やっぱりダメでした、今朝起きたら両足の膝が猛烈に痛かったのです。
今日一日狭い家の中を足を引きずりながら歩いていました。
此までの歩き旅で、膝に故障を抱えていた事は解っていたので、今年の春先から積極的に山歩きをして
鍛えたつもりなのですが、筋肉は鍛えても膝の関節の構造はどうにも成らないようです。
歩き旅を始めようと思った切っ掛けはこの本です、戦場写真家の石川文洋。
65才にして、宗谷岬から沖縄の那覇まで3300kmを歩き通した記録です。
ベトナム戦争の従軍記者として、一ヶ月もジャングルの中を歩き回った人に憧れた事が間違いでした。
歩き旅がダメなら自転車、でも膝に掛かる負担は同じ様なものでしょう。
そこで足の短いオジサンが行き着いた結論は、文明の利器に頼ることでした。
歩くと言う事は、歩く速度の目線で周辺の事物を見る事が出来るということです。
自転車もダメなら、原付バイクしか有りません。これなら好きな所で泊めて見る事が出来ます。
第一候補はホンダのゴリラ、足の短いオジサンには打って付けです。
これでサハラ砂漠やアメリカ大陸横断した記録を読んだ事が有ります。
テントをはじめ必要最小限の荷物を積んで、時速30kmでトコトコと走る、いいなぁ~。
来年の検討課題です。でも此は此でかなり体力を要する事ですが。
今日は30kmウオークにチャレンジして来ました。
自宅から小樽の高島岬までですが、さすがに疲れたので30kmちょうどで引き返しました。
何故30kmかと言えば、色々な歩き旅の記録を見れば、一日30kmが標準なのです。
しかも毎日、さらに荷物を担いで、ならば試しに私もてな訳で歩いてみました。
結果、足が棒に成りました。故障を抱えている膝は何とも無かったのですが、
ふくらはぎと太股の筋肉が悲鳴を上げて来ました。毎日となればやはり20kmが限度と知りました。
朝里付近から見た高島岬、小樽湾をグルット回るので本当はかなり遠い。
岬まではあと2kmなのですが、ここで引き返した。
江戸時代の日本人は一日40kmを平気で歩いたそうです。
何故かと言えば、その当時の歩き方は「ナンバ歩き」だったそうです。
右手と右足を同時に前え出す、俗に言う「忍者歩き」ですね。
人間工学的には、理にかなった歩き方と何かに書いてありました。
今度試してみようかな、でも「変な人が歩いている」と警察に通報されるかも。
今日は雨が降ったり止んだり、天気雨も有り先ほど虹が出ていた。
散歩に行こうと玄関を出たら途端に雨、出るに出られず結局は家でゴロゴロの一日。
どんな天気かと言えばこんな天気、上空はキンキンの青空なのに雲の下は雨、今撮った写真です。
昨日の銭函天狗岳の様子、山がだいぶ色づいてきた。
昨年は仕事で紅葉の山へは行けなかった、今年は仕事も無いようなので
紅葉が枯れ葉に成るまで山歩きをしましょう。
ツルアジサイはすでに枯れ葉状態に成っています。
でも雪が降ってきたらどうしょう、枯れ木の山をほっつき歩いても面白くないしなぁ。
そこで、今年一月に途中で挫折した沖縄本島歩き旅を11月にでもリベンジしようかな。
そのためには、8kgのバックパックを背負い一日30kmの舗装道路歩きの実績を付けなければ。
暇になれば、こんな事ばかし考えています。
前回の赤外線写真はピーカンの晴天時だったので、今回は薄曇りの銭函天狗岳頂上から。
中央左に芦別岳、右側に夕張岳が見えている。
スカイラインが明瞭になってきたが、まあこの程度。
晴天時の風不死岳と恵庭岳の頭、やはり鮮明度が格段にちがう。
では近くの風景ではどうか、眼下のゴルフ場・砕石場・市街地です。
植生の無いカート道・砕石場・市街地が黒く浮かび上がる。
では解像度はどうでしょう、左下を拡大してみました。
色が付いている分だけ可視光の方が見やすいが、大差は無い。
石狩湾です、曇りだと何故か海面が黒くならない。
近くの岩壁です、高曇りの空が明るく写る。
手稲山です、広葉樹と比べれば針葉樹はやや暗く写る。
先日風不死岳へ行った時、二年間履き続けたトレッキングシューズの底が剥がれかけた。
あちこちの山へ登ったり、沖縄方面を歩き回ったりしてずいぶんお世話になったので
別段惜しくはないが、途中でパカッと剥がれてしまったらどうしょうと恐る恐る下山した。
そこで昨日新品を購入してきた。値段は¥3,980円 サンキュッパである。
価格からすれば、どうせ中国製だろうとは思っていたが、何処にも表示が無い。
たいていの製品には MADE IN 〇〇と書いてあるのだが、書いてない。
そんなバカなと思い探したら書いてあった、なんと靴の中のつま先の所に。
「一応は書いてありますよ」てな感じで、ギョーザか粉ミルクを連想してしまった。
はたしてこの靴、また二年間もつのかな?
昨日支笏湖の風不死岳(1102.5m)へ12年ぶりに登ってきた。
結構キツイ山であった事が記憶に有るだけで、登山道の様子などは完全に忘れてしまっていた。
風不死岳は支笏火山の三人兄弟の長男であり、次男は恵庭岳、三男は樽前山である。
ポロピナイの湖岸から見た風不死岳。
風不死岳頂上から支笏湖の西半分を望む、右端の頂上が雲の隠れているのが恵庭岳。
支笏火山は四万年前~三万年前の巨大噴火により、200k㎡超の火砕流を噴出し、
当時太平洋へ流下していた石狩川を埋め尽くし、日本海へと流路を変えさせた。
現在は水深360mのカルデラ湖に姿を変えている。
風不死岳は、二万年前にカルデラ壁から噴火を始めた後火山である。
恵庭岳はその後、一万五千年程前に対岸のカルデラ壁から噴火を始めた。
12年前に撮ったゴミだらけのフイルム写真です。
樽前山は9000年前から噴火を始め、頂上の溶岩ドームは1909年(明治42年)の噴火によって
僅か二日で形成されたといわれている。
この三火山は、北西から南東方向の構造線に沿って噴火した様に見えるので
次は苫小牧市の錦岡あたりで噴火するかも知れないね。
火山の平均寿命からすれば、樽前山はまだヤンチャ盛りの子供みたいなものだから
当面はこの方がアブナイ。
頂上付近までは樹林帯の中で見通しが効かない。
頂上が見えてきた、登り二時間三十分、下り二時間でした。
この時期は花も終わり、シラタマノキの白い実が目に付く。
シラタマノキも紅葉を始めています。