31:二世瀬川富三郎の大岸蔵人の妻やどり木と中村万世の腰元若草
第一期の作品中に含まれる二人立半身像は、いずれも色彩にも人物にも一つの対照を見せているのが特徴である。
この図でも、やせた富三郎と肥った万世との対照、比較的薄色の配色の富三郎と濃い色彩の万世との対照がある。
そこに均衡と画面の安定がある。
また神経質的な鋭角的な富三郎の面貌に対して、万世は丸みのある豊顔、さらに眼の描き方、手の方向これも対照的である。
この一つの対照が、どうにも動かせない必然的な構図となってわれわれに迫力となって迫ってくるのである。
この写楽の技巧は、二人立半身像で常に用いるにもかかわらず、われわれを魅了する力がある。
そこには寸分のすきもないのである。
この図は寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」の登場人物である。
やどり木の図は「二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木」にも描かれている。。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第一期の作品中に含まれる二人立半身像は、いずれも色彩にも人物にも一つの対照を見せているのが特徴である。
この図でも、やせた富三郎と肥った万世との対照、比較的薄色の配色の富三郎と濃い色彩の万世との対照がある。
そこに均衡と画面の安定がある。
また神経質的な鋭角的な富三郎の面貌に対して、万世は丸みのある豊顔、さらに眼の描き方、手の方向これも対照的である。
この一つの対照が、どうにも動かせない必然的な構図となってわれわれに迫力となって迫ってくるのである。
この写楽の技巧は、二人立半身像で常に用いるにもかかわらず、われわれを魅了する力がある。
そこには寸分のすきもないのである。
この図は寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」の登場人物である。
やどり木の図は「二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木」にも描かれている。。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』