昨日は一ヶ月ぶりに手稲山へ登ろうと出かけたのですが、スキー競技会が催され
ゲレンデを横切る事が出来ず断念する。
かわりにロープウエイ直下の急登にチャレンジしたが、ゴム長靴ではちょいと無理だった。
春先雪が締まったとき、登山靴に軽アイゼンが良い。
振り返れば、暑寒別の山並みが綺麗だった。
これで帰るのは物足りないので千尺高地へ遊びに行く。
千尺高地の頂上は標高490m、標高差320mのダラダラとした登りが続く。
心肺機能の著しい低下のため、登りに一時間もかかってしまった。
頂上に着くと正面に手稲山がドーンと見える。
千尺高地とは、手稲山地滑り土塊の中の最も高い地点である。
頂上から石狩湾新港を望遠レンズで撮ってみた。
ここも大津波が来たら全滅だな、などと思いながら。
フワリフワリと風花が舞ってきた。でも春の淡雪、地面に落ちれば消えて無くなる。
三月下旬は冬と春とのせめぎ合い、一進一退の日々です。
昨年11月から五ヶ月間は緑色の無い世界、緑色パワーが完全に切れてしまった。
こんな世界で緑色パワーを充填してきたいのだが、今年の沖縄方面は異常に寒いのだ。
今日も那覇市の気温は13度~17度しかない、数年前行ったときは25度以上あったのに。
昨年4月上旬屋久島へ行った時は、朝の気温が8度しかなく震え上がったりもした。
一方、昨年の北海道の夏は連日30度以上の猛暑であった。
南が寒く北が暑い、この頃の気候は何か変。
気候が変なら大地震に大津波、まさに人知の及ばぬ天変地異だ。
一方では人知の結晶だったはずの原発が大事故、そろそろ収まってもらわないと旅にも出られない。
何となく春っぽく成ってきた空と雲と雪景色。
鉛色の空と日本海の荒波、寒いよぉ~っ !
さて、今後福島原発の事故に関しては、作った東電・認可した国・お墨付きを与えた学者などから、
「想定外」の言葉が多発されるでしょう。
そもそも原発を作る場合の意志決定の流れはどうなっているかといえば
①どの程度の規模の原発を何処に作るかを決める
②採算性・コスト・予算枠の決定
③予算枠内での防災計画を含む全体設計
④学識経験者等がお墨付きを与える
⑤国が認可する
ここで③と④の作業過程の中で、採算性に応じた「想定」が入り込んでくるのです。
利用者が高い電気料金を支払っても良いなら、想定の枠を広げより安全な物にするのも可能でしょうが、
電力事業は政治と経済の根幹を成すものですから、何処かに落としどころを作らねばなりません。
本来であれば今回の原発事故の責任の所在をめぐって、東電・国・関係した学識経験者間で
壮絶な責任のなすり合いが始まってもおかしくないのだが、この三者は鉄のトライアングルで
もたれ合いの構造だから、「人知を越えた想定外の出来事」で幕引きを図るでしょう。
でもなぁ~、これを契機に自然との付き合いかたを考え直す良い機会ではないでしょうか?
バカ人間の標語は「森へ還ろう」です。コンクリートとアスファルトに囲まれた都会のマンション暮らし
でもいいんです、気分だけでも「森へ還ろう」で生活すれば少しだけ何かが変わるかも。
話の内容がバカ人間の脳味噌の安全率を超えてきたので、自然災害シリーズはこれにてお終い。
今日3月21日は春分の日、長かった北国の冬もやっと終わろうとしています。
とは言っても山々に緑が芽吹くのはまだまだ先のことですが。
裏山の雪も締まってきて、スノーシュー無しのツボ足でも歩ける様になりました。
何もない枯れ木の山にヤドリギの緑が目に嬉しい。
さて、46億年で1000度の温度低下とは、1度冷えるのに460万年かかり、一万年で0.002度の温度低下です。
地球表面の温度が0.002度低下すれば、火山の噴火や大地震が目に見えて減少するでしょうか、
いいえ大して変わらないでしょう。
すなわち、ここ一万年以内に起こった規模の火山噴火や大地震は現在でも起こり、一万年後でも起こる。
タイムスケールを一万年としたのは、それ以前と以後では海水準変動により陸地の形が大きく変わり、
比較の対象とならないから。(余談ですが、旧石器時代の遺跡の大部分は海底下に有るのだよ)
原発を作るにしても、防災上の都市計画を建てるにしても、想定の範囲を一万年前までとすれば
相当規模の火山噴火や大地震が有ったはず。
地震や大津波は明確な証拠が残らないのでよく分からないが、火山噴火は火山灰という
証拠が残っているのではっきりしている。
たとえば、7300年前の鬼界カルデラ噴火、同規模の噴火が起これば九州南部・種子島・屋久島が
全滅するでしょう。
またも余談ですが、屋久島の縄文杉の樹齢を7200年としているのは、鬼界カルデラ噴火により
全島火砕流に覆われてしまったため、それ以前は有り得ない・・・・一種の想定樹齢です。
でも、そんな大規模な災害を想定したら何にも出来ないじゃないか、その通り。
そこで登場するのが「想定外」という便利な言葉です。
柄にもない事考えていたらバカ人間の脳味噌が固まってきたので、続きは次回にでも。
昨日は硬雪踏んで裏山散歩、ネコヤナギが膨らんできました。
野山はまだ真っ白ですが、三月も中旬となれば何となく春の足音が聞こえてきそうです。
さて、自然災害の場合の『起こり得る真実(起こり得る事は起こる)』とは何か、などと
大上段に振りかぶってしまって失敗したな、と思いつつ先へ進む。
自然災害とは『人間にとって不利となる急激かつ大量の自然エネルギーの放出』とでも定義する。
この場合の自然エネルギーの源は、①太陽放射②地球の保有熱の二つであり、
前者は台風などの気象災害、後者は火山・地震などのエネルギー源です。
地球の保有熱とは、46億年前に微惑星が衝突合体して地球が出来た時の運動エネルギーが
熱エネルギーに変わったものの残存熱です。
現在の地球の熱的環境は、中心部で数千度、地表面で15度、接する宇宙空間は約絶対零度です。
この地球中心部の数千度(直接温度を測ったこと無いので・・・としか言いようがない)と、宇宙空間の
約マイナス273度(僅かに物質が存在しているので、厳密には絶対零度ではない)との温度勾配が
大陸を引き裂き、山脈を隆起させ、大地震を引き起こすエネルギー源なのです。
46億年前の地球表面はドロドロに溶けていたと言いますから、1000度前後は有ったでしょう。
見方を変えれば、地球表面(大気圏も含めて)は46億年でたった1000度しか冷却していないのです。
だからどうなんだ?って、バカ人間の脳味噌が熱もってきたので続きは次回にでも。