阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

竹橋のパレスサイドビルから東京駅までお堀端を歩く その三  東京駅北口から都営バスに乗って錦糸町経由で帰宅

2022年03月14日 | 東京あちこち

左の白いテントは東京マラソンのための設営だ。あちこち作業の人と場所があった。

有楽町方面を見る

歩行数 7400歩 歩行距離 4.5㎞

東22[都営バス]のバス停一覧

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ノスタル爺は 神戸から参加した四日市市立港中学校の同窓会のあと 四日市ゆかりの地を探索する        10年前の今日2012年3月14日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年03月14日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

四日市市立納屋小学校は生徒が減って合併し別の名前別の場所になり、自分が蔵町から3分歩いて通学した小学校があった場所は いまは別の公共施設名になっていました。

門だけは元の位置からは場所が変わりましたが、そのまま保存されています。
 

 自分が生まれた町「四日市市千歳町」を訪ねました。千歳町には今は民家は一軒もありません。工場と空き地だけになっていました。

それでもこのあたりで家族と5歳になるまで暮らしていたと思うとやはり懐かしい。

私はこの地から5歳で 兵庫県西宮市の仁川町に親の勤めの関係で引っ越し、 その仁川からまた一年少々で九州の若松市(現在は北九州市若松区)二島に移りました。



千歳町の工場近くの 父がよく釣りをしていたと言う岸壁は閉じられていて中に入ることは出来ませんでした。


入学した若松市二島の島郷小学校から4年生で尼崎市の塚口小学校に転校し、小学校6年生の時に再び四日市に引っ越しました。その時に住んだ蔵町のあたりも懐かしい。


雨が降ると校庭が一面水に浸かる低地にあった中学は移転して、跡地は市営温水プールになっていました。

細かった通学路は名四国道になっていて、全く別の通りになっていました。


四日市に生まれ育ち今もこの地に住む 小学校の同クラスの級友 清水さんと、彼のクラウンのお蔭で効率よくゆかりの地を回ることができました。

清水さんとは転校した小学校6年生の時に同じクラスになりましたが、お互い社会人現役時代は年賀状のやりとりだけで、交流はありませんでしたが、

今もこうしてつながっているのはありがたいことです。

◎スライドしてみてください。画像が15枚あります。

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(諏訪大社)御柱祭山出しへ 綱打ち、心と技つなぐ       長野日報

2022年03月14日 | 諏訪便り

2022年3月13日 6時00分      「さんまた」で力強く豊平・玉川地区の元綱をより上げる氏子たち=茅野市穴山の長円寺境内

諏訪地方の各地で12、13の両日、諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)の曳き綱を作る「綱打ち」が行われている。

参加人数を制限するなど新型コロナウイルス感染症対策を講じながら、力を合わせて綱を打ち、間近に迫った大祭へ気持ちを高めている。

■本宮一 茅野市豊平・玉川

上社御柱祭で本宮一を担当する茅野市の豊平・玉川地区は12日、玉川穴山の長円寺clickで元綱と2番綱を打った。両地区の氏子や、

「穴山鳳鳴綱打保存会」の会員が参加。両地区ごと元綱と2番綱を1本ずつの計4本を50人ずつで打った。元綱は1束60本の荒縄を3束使い、

長さは26メートル。車輪付きの道具「さんまた」を移動させながら作った。

豊平地区の元綱の綱打ちでは「せーの」の掛け声に合わせ、氏子が呼吸を合わせてねじり上げた。同地区の元綱長、柳平裕紀さん(46)は

「参加人数が少ないので、綱のよりが甘くならないよう気を付けた。無事にできてほっとしている」。

穴山の綱匠を中心に伝統文化を継承しようと前回御柱祭で発足した同保存会の田中定善会長(74)は「本宮一の綱が打てるのは名誉なこと。

きれいな綱が打てて大変うれしい」と話した。


力を合わせて前宮一の元綱を打つ四賀・豊田の氏子たち=諏訪市の旧東洋バルヴ諏訪工場跡地

■前宮一 諏訪市四賀・豊田

前宮一を担当する諏訪市の四賀・豊田は12日、綱打ちを同市の旧東洋バルヴ諏訪工場跡地で行った。氏子約160人が参加。

力を合わせて縄をより、元綱を打ち上げた。

若い世代の氏子に綱打ち技術を受け継ぐとともに、20日を中心に行われる各地区の綱打ちに向けて技術を習得するための講習会として位置付けた。

男綱を豊田、女綱を四賀が担当。保科文明さん(56)=四賀普門寺=、小泉俊郎さん(70)=豊田有賀=ら5人を講師に、長さ10間(約18メートル)の元綱2本を仕上げた。

新型コロナウイルス感染防止対策を徹底し、2016年の前回は約800人だった参加人数を大幅に制限。木やりや掛け声を最小限にとどめ、会場は静かな熱気に包まれた。

四賀豊田御頭郷総代会の宮坂清会長(57)=四賀武津=は「立派な綱ができた。里曳きは私たちの力で曳けることを想定して、準備を進めたい」と話した。

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残像のよさでまたその人に会う 山田太一。  本を読まへんオトナが増えた  田辺聖子。    2006年04月07日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年03月14日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 


1、「時折、夕食をとりながらのんだり、しゃべったりする友人がいる。

しかし結局話の大半は忘れてしまう。

会っているときのおおざっぱな残像以上になにを知っているかと考えると、呆れるほど心もとない。

ただもう残像のよさでまた会うようなものだ。」                  

山田太一


2、「本を読まへんオトナが増えた。

だからコドモみたいな国になってしもた。」                                                  

田辺聖子  
 
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