阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

サムゲタン(参鶏湯)を食べてマッコリを飲んで 旨いランチに満足

2022年03月28日 | 食べる飲む

某日 亀戸のクリニックで循環器内科の月一回の定期検診を済ませ、薬局で薬をもらったら12時40分だった。

クリニックの近くにある 新大久保から来た韓国料理店「豚ウォーリー」に入った。豊富なランチメニューから「サムゲタン ハーフ」とマッコリを頼んだ。

 「サムゲタン」は30分ほど調理に時間をかけて出てきた。韓国人のシェフの作りたての熱々の「サムゲタン」は 旨味とコクがあってなんとも美味しかった。

キムチも入れて味を調えた。

店のスタッフ三人は完璧な東京弁を喋っていたが 三人で話をするときは韓国語で話していた。

 客の二組は在日韓国人で 日本人は韓流マニアらしいおば様の二人組と私だった。

サムゲタン:

参鶏湯の原型が登場したのは意外と新しく1910年代で、戦前の1930年頃に現在知られている形に近くなったとされています。

作り方は、内臓を取り出した中抜きにた丸鶏に洗ったもち米、高麗人参、干したナツメ、栗、松の実、ニンニクなどを詰めて最低でも2~3時間は煮込み、

長いものでは丸一日じっくり煮込むものもあります。

そしてここが重要なのですが、韓国風ではこの時点ではほとんど味付けがされません。取り分けて食べるときに塩コショウで鶏肉やスープに味付けをします。


 本場のレストランでは必ずと言っていいほど参鶏湯を注文すると調味料として塩コショウがついてきます

場合によってはキムチもついてくることがあります。これで好みに合わせて味付けをするのです。
 

日本の食文化だと料理が出されたときにはほとんどの場合味付けがしてあるので、参鶏湯をそのまま食べてしまい「味薄ーい」とがっかりされてしまうパターンが多いようです。

スープやお肉の味を見て、調味料で味付けしてから食べると失敗しませんよ^^    引用元。

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高野辰之の大正時代の「春の小川」の今            12年前の今日 2010年3月28日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年03月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

東京の代々木に住む友人の和田さんからメールが届きました。

☞『「春の小川」が話題になっていますね。春の小川の歌詞が2回改変clickされたとは
知りませんでした。近所なので歌碑の歌詞がどうなっているのか見に行ったところオリジナルのものでした。

当たり前といえば当たり前ですね。暗渠になった現在からは、ここに [こうほね-甲骨] 

(スイレン科の植物の一種。水生の多年生草本。浅い池や沼に自生する)が咲く小川が流れていたとはとても考えられません。

高野辰之がこの詩を作った当時は小田急線もなく、のどかなものだったのでしょう。
ブログの写真(*船橋の春の小川)のすばらしい風景が変わらないことを願っています。ちょうどロマンスカーが通過しました。


写真のように小田急線とビルに挟まれた通りが春の小川といわれても、想像できません。電信柱に春の小川とあるのが場違いのようです。


連想できるのは、この道にある下水のマンホールだけです。」引用終わり。

☆和田さん、そうでしたね、貴兄は歌碑がある近くの住人でしたね。嬉しくてやがて哀しき?レポートをありがとうございます。
明治以降の日本が近代化(と言われる)道を歩いてきたばかりに失ってきた風景の一つですね。
いいも悪いもない、まさにこれが日本人が選んだ進路がもたらした一つのサンプルのように思えます。
ところで、ここらあたりは貴兄が弓道場に通う道に近いのでしょうか?

☆第2信のメールをもらいました。

「歌碑は代々木八幡駅の近く、私のうちは一駅隣の代々木上原ですが、歩いて20分ぐらいです。散歩で代々木公園に行くときはこの歌碑の
近くを通っていきます。高野辰之の家の近くのためか、代々木上原駅と代々木八幡駅のガードの壁には高野辰之の“ふるさと”や“朧月夜”の歌詞が書かれています。

高野辰之の住んでいた家の近くには岸田劉生が描いた切通しもあります。私が大学生の時はまさに絵と同じコンクリートの塀が残っていましたが、
今はマンションになり、坂の途中に劉生切通しの場所と案内があるだけです。あの塀も残しておいてほしかったものです。」

