿いるもて荘にもモンゴルを旅して来たという女性の方が居ましたな。

今モンゴルはブームなのかな?

中央のウルトラマンは、小浜島に移住し農業をやっている元自衛官、

正月休みなのでここへ遊びに来ている。

島人と付き合うよりも、初対面とはいえ同類の人の方が気が休まる様だ。

左端の月光仮面は、近くのホテルでアルバイト中でここから通っている。

近々失業するので次の仕事を探しているとか。料理がとっても上手な方であった。

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若者達はアワビだアワビだと言っていたが、ジンガサ貝と言うらしい。

コリコリした食感で磯の香りがしてとっても美味しかった。

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南風見田の浜の残照、1月1日の夕暮れ時さすがに人っ子一人居ませんでしたな。

この雲行きでは、今夜の星空は望めそうもない。

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星空がダメなら飲むしかない、時を忘れて宴会は続くのであった。

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夜の囲炉裏小屋を外から撮ってみた。この光が無ければ、周辺は真の暗闇である。

ランプの小さな光と真の暗闇、人間の原始本能に訴えるものが有り心が安らぐ

・・・・・のは私ぐらいなものかな?


南風見田の浜の奇岩

2009年01月22日 | 島旅:西表島で年末年始

西表島は大部分が新第三紀中新世八重山層群の砂岩から構成されている。

昔は炭坑が有った事でも知られている。

南風見田の浜に露頭する八重山層群は、物理的化学的風化浸食を受け

奇岩累々の様相を呈しているので、その一部ではありますが紹介します。

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これは亀裂に沿って進んだタマネギ状風化が、風食によって表面が磨かれたもの、

形状と色彩のコントラストが面白い。

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これもタマネギ状風化の一種であるが、非常に細かい文様が生じている。

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茶褐色に酸化した部分が流雲型を成している。

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斜交層理面に沿って風食が進み、層理面が鮮明に成った大きさ4.0mほどの転石。

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亀裂に沿って風化が進んだ不定形のタマネギ状風化岩。

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1771年の大津波によるものと思われる巨大な津波石。

前を行く三人はキャンプ仲間の若者で、夕食の貝を採りに行くところ。

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風食を受け孔だらけに成った巨大な砂岩転石と、海中に有るのは津波石。

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キャンプ場から3.0km程西へ行った所で転石累々の浜になってきた。

二日酔いで足下がフラついているので、今日はここから引き返す。

本当は4.0km程先の一辺が10.0m程は有るという通称トーフ岩と呼ばれる

超巨大転石まで行きたかったのだが。


南風見田の浜は面白いのだ

2009年01月21日 | 島旅:西表島で年末年始

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2009年1月1日 元旦である。7時30分 曇り気温13度 いささか肌寒い。

これが今年の正月料理、キャンプ場の周りに生えている浜ダイコンの味噌汁と

カラシ菜のマヨネーズあえ、魚の缶詰と塩コンブ、以上終わりである。

長期旅行者のお兄さんは、朝も昼も米にヒジキを炊き込んだものに

生卵を掛けて食べていた。私の食事が豪華に見える。

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観光ガイドブックなどには「南風見田の浜は、東西2.0kmに渡って続く・・・」

と書かれているが、本当はズーッと奥の方(西の方)まで続いている。

一般の観光客が行かないだけ、ここをブラブラ歩けば実に面白いのだ。

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観光客の来ない浜の西の外れに建っている長期滞在者の家、他に三軒有った。

この家へ遊びに行った事のある人によると、中はとっても広く立派だったらしい。

ある家では、石を拾い集めて露天岩風呂まで作っている人が居るそうだ。

西表島の大原に有る製糖工場で、寮と食事付きで三ヶ月働けば90万円ぐらいに成る。

水道光熱費・家賃タダ、税金も保険料も無しの生活だから、残りの9ヶ月を月10万円で

優雅に暮らせるそうである。世の中には、こんな暮らしも有りなんだね。

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西の方へ歩いて行けば、この様な奇岩累々の浜に出る。

この岩の写真を撮る事を目的に来る人も居るそうである。明日は奇岩特集とします。

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数は少ないがハマユウ(ハマオモト)がポツポツと咲いていた。

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リュウキュウアサギマダラです。

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良く見掛けるが、名前が解らない。

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真冬であるが、晴れて来たら南の島らしい陽が射してきた。


南風見田の浜で年末年始

2009年01月20日 | 島旅:西表島で年末年始

12月30日 今日から南風見田の浜のキャンプ場へ移動する予定だったが朝から雨。

雨の中でテントを張るのはイヤだから、大原の民宿に一泊する。

キャンプ用具一式は、大原郵便局止めで送ってあったので、素泊まりの宿やまねこへ

電話したら満室との事で断られた。

こんな暮れも押し迫った時に、一泊2000円の宿が満室とは、ビンボー旅行者は

時期を問わず居るものである。

しかたがないので一泊6200円の民宿なみ荘に泊まり、ゆっくりと風呂に入る。

なみ荘は、沖縄の離島では珍しくバス・トイレ付きである。

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12月31日 荷物が多いのでタクシーで南風見田のキャンプ場へ移動する。

さて、此からどうした物かと一人黄昏れるバカ人間である。

ここへ来た理由は、1月3日から4日の未明にかけてピークを迎えるしぶんぎ座流星群を

見るためである。このキャンプ場は、最も近い大原の集落から6.0km離れている上に

山の陰に成っているため人工の光が全く無い所である。

ケータイは通じるが電気は無い、水道は裏山の沢水を引いただけ、

水洗トイレ・水シャワー・ドラム管風呂有り。

囲炉裏で煮炊きする燃料や、ドラム管風呂の薪はその辺からテキトーに拾ってくる。

これでテント一張り一泊400円である。長期滞在の場合は割引料金らしい。

管理人が時々見回りに来るので、料金はその時まとめて払う。

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大晦日の夜は、この三人と後ほどアルバイトを終えて帰ってきた人と五人で飲み明かす。

かなりワイルドな年末年始であった。

ここに写っている三人の内二名は、他に泊まっていて唯遊びに来ているだけ。

残りの一名は、料金を払わず泊まっていたため、後ほど管理人に追い出された。

他に数張り長期滞在者のテントが有ったが、年末年始は石垣市へ行っているとの事。

年末年始ぐらいは、暖かい風呂に入ってテレビを見て人並みの生活をしたいという事か。

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酔いが回ってきたらファイヤーダンスを始めた長期旅行者のお兄さん。

「何処から来たの?」と聞いたら「何処からと言われても・・・・・」

何年も家に帰っていないらしい(家が有ればの話だが)。

南風見田の浜のディープな夜は、まだまだ続くのであった。