人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

悪石島~宮古島の旅・お終い

2008年07月10日 | 島旅:宮古諸島

6月4日(水)

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 宮古島に限らず、琉球石灰岩が隆起した低島には川がない。

 降った雨はみな、スカスカの石灰岩層を通じて地下へ浸透してしまう。

 地下へ流れ下った雨水は、やがて海に面した崖から湧水と成って流れ出る。

 これは宮古島の南端に有る「ムイガー」と呼ばれる湧水、昔はこの様な所から飲料水(真水)を得ていた。

 今でもポンプ小屋や配管が残っている。ここへ降りる路はは、アブナッカシイので気を付けてね。

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 無駄に流れ出る地下水を、止水壁を設けて石灰岩層の中に貯留し、必要に応じてくみ上げ農業用水として

利用してやろうじゃないか、との発想で作ったのが「地下ダム」これはそのモニタリング施設です。

 発想は良かったのですが、ここへ来て大きな問題が発生。地下水を繰り返し循環使用したため、地下水中に

農薬や化学肥料・家畜由来の窒素分が濃集蓄積してしまったのです。

 霞ヶ関の役人が考える事はこの程度、諫早湾のギロチン締め切りと根は同じ、さてこの先どうするの?

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 宮古島と来間島を結ぶ1,690mの来間大橋、この橋の位置付けは「農道橋」なんですって、すなわち耕耘機

やトラクターが走るための農道です。

 現在宮古島と伊良部島との間で架橋工事が進んでいます。橋が出来れば、下地空港が軍事空港に成る

との「ウワサ」が現地では飛び交っています。

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 亜熱帯の花、最後はテイキンザクラ、サクラと言ってもトウダイグサ科。

 この花の鮮紅色にはハッとさせる美しさが有ります。

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 今回の旅は当初、北海道の苫小牧から与那国島まで全て船旅を計画したのですが、費用を計算したら

飛行機の方が安かったのです。そこで船旅は、鹿児島から宮古島までと変更したのですが、これも原油高

の影響を受け、那覇から宮古島間で予定していた有村産業の飛龍が運航中止となり果たせませんでした。

 南西諸島の社会基盤は確実に本土化されていますが、青い海と空と亜熱帯の花々が織りなす美しい

景観は変わらず残ってほしいものです。

 さらに、自然と一体となって生きる島々の文化も大切に残してほしい、やはり宮古・八重山諸島には

日本文化の源流が有ります。


農家民宿津嘉山荘と東辺安名崎

2008年07月08日 | 島旅:宮古諸島

6月3日(火)

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 農家民宿津嘉山荘は知る人ぞ知る、津嘉山千代さんのお宿なのです。千代さんは食のコンテストで、農水

大臣賞や国土長官賞を受賞した料理名人です。旅行ガイドブックなどでは「キャハハハハ・・・」と豪快に笑う

肝っ玉母さんとして紹介されていますが、本当はとっても上品な話し方をする人でした。玄関先の顔はめは、

千代さんがモデル、何時も黄色い服を着ています。

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 宮古島と言ったらやはり此処へ行かなければ、東辺安名崎(アガリヘンナザキ)。突端の灯台の上から見た

岬の全容、細長い岬が約2.0km有ります。車でも来れるのですが、炎天下をアホみたいに往復4.0kmを歩きま

した。右がフイリピン海、左が東シナ海です。

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 東辺安名崎灯台、人力車のオジサンが「島唄」なんかを三線で弾いていましたな。

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 フイリピン海側に散らばる「津波石」、沖のリーフの上にも幾つか見える。汀線の板状の物はビーチロック。

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 沖縄県の天然記念物であるテンノウメ(天の梅)の群落、上を歩けばフカフカの絨毯状、「天然記念物の

上を歩いちゃイカン!」そりゃそうでしたな、失礼。

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 クマツヅラ科ハマゴウ、砂浜に生える落葉小低木。

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 キョウチクトウ科オキナワキョウチクトウ(別名ミフクラギ)

 花はきれいだが、傷口から出る乳液や種子は殺鼠剤に用いられる程の猛毒です。

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 例によって単純バカ人間が「島の端っこだぁ~」と言って記念撮影の図。


