![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/4e/b1ef666457c8ec37bc5d186751aa89c9.jpg)
道標は古くより旅人の道しるべとして、石等に里程や方向を示し、三叉路の路傍に立てられたものです。
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第五十七段。
・所在地 岡山県津山市川崎 位置図
・建立年 不明
・導(しるべ) (南面)右 播州ひめぢ(姫路)へ二十一里 信州善光寺へ百五十五里 道 左 津山大はし 三十丁
(西面)左 いなば(因幡)鳥取へ十八里半 高円ぼだいじ(菩提寺)へ 六里 道
(北面)もろ人に此よの道はをしふれど さきの世まではわからざりけり 城戸口重吉 建立
・寄付者 城戸口重吉
・撮影日 2006/1/9
・メモ
旧出雲街道と因幡街道の分岐点の兼田橋西詰めに立っている、高さ二メートル弱の大きな道標。
旧道で道は狭いが交通量も多く、あちこちに傷を負っている。
建立年は記されていないが明治初年に津山の篤志家城戸口重吉氏が独力で建てたとのこと。
「高円ぼだいじ」は現在の勝田郡奈義町高円にある「菩提寺」を指している。
道標には珍しく北面に「歌」が一首添えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/c4/736632f1134c3ea05aea265fe03cda0e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a8/b462471a2aed76ba82e27800b954c5c0.gif)
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第五十七段。
・所在地 岡山県津山市川崎 位置図
・建立年 不明
・導(しるべ) (南面)右 播州ひめぢ(姫路)へ二十一里 信州善光寺へ百五十五里 道 左 津山大はし 三十丁
(西面)左 いなば(因幡)鳥取へ十八里半 高円ぼだいじ(菩提寺)へ 六里 道
(北面)もろ人に此よの道はをしふれど さきの世まではわからざりけり 城戸口重吉 建立
・寄付者 城戸口重吉
・撮影日 2006/1/9
・メモ
旧出雲街道と因幡街道の分岐点の兼田橋西詰めに立っている、高さ二メートル弱の大きな道標。
旧道で道は狭いが交通量も多く、あちこちに傷を負っている。
建立年は記されていないが明治初年に津山の篤志家城戸口重吉氏が独力で建てたとのこと。
「高円ぼだいじ」は現在の勝田郡奈義町高円にある「菩提寺」を指している。
道標には珍しく北面に「歌」が一首添えられている。
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>道標には珍しく北面に「歌」が一首添え
られている。
どのような歌でしょうか? 道中の安全
南下を祈るものなんかでしょうか..?
はたまた、恋しい人との別れを悲しむもの
だったり..?
良い道標です。
>もろ人に 此よの道はをしふれど
さきの世まではわからざりけり
この ”此よの道はをしふれど” は
どう理解すれば良いのかなぁ~。
さて、出勤準備の時間です。
今朝は雪がないのでよいです。ただ、
またドアが凍り付いているようです。
解りにくくて申し訳ありません。
>もろ人に 此よの道はをしふれど
さきの世まではわからざりけり
私の勝手な解釈ですが、
「全ての人に、この世の道は教えられるが、先の世のことはわからない」
という意味ではないでしょうか?
丁寧な解釈と説明ありがとうございます。
わかりましたぁ~。
というより、をしふる→おしふる
と読めばよかったとがわかり、
自分の読みの浅さが恥ずかしいです。
道標に記す歌としてはしゃれが効いてい
て良いですねぇ~。