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 *船橋の春の小川:船橋社中の社主さん撮影

 

 

コメント (1)
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3月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年03月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

 

 

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「 山菜の季節」 「御神渡り」 「ばったり会った人」 「新居浜駅の買い物」   阿智胡地亭便り⓵   こんなエッセイを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2022年03月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#1 山菜の季節  ’02/2/17

2月、3月は春の山菜の季節です。
最近はこの時期になると[ふきのとう、たらの芽、こごみ、山ウド]などが
スーパーの店頭にも出るので有り難い。昔は、産地に遠いところでは
業務用専門の八百屋にしか置いてなかったのですが。
この山菜に[マイタケや自然薯]などを加えての天ぷらは、旬を食べているという
実感もあり本当においしい。土曜、日曜に家で山菜を冷酒でやるときりがありません。


<ふきのとう>は千葉、茨城に住んでいた13年間は買ったことはありません。
近くの畑の陽当たりのいい法面の同じ場所に毎年必ず<ふきのとう>が
顔を出します。その場所を覚えておいて春の兆しが感じられると見に行きます。
雪の中から顔をだしたところを覚えておき、食べごろになると摘まんで来て、
ミジンにして味噌汁に入れると、台所は一瞬にして春の香りで一杯になります。
またみじんぎりをたっぷり味噌に混ぜて、焼き味噌を作ってごはんに
乗せると、何杯もお代わりすることになるし、酒のツマミにも絶妙です。

何ヶ所も<ふきのとう>が出てくる場所を押さえておいて、次々子供達と取りに行くのは
毎年の楽しみでした。生える場所によって少しずつ成長の速度が違うのです。
神戸に来た当初は<ふきのとう>が手に入らず寂しかったのですが、数年後三ノ宮の
地下商店街の八百屋で見つけ、それから毎年そこに買いに行きました。
ここ3、4年は近くのスーパーの棚にも置かれるようになっています。

<たらの芽>は切り取っても、すぐに新しい芽が吹くので栽培作物としてもペイし、
需要も増えてきているので、最近は熊本の阿蘇山麓などで栽培され、参入する
農家も増えているそうです。
昔から考えると匂いは少し薄くなったような気はしますが、まあそれなりの価格で
買えるので、このシーズンはこの大好物を冷蔵庫に欠かす事はありません。
外で山菜の天ぷらと言うとそれなりの値段を取られますが、このシーズンは
スーパーか近くの八百屋で手に入る材料で家で山菜を楽しんでいます。

# 2御神渡り  ’02/04/07

4月3日の日経関西版夕刊の「プリズム現代第一集/身近に迫る温暖化」というコラムに諏訪湖の
御神渡りの事が出ていたのでご紹介します。記事中の「八剣(やつるぎ)神社」は父が生まれ育った
地区の氏神で、父の実家があった場所から300mくらいのところにあります。

全面結氷した湖面に、盛り上がった亀裂が走る長野県・諏訪湖の「御神渡り」。


信州の厳しい冬を代表する景観として知られるが、最近はめったにお目にかかれない。
三月、諏訪湖に近い八剣神社で行われた恒例の御神渡り奉告祭では、宮司の宮坂清さんが
「波打ち寄せる明けの海にて、御渡りのござなく候・・・」と、今年も御神渡りのない「明けの海」
だったことを神殿に告げた。・・中略、厳しい冷え込みが氷を収縮させ、大音響とともに湖面に
割れ目が(真ん中を切り裂くように一直線に盛り上がって)走る。冷え込みが緩むと今度は氷が
膨張し、割れ目に張った新しい氷を湖面上に押し上げる・・・というのが御神渡りの出来る仕組み。


マイナス10度以下の夜が続かないと、氷は十分収縮しない。御神渡りは諏訪大社の神が湖面を
(上社から下社へ)渡った跡と伝えられ、その道筋で吉凶を占うなど神聖で大切な現象とされてきた。
・・中略、その記録が「湖上御度注進録」として八剣神社に伝わっている。室町時代から途切れる
ことなく560年間。これほど古い自然現象の観測記録は他に例がない。温度計のない時代の貴重な
気象記録でもある。(地球の気象データとして世界的に利用されている)その注進録によると、
御神渡りがなかった年は江戸時代に十九回、明治に三回、大正に二回、戦前の昭和に二回と
きわめてまれだった。ところが、戦後の昭和は十三回に増え平成では十二回と出現しない方が
普通になった。・・中略、御神渡りどころか湖が全面結氷しない年も増えてきた。氷が薄く危険な
ため、地元警察は「氷上への立入り禁止」を通達。冬の風物詩だったワカサギの氷上穴釣りも
難しくなった。湖上でのスケートは、今や過去の風景だ。