狩俣集落の民宿ゆくい

2008年07月07日 | 島旅:宮古諸島

6月2日(月)

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 「民宿ゆくい」は、宮古島の北端部狩俣集落に有ります。この日は数人の宿泊客が居て、夕食時は当然宴会

と成ります。ユンタク(おしゃべり)と言うやつですね。「宮古島の方言には、「か」に °(半濁点)とか「き」に °

なんて言葉が有り、なんて発音するんだろうね?」など他愛のない話です。

 夜9時過ぎになると、近所のオジサン達がなだれ込んで来て、向かいのテーブルで勝手に宴会を始めてしま

いました。離島の民宿では、地元民と宿泊客が渾然一体となって、訳の分からない飲み会に発展する、とは

良く聞く話で、これがそうかと思っていたら、実はそうでなかった。

 宴もたけなわと成った頃、ビラを持った素面のオジサンが入ってきて何やら挨拶、実はこれ沖縄県議会選挙の

供応、すなわち買収工作だったんですね。離島の選挙では良くある話です。

 選挙運動員が帰った後、一人二人と我々のテーブルのほうえ、これはオトーリー(宮古島の悪名高き酒飲み

義方、一気飲みの回し飲みを延々と続ける)が始まると察し、私は逃げましたが逃げ損なった女性の方、翌朝

朝食もとらず青い顔をしていました。

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 狩俣集落は宮古島の中でも歴史の古い所で、サンゴの石垣やフクギの並木が残っています。

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 これは宮古島を北西から南東方向に貫く断層崖で、平行して数本有ります。

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 近くで見れば、琉球石灰岩を上に載せて島尻層の泥岩が露頭しています。

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 これは「オッパイ山」と呼ばれる円錐カルスト残丘です。

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 宮古島南部に有る仲原鍾乳洞の陥没ドリーネの内部、写真が下手でゴメンナサイ。

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 宮古島はサトウキビと並んで、葉タバコの栽培が盛んです。タバコの花です。


砂山ビーチから池間島

2008年07月05日 | 島旅:宮古諸島

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 砂山ビーチですが、沖縄県下数あるビーチの中で、別にどって事無いただの砂浜。

 宮古島へ来た以上、話のタネに見ておこうと言うだけでした。

 洞門の向こうに見えているのは伊良部島でしょうか。

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 砂山ビーチの名の由来、この様なサンゴ砂の坂を下って浜へ出ます。

 古砂丘の様にも見えますし、吹き上げ砂丘の様でもあり、よく解りませんでした。

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 西辺安名崎、イリヘンナザキと読みます。北西から南東方向へ延びた細長い岬、断層崖に沿って出来た石灰 

岩堤が差別浸食によって残った地形と考えられます。 奥に見えるのが池間島と池間大橋です。

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 池間島側から見た池間大橋です。長さ1,425m、総工費99億円、1992年2月完成。池間島の人口は760余人、

結構人は住んでいるが、まあ観光道路ですな。

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 池間大橋の袂で釣りをしていたオジサンと大神島。大神島は人口38人、全島神の島であり、勝手にあちこち

歩き回ってはいけない?らしい。

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 キク科シロノセンダングサに止まる蝶、名前は知らない。

 これまで沖縄県下20島を回ってきたが、この花の咲いていない島は無かった。

 


人頭税石

2008年07月04日 | 島旅:宮古諸島

5月31日(土)

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 今日は午後から半日時間が有るので、宮古市内の歴史文化遺産めぐりでもしましょうか。

 所々に案内の看板が立っているが、こんな絵図面では解りません、迷いに迷って何処が何処やら。

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 有名な人頭税石(ぶばかり石)は、町中の道路脇のこんな所に有った。

 高さ143cmで、身長がこの高さになれば税が課せられたという伝承が有る。

 人頭税の課税対象は、15才から50才の島民であり、宮古島には1714年頃から正確な戸籍制度が有り、この伝

承はウソである。

 生存に必要な最低限の衣食住に掛かる消費税、これは現在の人頭税である。国民年金保険料、これも所得に

関係なく一率であるから人頭税。後期高齢者の年金から、支払い能力に関係なく保険料を天引きするのも一種の

人頭税。怒れる庶民よ!身の回りの人頭税を探してみよう!

