阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

大円寺続き   目黒川を越えて次の聖地・蟠龍寺へ シリーズ山手七福神巡り  その3/全4回

2020年01月29日 | 東京あちこち

大円寺は行人坂に面していて、ホリプロの本社の前にあります。

雅叙園の前を通って

目黒川を越しました。

 

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原発止めた裁判官たち(上) 共通点は司法行政担当せず、17日広島高裁決定で7件に | 2020/1/29 - 47NEWS

2020年01月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事
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新聞に談合を担当したゼネコン各社の社員の実名を載せるのは現代の「市中引き回しの刑」だ。   阿智胡地亭の非日乗リターンズ  

2020年01月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2005年07月04日(月)
市中引き回しの刑  ゼネコンの談合担当社員の実名が新聞に出た

・・「雪印グループ」で今度は食肉の産地偽装が発覚しました」--。

 雪印食品の関東工場で「食の安全」に細心の注意を払っていた喜古強(58)は言葉を失った。・・・
 そんな努力をよそに同じ会社の中で社会を裏切る行為が行われていた。・・・結局勤めていた会社は消滅した。

 やり場のない気持ちがくすぶり続ける一方で、もう一つの疑問も喜古の頭をよぎる。自分自身が偽装に手を染めた営業マンの立場だったら、どうだったか?

その問いは組織で働く人々に共通のものでる。・・・

 7月4日の日経一面のコラム「働くということ、2005」に、『会社と社会の間で』、窮地に信念貫けますか、という上記の記事がありました。


 続けてこういう箇所も。


 ・・・は、会社などで働く人間は「個人人格」と「組織人格」を持つと説いた。会社という組織の論理に埋没しがちな日々の中で、社会への視線をどう持ち続けるか。

 今度の国土建設省の談合の件でも、逮捕された民間3社の部長や部長代理は、今までそれで会社に貢献してきたし、役員は誰も文句言わんかった。なんでワタシがお縄頂戴の上、市中引き回しの刑(新聞に実名公表)を受けないかんのやと思っているはずです。


 その世界を逃げるわけにいかない部門にもおりましたが、部門の大方の人は、「好きでこの部門に来たいと手を上げたんやないです、そういう仕事は嫌やから職場変えて言うたりして、飛ばされてたら先がのうなり母ちゃんと子供のおまんまの食い上げになるかも」ということだったと思います。


 しかし、英米法は「最後は個人がした判断だ」で有罪、無罪を決めますから、太平洋戦争が終結後、BC級の戦犯容疑者も「上官の命令でやりました」は通用せず、多くの兵、下士官が絞首刑になりました。

 日本人とその社会には木に竹を接ぐような欧米の法律を明治政府が導入したばっかりに、現在のフツーのサラリーマンの兵、下士官も苦労しています。


 日本人社会は『武家諸法度』で充分機能すると思うのですが。

 ただこの場合、ご重臣方にいらんこと言うたら、藩を放り出されて、もう禄がいただけないんでやっぱり母ちゃんと子供のおまんまの食い上げです。

 たった4,5百年で人の社会や組織なんか変るもんやないです・・・・・・。

なぜ日本企業の従業員は「思考停止」してしまうのか?

東洋経済オンライン2020年1月29日 「9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ」から部分引用 ⇒ 本文

一方、現在の日本に目を向けてみると、三菱自動車、東芝、神戸製鋼所、日産自動車など、わが国を代表する企業によるコンプライアンス違反という「悪」が次々に起こっています。
筆者は、これらのコンプライアンス違反を防止するために、多くの企業で取り組まれている罰則規定に始まるルール改定やオンブズマンなどの告発制度の施行ではこの問題を解決できないだろうな、と考えています。
というのも、こういったコンプライアンス違反が起きる最も根本的な原因は、企業と従業員の力関係にあると思うからです。

コンプライアンス違反を犯そうとする組織があったとして、当然ながらそれを問題だと思う内部者はいたはずです。ではこのとき、その内部者は具体的にどのようなアクションがとり得たでしょうか? 具体的には次の2つ、
・オピニオン
 ・エグジット
ということになります。
オピニオンというのは「これはおかしい、やめたほうがいい」と意見する、ということで、エグジットというのは「こんな取り組みには俺はかかわらないよ、やーめた」といって仕事から遠ざかる、あるいは会社を退職するということです。
この「オピニオンとエグジット」というのは、従業員に限らず、組織がなにかおかしな方向に向かいそうになったときに、その組織の構成員やステークホルダーが取れる抵抗策と考えられます。
日本企業では、この2つの権利がほとんど行使できない
たとえば株主の場合であれば、経営陣の経営がおかしいと思えば、株主総会で「おかしいだろ、それ」とオピニオンを出すことができますし、何度オピニオンを出しても経営が改善しないということであれば、株を売るということでエグジットすることができます。
顧客も同じで、売主のサービスや商品に文句があるのであれば、クレームという形でオピニオンを出しますし、それでも状況が改まらなければ購買を中止するという形でエグジットすることができる。
したがって、健全な組織の運営にはステークホルダーに対して、この2つの権利を行使してもらう自由を与えたほうがいいわけですが……、日本企業でこれがどうなっているかというと、ほとんど行使できないわけです。なぜ行使できないか? 従業員のその企業への依存度が高すぎるからです。
株主も顧客もエグジットが容易にできるのは、代替手段があるからです。株主であれば別の会社の株を買う、顧客であれば別の企業からサービスや商品を購入すればいい。


しかし従業員はそれがなかなかできない。その組織へオピニオンを出して上司や権力者から嫌われたら? ほかのオプションがあれば出世の見込みのない組織などさっさとヤメて別の組織に移ればいいわけですが、シングルキャリアでほかのオプションを持たない人にとって、これは非常にリスキーな選択でしょう。エグジットも同様です。
要するに、雇用の流動性が低い、パラレルキャリアを持つ人が少ない。結果「システムを批判的に思考する」人がいなくなってしまう。これが、日本でコンプライアンス違反という「悪」を是正させる組織内の圧力が弱い、根本的な原因なのです。
 

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