「ここ数年、どこかに忘れ物をしたまま、春を迎え続けているような気分です」と宮坂さん。
古くからの風習や伝統にも、温暖化が影響を与えつつあるようだ}

 御神渡り:父から、「子供の頃毎冬、夜中にバリバリバリっと大きな音が湖面から聞こえたものだ。
その回数が多い年ほど豊作だと皆喜んだ」と聞いた事がある。旧制諏訪中学の冬の体育の時間は
諏訪湖でのスケートだったそうで父はスケートは確かに上手かった。

八剣神社:諏訪大社の7年目ごとの御柱(おんばしら)祭りの記録に残っている200回目、
すなわち1200年目の祭りの年に親戚の家に泊まり従兄と八剣神社にお参りした。彼の説明では、
諏訪大社の子社の中でも格式で筆頭に近い古い神社で、もしかしたら大和族により出雲から
追われて諏訪に逃げた大国主系神(出雲族系)の諏訪大社よりも古く、それ以前から、
当地に住んでいた原住縄文系の部族の祖先神を祭った神社かも知れないと。


建物は何回も補修されているが、あるときの工事の時に甲斐の武田が諏訪を占領した時の
武田兵の落書きが見つかり、それは今でも残してあるそうだ。ここも7年に一度4本の御柱を
新しく建て、古い柱は小さく分割し祭神名を書いて氏子が頂き、家の神棚に7年間備える。
私も頂いて帰り、家の神棚に上げている。
諏訪の地の神が神戸まで連れて来られて驚いているかも知れない。

  宮司の宮坂清さん:八剣神社の氏子が住む小和田(こわた)地区は宮坂姓が多い。
清酒「真澄」の醸造元もこの地区の宮坂醸造だ。

  小和田(こわた):「わた」は日本古代語で水、海、船着き場を表す言葉。

「こわた」は規模の小さい船着き場の意か。

  戦没学生の手記を集めた本の題名に「聞けわだつみの声」などと使われたり、平家が福原の都時代に活用した兵庫「大輪田の泊」とか

漢字が導入されてから当て字で色々書かれるが音でわだ、わた」が入っている地名は水辺、海辺に多い。

雅子さまのご実家の小和田さんは「おわだ」と読むが、やはりそういう地名からの名字かも知れない。



#3 ばったり会った人 連休番外篇  ’02/05/03

世間様はどこまでも不景気で、人減らしが続き大変なこの時期に、私は4月後半のある日、
琴平の金毘羅大芝居に行きました。
現在、多度津と新居浜に居住されている元の勤務先の先輩お二人のご配慮で、
国の重要文化財に指定されている琴平の金丸座の公演に行くことが出来ました。
年に一度の歌舞伎公演、しかも今年は片岡仁左衛門一座の出演で連日大入りだったようです。
当日、前から2列めの桝席で「義経千本桜 すし屋の場」などに3時間浸ってきました。
いがみの権太がキセルに火をつけた途端その煙が鼻をさす近場で。



この観劇旅行記はいずれ「あちこち記」でと思いますが、この金丸座の前で
(小説家の立松和平さん)にたまたま出会ったので、これをネタのキッカケにし、過去に
「バッタリ出くわした」人達を指折り数え、連休の番外篇としてワタシのミーハーぶりのご披露です。


*(立松和平さん)は思っていたより顔も大きく身体の厚みがあり、大柄で人より身長が頭一つ
抜け出ていました。大きなリュックを肩にかけていて、たまたま琴平金丸座の入場口で会い、目が合いました。
ふんわりした気分の人のように見えました。

*会った近さの順番で行くとその前は(中島誠之助さん)でした、2ヶ月ほど前、新幹線の東京駅ホームで。
その時は名前はわからなかったが、「お宝鑑定団・・」とかいう番組にヒゲの着物姿で出ている人と、
その時は洋服でしたがすぐわかりました。私より小柄な人でした。番組は見ないけどコーヒーか
なんかのCMでよく見かけていたせいか、瞬間、よく知っている人と思い、目が合った時今日は
と挨拶しそうになりました。

