2010年の御柱祭下社里曳きでの騎馬行列
諏訪大社御柱祭の里曳(び)きでは、なぜ騎馬行列をするのでしょうか。
江戸時代の御柱祭では、曳行(えいこう)の列の間に高島藩の騎馬が入って警護しました。騎馬行列の中心は藩主や家老、神職の最高位「大祝(おおほうり)」でした。警護とは別に、地元の氏子が芸を行ってにぎわいを加える「寄合(よりあい)騎馬」と呼ぶ行列もありました。これらが現在の行列の元とされています。
ただ、廃藩置県などの改革により、明治時代最初の1872(明治5)年の御柱祭に騎馬行列は出ませんでした。四賀村(現諏訪市四賀地区)の普門寺と上桑原集落の氏子が、6年後の78年の御柱祭で寄合騎馬を復活させました。
その際、諏訪地方の他の集落が両集落から学ぶなどし、現在まで所作を伝えています。諏訪大社御柱祭では、上社側は神宮寺区(諏訪市)、下社側は下の原区と友之町区(ともに諏訪郡下諏訪町)が行列を出します。やり持ちや草履取りなどの所作、傘を使った動きなどで見物人を楽しませます。
(2016年4月20日掲載)
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