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 大和井(ヤマトゥガー)1720年頃に作られたもの、首里王府から派遣された一部の役人のみが使用していたも

の。「大和」の名の由来は、作ったのが大和人だったからか、薩摩から派遣された役人が使用していたからかは不

明との事。

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 此方はすぐ近くに有る一般庶民が使用していた洞窟井戸の入り口。

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 庶民用の井戸の内部、小さな水溜まりが今でも有る。これで何人の飲料水(真水)をまかなっていたことか。

 ここでも百姓は、生かさず殺さずと言ったところか。

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 マングローブ植物の一種、メヒルギの花です。島尻マングローブ林で撮影。


通り池

2008年07月02日 | 島旅:宮古諸島

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 下地島と言えば、何と言っても有名なのが「通り池」さっそく行きます。

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 通り池は、二つの陥没鍾乳洞が地下で海とつながったもの、これはその内の一つ。沖縄県の天然記念物。

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 近くには天井部分が落ちたばかりの鍾乳洞も有ります。

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 通り池側から見た津波石「帯岩」、標高10mの高さまで打ち上げられている。

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 クサトベラ:屋久島・種子島以南に自生する常緑低木。

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 ミズガンピ:奄美大島以南に自生する常緑低木。

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 てなわけで、宮古島へ戻ります。宮古島市の市街地は大都会です。離島のなかでは石垣市に次ぐ。


下地島

2008年06月30日 | 島旅:宮古諸島

5月30日(金)

 今日は丸一日有るので、下地島をゆっくりと見物します。

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 下地島はこの通り、人っ子一人居ない真っ平らな島です。有るのは、民間パイロットを養成する飛行場とゴルフ 場、それとサトウキビ畑だけ。でも自然景観の見所は沢山有ります。

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 これは海岸に転がっていたサンゴの骨格、原型を止めているのは珍しい。

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 下地島の海水浴場である中の島海岸、シーズンオフの離島には有名な観光地以外、本当に人っ子一人居ませ ん。美しい景観を独り占め出来る上に、唯の石ころや崖の写真を撮ったり、草むらかき分け花の写真を撮ったりして も不審がられる事もありません。大抵の観光客はチラッと眺め「アッ・ソゥッ・・・」てな顔してすぐに帰ってゆきます。

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 中の島海岸の鍾乳洞群、全部で7っ有りました。

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 部分を拡大すれば、鍾乳石の痕跡が残っています。

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 有名な「帯岩」、明和(1771年)の大津波で打ち上げられたもの、高さ12.5m  周長60m有るそうです。

 重さを単純計算すれば、約1,500トン程になります。 

 他にも沢山有ったのですが、飛行場建設のため全て爆破されてしまったとか。

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 テンノウメとアサガオガラクサ


伊良部島へ

2008年06月29日 | 島旅:宮古諸島

5月29日(木)

今日は 座間味島 ⇒ 那覇 ⇒ 宮古島 ⇒ 伊良部島へと移動です。

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本日の宿は、渡口の浜近くに有る「ホテルサウスアイランド」、一階がスーパーで二階がレストラン、三階四階が ホテルです。沖縄方面の離島では気の利いたホテルなんですが、クーラーの効きが悪く室内温度30°湿度80%で はとても寝れたものではありません。

生ぬるいが風は出ているので、ベッドを送風口の下までズルズルと引っ張ってゆき、扇風機代わりにしてやっと 寝ました。地元の人にとっては、特に暑い訳ではないのでしょうが。

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渡口の浜から見た朝日夕陽です。どちらが朝日でどちらが夕陽かって?物理の法則は時間対称性なのでどちら でも同じ事、と言ってしまえば身も蓋もないので、左が夕陽で右が朝日です。

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時間が無かったので伊良部島は特に見て回りませんでしたが、佐良浜港近くのサバオキ公園の海食崖です。 ここには鍾乳洞の断面が露出していました。

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トカラ列島口之島以南に自生する オキナワスズメウリ です。直径2cmほどでとっても綺麗なんですが、食べら れるとは書いてないので、相当に不味いかもしかしたら有毒かも?

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北アメリカ原産の ヒルザキツキミソウ 、野生化して道端に咲いている。