*エジプト考古学の早稲田大の(吉村教授)。新幹線京都駅のホームで。
長い黒革のコートを着て真っ赤なネクタイ。なかなかダンデイなおっさんがおると思ったら彼でした。
柱の陰で携帯を始めましたがカタチが決まっていました。

*小沢昭一の次に好きな(永 六輔さん)、JR浜松町で電車を降りる時、同じ車輌の扉から乗ってきた。
相当な年だと思うが背骨がピンと伸びた大きな人だった。やはりアゴに特徴があった。
自然体でなんとなく落ちついた江戸火消しの頭みたいな雰囲気があった。
ところで小沢昭一は、数十年にわたりラジオの「小沢昭一的こころ」の番組でちょっとHな
「〇〇〇〇お父さん」を出しており、このお父さんのイメージのお陰で私もあちこちで時々
得をさせてもらっている。
広島のどこやらのゴルフ場で、キャデイさんに「何年もあの番組を欠かさず聞いとるけど、
〇〇〇〇 という名前の人に始めておうた。ホンマにおるんやねー。おたくがモデルかね」と
独りだけ大事にしてもらって他のパートナーの顰蹙をかったことがあった。

*神戸製鋼ラグビー部の(大八木)選手、家の近所のホームセンターで。
家族で買物していた。プロレスラーみたいな大きい人で坊主頭で異彩を放っていたが、
普通のかっこうのせいか誰も気がつかず、うちのヨメサンも私が言うまで気づかなかった。
このコーナン大石ホームセンターにはよく来るらしく数回出会っている。

*(岡村隆さん)ナイナイの小柄な方、新幹線の新大阪の上りホームで。
文庫本1冊だけ持ってホームのあちこちを移動しながら床に座りこんで読んでいた。
まだテレビに出始めた頃だったか、自分が見られているかどうかチラチラ周囲を確認しながら
時々場所を変えて列車が来るのを待っていた。

*ギタリストの(クロード・チアリさん)、新幹線の神戸駅改札口で。
広島から家に帰る時、改札口で出会った。一人でたんたんとギターケースを手に持っていた。
確か夙川か仁川あたりに住んでいるはず。

*神戸製鋼ラグビー部の(平尾)選手、当時監督?、積水化学の大阪本社ロビーで。
私が積水の物流部の方を待っていたら、ちょっと離れた場所で、彼が名刺を出して
積水の人と挨拶していた。後で面談相手に伺うと、営業で神鋼製品の売り込みに来てるんやろと。
鼻の下にかっこいい髭を蓄え、例の精悍にして鋭い目付きでにこやかに話をしていた。
一流の人間はどこにいてもかっこええなあ、全身が決まっているなあと思った。

*(桂 文珍さん)、阪急六甲から梅田まで阪急電車の席で約30分隣どうしに座った。
当時関西大学に招かれ講座を持っていた頃で、風呂敷からなにやら難しげな本を出して読んでいた。
途中で前の席のおじいさんが気づいて、「文珍さんやねー」と席を立って親しげに声をかけたが、
電車の中やからとか何とか硬い顔で言われて、じいさんはバツが悪そうに席に戻っていった。

文珍氏とは近所の小さな蕎麦屋でも一回会ったが、その九州佐賀出身の夫婦者がやっていた
すぐれもののソバヤは震災でつぶれた。その後一年間なんども店のあったところに歩いて行って
みたが再開されず、経営者は佐賀に帰ってしまったようだ。あの蕎麦は本当にうまかった。
震災の痛手の一つ。佐賀で再興した蕎麦屋 狐狸庵さんClick

*(松島トモ子さん)、神田美土代町勤務時代に接待帰りの23時過ぎの銀座で。
もう亡くなった紀伊国屋書店の田辺茂一社長ともう一人と3人で肩を組んで酔っぱらって
よろよろ歩いていた。小さい時のあこがれの童謡歌手や、元気でがんばってやと暫し見送った。

