【原文】
この歌どもを、すこしよろし、と聞きて、船の長しける翁、月日ごろの苦しき心やりによめる、
立つ波を雪か花かと吹く風ぞ寄せつつ人をはかるべらなる
この歌どもを、人の何かといふを、ある人聞きふけりてよめり。その歌、よめる文字、三十文字あまり七文字。人みな、えあらで、笑ふやうなり。歌主、いと気色悪しくて、怨ず。
まねべどもえまねばず。書けりとも、え読み据ゑがたかるべし。今日だにいひがたし。まして後にはいかならむ。
十九日。日悪しければ、船出ださず。
二十日。昨日のやうなれば、船出ださず。
みな人々憂え嘆く。苦しく心もとなければ、ただ、日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日とかぞふれば、指もそこなはれぬべし。いとわびし。夜は寝も寝ず。
【現代語訳】
これら二首の歌を、まあ、悪くもないと聞いて、船の長をしている老人が、先月来の心の憂さを晴らそうと詠んだ歌は、 立つ波を… (立つ波を、あるいは雪か花かと見まがうが、それは風が吹きよせ吹き寄せして人をだましているらしい) これらの歌を人々が何かと批評するのを、ある人がじっと聞いていて、歌を詠んだ。 ところが、その歌はなんと三十七文字で構成されていた。人々はみんなこらえきれず笑っているようだ。 歌を詠んだ人はとても機嫌をそこねて、人々を恨めしがる。 歌主の詠んだとおり詠んでみようと思ってもどうしてもできない、たとえ、書いたとしても、ちゃんと型どおりに詠めないだろう。 いま聞いた今日でさえ、言いにくい。まして後日というのはどうであろうか。 十九日。天候が悪いので、船を出さない。 二十日。昨日と同じような悪天候なので船を出さない。 人々はみんな心配し、嘆いている。苦しく、不安なので、経過した日を、今日は何日だろうか、二十日、三十日と数えると指が傷んでしまいそうだ。とてもわびしい。 夜は安眠できない。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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