![]() | 安楽病棟帚木 蓬生新潮社このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
痴呆老人を収容する病棟で、ある「理想」が実験段階に入った―感動の嵐の中で最後に待ちうけるミステリーの衝撃。
◆内容(「MARC」データベースより)◆
人間としての尊厳を少しずつ失いながら、頑健な身体をもてあましつつ生き永らえる痴呆老人たち。
彼らを収容する病棟で、ある「理想」が実験段階に入った-。
感涙と戦慄のヒューマン・ミステリー。
【読んだ理由】
帚木 蓬生作品
【印象に残った一行】
病棟で患者さんと接するにつれ、家庭で高齢者と住むのは大変なことだとつくづく思うようになりました。違った世代がひとつ屋根の下で暮らすのは、太古の昔から人類がやってきたことではないか、何で現代人だけができにくいのか、そんなはずはない、努力が足りないだけだという反論が出るかもしれません。しかしひと昔前とは取り巻く環境も、当事者たちの心理状態も、大きく変化しているのです。
第一に、現代の高齢者は六十歳や七十歳ではなく、八十歳、九十歳なのです。平均寿命が延びているとはいえ、頭脳の質は変化がありません。つまり、昔であれば頭脳が衰える前に身体が衰えるので、ひからびた脳が露見することはなかったのです。ところが今は身体が頑丈に持ちこたえるので、脳は衰え果てる最後まで舞台に立っていなければなりません。寿命が延びたというのは、脳の寿命とは関係ありません。脳だけは取り残されたまま、お年寄りは生き続けなければなりません。
第二に、ひと昔ふた昔であったなら、子供と両親そして祖父母は、三代ひっくるめて同時代人であったと言えます。同じ環境と教育、価値観で育てられ、見るもの聞くものも三世代で大した違いはありませんでした。ところが現代では、取り巻く環境の変化、価値観の変化にはめまぐるしいものがあります。現代の十歳の違いは、以前の二十歳、三十歳の違いに相当するかもしれません。そうすると、仮に坂東さんとお嫁さんの年齢差が六十歳としても、実際は百年か百五十年の差があると考えられなくもないのです。明治の人どころか、江戸時代の人と同居生活をしていることになります。生活習慣や食べ物の好みが一から十まで異なるのは当然です。
そして第三に世の中から高齢者の存在が隠されてしまっていて、わたしたち若い世代は小さい頃からお年寄りの姿を眼にする機会がないまま育っています。坂東さんのお孫さん夫婦もきっとそうでしょう。わたしと年かさが同じですから、よく分かるのです。わたし自身、看護婦になるまで、というよりも痴呆病棟に配属されるまで、高齢者のことなど眼中にありませんでした。例えば街のアーケードの向こうからお年寄りが歩いて来ていたとしても、わたしの目には見えなかったはずです。いないも同然の存在でした。今は違います。デパートでもスーパーでも、バス停でも、お年寄りが眼にはいります。誰と一緒か、どんな服装をしているのか、どんなものを買っているのか、どこか身体の不自由なところはないのか、ついつい観察してしまうのです。
【コメント】
人間にとって生きるということは?自分自身そう遠くない将来を考えさせられる。