*(司馬遼太郎さん)、千葉県南柏の社宅から家族でたった一回だけ食事に行った有楽町の東京會舘で。
何か文学賞の授与式があったのか廊下ですれ違った。昭和54年頃?。白髪ですぐ司馬さんとわかった。

*(尾崎紀世彦さん)、羽田空港で。「又会う日まで」でレコード大賞かを取った後だったか。
テレビでは大きく見えていたが、実際は身長160cmくらいで小柄なので驚いた。

誰も皆、あちこち出張や旅行やなんやかんやで動いていると、誰かにバッタリ出会うもんです。

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2022年3月6日追記

2003.8.10作成

  落語家二人

*(桂文珍さん)  新大阪のホームで列車の入線を待っていた。車内で読む「週間文春」と「お~いお茶」を確保した後は、
いつもの癖で目の前を行き来する人達をバードウォチングならぬピープルウォチングを楽しむ。

背をしゃんと伸ばして夏物を涼しげに決めた奥さんの後を、ゴルフウェアーらしいポロシャツを着た旦那が荷物を持って
トボトボついていく。アタッシュケースを持った紺のスーツの若い女性が男の同僚社員らしいのと急ぎ足で通り過ぎる。

若い男女の外人が6、7人でトランクの山を横においている。ツアーらしいがガイドはいないなあ。
女性が小柄だし、着ているものの色とコーデネイトが洒落てるからからアメリカ人じゃなくてラテン系みたい。

あら、向こうからくるおっさんあれは桂文珍みたいやなあ。荷物をカートで引っ張っている。
お伴なしで一人で動いてるんだ。彼は私のすぐ隣に来て立ち止まった。やはり文珍だった。

5、6年前に阪急六甲から梅田まで隣どうしに座った桂文珍とはこれで3度目の遭遇だが、
いままでになく自然体で周囲の人は誰も気付かない。気のせいか彼は少し仏頂面に見えた。

テレビと違うのは薄いサングラスをかけているだけだ。彼は早く来すぎたのか私の乗った列車には乗ってこなかった。

*(笑福亭鶴瓶さん) 乗った飛行機の21のB席は窓際3列の真ん中の席だった。この伊丹空港発のフライトは乗客に子供が多く満席だった。

シートベルトを締めてぼんやり乗って来る人をみていたら、笑福亭鶴瓶みたいな男が通路をこちらに来る。
その後ろに名前は知らないがテレビで顔は見たことがあるのが続いている。

みたいではなく間違いなく鶴瓶だった。彼は20のD席、若いのが20のC席に座った。
飛行中二人は半分の30分ほどスケジュールの話をしていた。あのダミ声の大阪弁で。

着陸して皆が席をたったとき、彼の前の席の女性が後ろを振り向いて握手を求め、それに対して笑って握手を返していたくらいで、
殆どの人は気付かないままで機内から下りていった。

運動会などの集団の中から自分の子供をすぐ見分けられる視覚の識別能力は、動物の始源的な能力の一つらしいが、
例え一度も会ったことがない他人でもいったんインプリンテイングされたイメージと同一人物が目の前に現れたら、
無意識かつ即座にその人だと認識するという経験は何度あっても面白い。

