阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

備前岡山の銘菓「大手まんじゅう」を土産に頂いた。

2019年01月04日 | 身辺あれこれ
年末岡山総社の実家に帰っていた縁者から「大手まんじゅう」をもらいました。早速頂きました。
日本の伝統的な和菓子でなんとも懐かしい味わいでおいしい。仙台の薄皮饅頭などもこの系統の和菓子だと思いました。




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下町の家々の前は花ざかり その12

2019年01月04日 | 花・草・木・生き物
12月、1月でもこんなに花が咲いている。神戸では六甲山の麓に住んでいたからアロエは冬になると
屋内に取り込まないと凍ってくたくたになってしまったが当地は路地植えで冬が越せる。








珍しく紫式部があった。










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まともな人「鶴見俊輔」の伝記を借りてきた。

2019年01月04日 | 乱読は楽しい

予約していた新刊の準備が出来たと図書館からメールが来た。まだ発行されたばかりで一番最初の借り出し者のようだ。
住まいにスペースがあれば買って蔵書として置いときたい本だが、新たな庵生活ではそんな贅沢は言えず図書館が自分の本棚と思って暮らす。
 鶴見俊輔は日本人としては珍しく、自分が人にどう思われるかということを一切考えずに93歳まで生きた人だと思う。主要な著書は読んだことは
ないがそれでも結構彼の幼児からの母との葛藤の歴史などは知っている。この人は行動する人でもあった。この人は同時代に生きてくれて個人的に
ずっと有難く思っている何人かのうちの一人だ。
 年末から新年にかけて「殿山泰司のベスト・エッセイ」と「安岡章太郎の僕の昭和史1」を読みだしたが、この本は別の意味で骨がありそうで面白そうだ。
内容紹介 Amazonから引用。
戦後日本を代表する思想家の93年の歩み。幼少期から半世紀にわたって行動をともにした著者による、初めての本格的かつ決定的評伝。
後藤新平を祖父に、鶴見祐輔を父に生まれた鶴見俊輔。不良化の末、渡米してハーヴァードに入学。日米交換船で帰国して敗戦を迎える。
その後の50年にわたる「思想の科学」の発行、「ベ平連」の活動、「もうろく」を生きる方法まで。あらゆる文献を繙き、
著者自身の体験にも照らしつつ、稀代の哲学者の歩みと思想に迫る。


まともであること
高橋源一郎
 おそらく、多くの書き手は、黙ってそうしているのだと思うけれど、うまく書けないと思うと手に取ることにしている本が何冊かある。そして、適当にどこかの頁を開き、読む。数頁で十分だ。一頁もいらない時もある。すると、狂っていた「調子」が戻り、書くことができるようになる。わたしにとって、鶴見さんの本がそんな存在だ。
 そのとき、わたしはいったい、何を読んでいるのだろう。文章だろうか。いや、そうではない。その奥にある何か。手応えのあるもの。それでいて柔軟なもの。それを確かめるために、いつも、わたしは鶴見さんの本に戻るのである。
 鶴見さんと初めてお会いしたのは、もう晩年に近く、埴谷雄高が『死霊』の第九章を発表し、しばらくして亡くなった後で、その追悼の対談のためではなかったかと思う。それまでお会いするチャンスがなかったので、わたしはひどく緊張した。それからもう一度、京都まで出かけてお話をしたのだが、どちらの回も、どんな話をしたのかまるで覚えてはいない。最初の対談の時には、手元にメモを置かれていて、それを頼りに話されるのだけれど、何かの拍子に鮮明に蘇ってくる記憶によって話される時の生き生きしたしゃべり方に魅了された。いや、こちらもしゃべりたいことはたくさんあるのだけれど、どう話せばいいのかわからぬまま、ただ時間がたっていったことの悔しさはいまも思い出として残っている。
 本書『鶴見俊輔伝』は最良の著者を得て書かれた。後年、鶴見さん自身が多くの伝記を書かれたが、そこで鶴見さんは、常に、書かれる対象の最良の理解者であった。あるいは、最良の理解者であるよう努めた。だから、鶴見さんの本の中で、遥か過去に生きた人たちが、いま目の前にいて直接わたしたちに向かい合うように思えた。著者は鶴見さんをよく知る人であり、また、子どもの世代にあたる。鶴見さんが対象に向かい合ったように著者は鶴見さんに向かい合った。この本の中で、鶴見さんは生きているように思えた。
 わたしのように、長く鶴見さんの本に親しんできた者には、懐かしいフレーズ、ことばが頻出する。ああ、このことばは読んだことがある。このエピソードは聞いたことがある。そして、不思議なのは、そこにある鶴見さんのことばが、書かれたものも含めて、彼自身の口から直接洩れだしたもののように思えることだ。
 戦後すぐに出版された、最初の大著となる『アメリカ哲学』で、鶴見さんは表音主義にこだわり、こんな文章を書いた。
「哲学お倒し、これお新しい哲学によつて置きかえる仕事わ、これからである。日本の社会に広く行われている哲学的思索法から何とかして離れる事ができるために、また日本だけでなく世界においてまだない新しい哲学お作る準備おするために、色々の場所から、哲学ぎらいの同志があらわれて来て、互いに誤りお正して哲学打倒の運動お有力なものとする事お望む。」
 何かが始まる、ということを伝えるために、これ以上の文章はないように思った。中身も表現も。書き手の考えが身体の中から直接出てきたような文章だ。そして、鶴見さんは、生涯、この方法を貫いたように思う。
 もう一つ、わたしは、この評伝を読みながら、鶴見さんを言い表すことばは「まともであること(‘decency’)」ではないかと強く思った。
 鶴見さんは、「米国で吹き荒れた赤狩りのなか、下院非米活動委員会で喚問された劇作家リリアン・ヘルマン」に触れ、「魔女狩りに対して、はっきりと立ち向かった最初の人が女性であった」ことの意義を考えた。そして、多くのものを失ったヘルマンが、それでも獲得したひそやかなものを‘decency’ と呼んだことに注意を向けるよう書いた。その‘decency’ を鶴見さんは「まともであること」と訳したのである。
 わたしがうまく書けないと思うとき、鶴見さんの本を開くのは、そこに行けば、「まともであること」が何かを感じることができるからだろう。「まともであること」が、途轍もなく困難であるような時代であるからこそ、いま、この本の中の鶴見さんのことばに耳をかたむける必要があるのだ。わたしは心の底からそう思うのである。
(たかはし・げんいちろう 作家)
波 2018年12月号より
単行本刊行時掲載

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福島県での原発事故被害の当事者の声は無視されたまま、住宅支援完全終了へ

2019年01月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・年が明けた。原発事故で避難指示が出されなかった区域からのいわゆる〝自主避難者〟には厳しい春が待っている。住宅無償提供打ち切りに伴い始まった家賃補助制度が3月末で終了。住宅支援策が完全終了するからだ。〝自主避難者〟たちは「1人も路頭に迷わせまい」と国や福島県と交渉を続けた。怒りをぶつけ、涙を流し、時には下げたくない頭を下げてきた。冷たい視線を浴びながら街頭にも立った。デモ行進もした。しかし、それらは全て無視され、切り捨ては強行される。闘い続けた〝自主避難者〟の4年間。ひとたび原発が事故を起こせば被害者は切り捨てられる事が浮き彫りになった4年間だった。時間は無い。しかし、避難者たちはまだあきらめてはいない。
【避難者「私たちの声を聴いて」】「自主避難 住宅提供終了へ」


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