入社後の工場研修の三カ月が終わり、そのまま工場に正式に配属された初めての職場の先人と今もこうして
50年以上の交流が続いています。その理由はお互いがいよいよ遊び人じゃという共通項があるからでしょう(笑)。
⇒阿智胡地亭さん しばらくです。 デジカメからPCへの取り込みが出来なかったので写真が送れなかったのですが
原因はマウスの右クリックのみの故障と判明。日常は左クリックが主体で全く違和感なかったのですがまさか
右側マウスのみ故障とは思いもしなかった。
アチコチ相談したり操作方法を試すも原因不明。 最後は自分の勘を頼りに新品に交換すると嘘のよう
に問題解決した。 こんなこともあるんや~勉強になりました。
さて今回の便りは今治市の大浜地区訪問記です。当地は江戸時代から来島海峡でもまれた天然鯛の一本釣りで有名ですが、
大浜地区の活性化と後継者不足対策として市の協力で二年前に鯛料理の直営食堂をオープンさせました。
レジャーボート停泊施設や海浜公園も併設しており一度行ってみたかったので16日に出掛けてきました。
店名は「潮里=しおり」。 ややこじんまりとして造船所のすぐ隣にありました。


店内には縁起物の大漁旗が目をひいた


名物の鯛めし定食を注文。 新鮮な鯛の香が漂いやっぱり美味しかった。

食事をしながら来島海峡の風景眺めながらゆっくり楽しめた



鳴門海峡、関門海峡とならび日本三大急潮といわれ最大10ノット(約時速19キロ)
にもなるこの日も流れは激しくこの貨物船は海流に向かって全速力で少しづつ進んでいた。


コンテナー船やバラ積み船、時には鯛釣り漁船などこの急流を乗り切るのにどのコースを
走るか推理するのが面白くて時間を忘れます。

たくさんの車が橋を利用して今治~尾道間を短時間で結ぶので昔の船便の手段から思うと
技術の進歩はすごいです。


ここに野口雨情の歌碑があるのを初めて気がついた。 北原白秋、西條八十とともに童謡界
の三大詩人と言われた。
昭和4年に「今治音頭」の作詞依頼でここに立ち寄りイメージ作りをしたと言われる。
詩の一部にこの表現がある。 来島という名前は【くるい汐】から来ているという。


やはり冬の海峡の風景はどことなく静かで重い、早く春の来るのを待っているように思えた。

早い流れを見ていると方丈記の一節
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え
かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。.......」
つまり海が無くならない限り流れ続けるが全く同じものはこの世には無い、という無常感。
ちよっとキザだった?!


戦国~江戸初期の武将で築城の名手といわれた藤堂高虎が築城した海水を堀に利用した海城。

海とつながっているので鯛やサメなども見かける。 この日は黒鯛(チヌ)の群れが見られた


今年はなぜか近所の農家や友達、近所の方から何回も新鮮でいろいろな野菜を
いただくので鍋物の回数が多い。

今年の太鼓の夜のカキ比べの雰囲気を映像から借用。

ややこしいお天気が続きますが、お家族の皆様が輝やかしい新年をお迎えされますように。