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2004年頃の出会い

*(小田実さん)、最終の東京行き新幹線に乗るべくJR芦屋駅で京都行き新快速に乗りかえようとした2004年頃、

ホームで黒いコートの背中の広い大柄な男のすぐ後ろについた。

電車が入ってくるとき横顔に電車の前方ライトが当たり、そのがっしりした顎の男の横顔が浮かび上がった。

小田実さんだった。確か当時彼は家族で芦屋に住んでいた。

高校生の時から40数年ずっと本も買ってきた憧れの人が目の前にいることに驚き嬉しかった。

二人だけの列は誰も降りてこないドアから乗ったあと、右と左に分かれて座った。彼も新大阪で降りて、新幹線の改札口に向かった。

恥ずかしながらミーハー辛好の大切な思い出です。

*(仰木 彬 監督)、もう何の用事で乗ったのか忘れましたが、2004年頃三ノ宮から神戸市営地下鉄に乗りました。

昼下がりの車両はガラガラに空いていて、乗客は私とはるかむこうに座っている一人の初老の男の二人だけでした。

見るとも無く視線を向けたそのもう一人の乗客は、地下鉄の中だというのにサングラスをかけていました。
軽く背中を座席の後ろにもたれかけて目をつむっているようでした。

その初老の男の「すがたカタチ」は「決まって」いました。

身体のどこにも力が入っていないリラックスした彼のまわりに、そこだけ何ともダンデイな空気が流れていました。

オリックスの仰木監督だと気づきました。

この沿線にグリーンスタジアムがありますが、まさか監督が一人で地下鉄に乗っているとは思いませんでした。

世の中には歳をとって、こんなに「姿かたち」が美しくなる男がいるんだと思いました。

一回限りの、しかもわずかな時間の、仰木彬という人との個人的な出会いの思い出です。


#5新居浜駅の買物  ’02/06/24

先々週、四国営業所に仕事がありましたので半年ぶりに新居浜へ行きました。

①仕事が終ってから、新居浜で新居浜高専の先生方お二人と3時間半にわたり飲りました。
最初の店が一人1200円、次の店は鯨の立田揚まで食べその他3品ほどとジンロ一本取って
一人1500円でした。

どこで飲んだら合計一人2700円で3時間半飲めるんやという質問が来るのは、必至なので言って
おきますが、最初は新居浜駅の横のウドン屋、次がちょっと市内へ移動して「養老の滝」です。
このウドン屋は、愛媛県、香川県では普通の一年中「おでん」がある店です。
西宮の勤務先の近くの讃岐うどん屋も主人が讃岐出身かして同じシステムで、一年中おでんがあり、
鍋からお皿に自分で好きなおでんを取って注文したうどんがくるまでそれを食べています。
この二県出身の人は日本全国うどん屋に行けば一年中おでんが食べられると思っていますから
他県へ就職してこれが標準ではないと知った時、相当な衝撃を受け、国へ戻る人があると聞いた
ことがあります。??

帰りの特急に乗る前に、新居浜駅の売店で定番の買物をしました。

ハラダの栗タルト、母恵夢、星加のゆべし、別子あめ、しょうゆまめ、黒胡麻きなこ棒。
平均単価400円、締めて2450円なり。

新居浜駅は始めて降りた昭和41年と違うのはビジネスホテルが近くに見え、最近コンビニが出来たくらいで36年間ほとんどそのままです。
すぐに駅前アーケードがある他所の駅とは違い、土産は駅売店でしか買えませんが、駅売店の品揃えがなかなかいい。
ほとんど昔の駄菓子屋みたいに地元でしか買えないアイテムが揃っています。

家族にとっては昔からの新居浜出張土産の懐かしい20数年前からの味覚ですから、袋をどさっと開けると歓声があがるのが張り合いです。

②土産といえば、あちこちに行った経験談で唯一家族に感謝されているのは、旅行先でこれはというものを見つけたら、
後で買おうとか明日買おうとか帰りに同じルートを通からその時買おうと思ったら駄目。明日は時間があるかどうか、その店が開いているかどうか、
品物があるかどうか、ルートは予定変更で違う道にいくかもしれない。思ったらすぐ買ってしまう。特に海外旅行では彼女達にとって、このアドバイスは有効だったようです。

③国内出張では帰りの汽車までに時間がある時は、駅や商店街の土産物屋ではなく、地元のスーパーの食品売り場によく行ったものです。
例えば、高岡の駅ビルにある店の「イカの一夜干し」よりスーパーの方が、物があたらしく値段も安い。
また、外の土地にはないその土地独特のお菓子や食べ物がある。

高岡駅と言えば全国の百貨店の駅弁大会でもメジャー品「鱒のすし」を買う時は、時間がなくとも一階の全店においている誰でも知ってる有名ブランド品ではなく、
2階のひと気の少ない売り場へ行って、地元でしか知られてない弱小「鱒のすし」屋の品を買ったものです。地元の人は他所への土産などで買う時は
皆ここで買っていると代理店の社長から教えてもらいました。
大量生産の自動生産でなく、人手で少量作っているので、鱒のスライスの厚みも一定でなく、バラツキがあり買うたびに少しづつ味が違うと言うファージイな代物ですが、これはうまかった。

もう何年も高岡には行ってませんが、いずれJRのジパング倶楽部の会員になれる歳になたら、
北海道小樽から九州長崎まで仕事で行った場所を相方と訪ね、高岡駅の2階にも必ず行くつもりにしています。


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