日本男道記

ある日本男子の生き様

天災

2007年10月07日 | 私の好きな落語
【まくら】
この噺は「子ほめ」や「青菜」などと同じく、慌て者が学のある人(ここでは心学者)の真似をしようとして失敗する粗忽噺、滑稽噺の典型的なもの。

中国にも心学という学問があるので、江戸時代に生まれた日本の心学は「石門心学」という名称で区別していた。
石門心学は石田梅岩が開いた学問で、日本における社会教育の濫觴である。
学問とは何か。
儒学では単に知識のことではなく、人間の生き方を考え極める哲学のことである。しかしそれが社会に流布すると、哲学というより社会の倫理道徳の学となる。
それをもっとも平易に、しかも時代の流れに合わせて開発したのが石門心学である。
たとえば儒学では商業を悪とみなすが、心学はそう捉えない。
むしろ「商人はどう仕事すべきか」を、利益獲得と矛盾しないよう説くのである。ともかく今生きている人々が納得するかたちで、社会が平和になるための大衆の学問が、日本の心学である。
わかりやすく、すぐ使える。そのため全国に急速に広まり、たくさんの講座が開かれた。

出典:TBS落語研究会

【あらすじ】
私は紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)ですが、ご隠居さんのお手紙を拝見すると”おっかさん”に手を挙げるそうですが、そのような事はないでしょ。
ない!蹴飛ばす。
では、お話をしますと、喧嘩がお好きなようですが、柳に風のごとく、堪忍が大事。
例えば、小僧が水を掛けたら・・。屋根から瓦が落ちてきたら・・。
大きな原中で夕立、ずぶ濡れになったら、どこに喧嘩をウリりますか。
あきらめらぁ~。だったら、全て天災だと思ってあきらめなさい。
天のせいにすれば、喧嘩をしないですむ。
分かった!帰るけれどお茶が出ないのは天災と諦めるが、戸の開けっ放しは天災だと諦めな。
今帰ったが、長屋が騒々しい。
熊さんの所で喧嘩があって先妻との別れ話が決まらない内に、新しい女を入れたので、先妻の”おみっつぁん”が怒鳴り込んできた。
やっと収まったところだから、行くのはおよし、また喧嘩が始まっちゃう。大丈夫、天災を振り回わっしゃうから。
熊さんの所で、今聞いて来たばっかりの心学”天災”を振り回すが、本人も分からないくらいチンプンカンプンな解説で、
「外を歩くと、屋根から小僧が振ってくる。大きな原に出ると、夏の雨は馬が降ら~ぁ。夕立で、とたんに小僧が水を撒く」仲裁にはいるが空回り。
「元のおかみさんが暴れ込んで来たと思うからいけないんで、天が暴れ込んだと思え。これが天災だ!」
「い~や、先妻の間違いだ!」。

出典:落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
地口落ち(いわゆる駄洒落が落ちになっているもの)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『孝行のしたい時分に親は無し、さればとて墓(いし)に布団も着せられず』
『香香(こうこ)の漬けたい時分に茄子はなし、さればとて胡瓜も生でかじられず』
『梁を行くねずみの道も道なれや、同じ行くなら人の行く道』
『道の外に人なし、人の外に道なし、道は片時も離るるものでない。離るるはこれ道にあらず』
『鳩に三枝の礼あり烏に反哺の孝あり(反哺=は口移しでエサを食べさせること。子バトは親バトよりも三本下の枝に止まり、成鳥となったカラスは年老いた親カラスに口移しでエサを与える、ということから、礼儀と孝行を重んぜよ、という教え) 、羊はひざまずいて親の乳を吸う』
『堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍』
『堪忍の袋を常に首へ掛け、破れたら縫え、破れたら縫え』
『手折らるる人にかおるや梅の花』
『気に入らぬ風もあろうに柳かな』
『むっとして帰れば門の柳かな』
『風の吹く方を後ろに柳かな』
『負けて退(の)く人を弱きと侮るな、知恵の力の強き故なり』
『狭い道でも我から避けて、人を通せば気が楽だ』
『おのが稼業に精出す人は、骨が折れても気が楽だ』
『夏の雨は馬の背を分ける』
『憎むとも憎み返すな憎まれて、憎み憎まれ果てしなければ』

【語句豆辞典】
【心学】
広辞苑をひもとく(バラバラにする)と、心を修養する学問で、江戸時代、神・儒・仏の三教を融合して、その教旨を平易な言葉と通俗なたとえとで説いた一種の庶民教育。
修錬のためには静座などを重んじ、社会教化には道話を用いる。
石田梅岩を祖とする石門心学に始まり、手島堵庵・中沢道二に伝えられ、さらに柴田鳩翁に至って大いに拡張され、一時は65ヵ国、149の講舎を所有した。
【離縁状】
江戸時代に庶民が離婚する際、夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認する文書。
離縁状は二つの項目から出来ていた。一つは本題の離縁すること。二つ目は離縁した後に、どこにでも復縁しても良いと言うこと。つまり”再婚保証書”になっていた。
公事方御定書では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。
また、文書の内容を3行半で書く慣習があったため、俗に三行り半(みくだりはん。三行半、三下り半。)とも言う。
現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。

【この噺を得意とした落語家】
・五代目 春風亭柳朝
・五代目 柳家小さん
・六代目 春風亭柳橋

【落語豆知識】
【お題噺】客席からお題を出してもらい、仕立てる噺。
 




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