ギボウシ(擬宝珠)
アジュガ チョコレートチップ
アジュガ シルバー
カンパニュラ アルペンブルー
イタリアンパセリ
シャンツアイ
ワイルドストロベリー
ミント
荒川河川敷から綿毛を取って来て植えた西洋タンポポ
ギボウシ(擬宝珠)
アジュガ チョコレートチップ
アジュガ シルバー
カンパニュラ アルペンブルー
イタリアンパセリ
シャンツアイ
ワイルドストロベリー
ミント
荒川河川敷から綿毛を取って来て植えた西洋タンポポ
1、震災は「5000人が死んだ一つの事件ではなく、1人が死んだ事件が5000回あった」 しかし、三人称の死に接しても、人は普段通りに笑ったり食べたりできる。] ハンセン病・水俣病・原爆症・・。差別にさらされ、言葉を失った人々を、柳田は何十年も見詰めてきた。 2008年1月29日「阿智胡地亭の非日乗」掲載 |
いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。
こんなことがニュースになるとは。感染研は、中世のローマ教会のようです。
— 上 昌広 (@KamiMasahiro) March 29, 2022
毎日新聞】<新型コロナ>新型コロナ 「エアロゾルでも感染」 感染研、見解を変更https://t.co/PmpClj3ftX
世界から1年遅れでエアロゾル感染を認めた国立感染症研究所
— 五百旗頭幸男 (@yukioiokibe) March 29, 2022
「WHOやCDCは昨春、主な感染経路としてエアロゾル感染と飛沫感染を挙げ、接触感染は起きにくいとする見解を示した」「ウイルスを含むエアロゾルで空間が汚染されているから換気が必要としっかり伝えることが重要」
https://t.co/6wBRIbqXMT
コロナ禍で生活困窮女性の売春増 警視庁が支援担当者配置へ | NHK https://t.co/j1spWYYtSa
— achikochitei (@achikochitei1) March 30, 2022
NHKニュース見てたら、教科書検定で「強制連行」「連行」という言葉を「徴用」「動員」に言い換えてるのを知った。全滅を「玉砕」、退却を「転進」に言い換えた大日本帝国しぐさそのものだなと。
— Sonota (@yuandundun) March 29, 2022
記者クラブの最大の犯罪性は、閉鎖性にあると思いますね。大きなところだけでニュースを独占して、雑誌や新顔の放送などを加入させない。利益独占ってわけ(略)加入なんか一切の条件を廃止して、どんなミニコミだろうが自由にその「場」を利用できるように改革すべきだ。『事実とは何か』本多勝一
— 週刊金曜日 (@syukan_kinyobi) March 30, 2022
半年前に亡くなった父の口座からNHKが引き落とされてるのに気づいたのは今月のこと。
— LaLa (@LaLatamaki65) March 30, 2022
解約しない限りずーっと引き落とされるらしい。無人で電気も止まってる家でも。
解約手続きしようにも、まったく電話が繋がらない。何度も時間帯を変えてかけてもまったく繋がらない。
「ババアはいらねぇ」「どのツラ下げて来てんのか」 ディズニーランドの“キャラクター出演者”訴訟に判決 オリエンタルランド社に88万の支払い命令(ねとらぼ)#Yahooニュースhttps://t.co/PPD8tLUXwO
— achikochitei (@achikochitei1) March 30, 2022
#6’神田「みますや」にて① ’02/06/30
6月26日、翌日が株主総会なので朝から東京に行った。その夜はいつもの神田のホテルに泊まった。東京出張のおりは
夜は大抵どなたかに一杯お付き合い願っているのだが、明日が外(ほか)ではない日なので、飲んでも早く切り上げようと思い、
どなたにも声をかけず一人で居酒屋の「みますや」に行った。
「みますや」は一年半ぶりくらいだが店の中が何となく綺麗っぽくなっていた。
客は殆どが50歳代の勤め人が2、3人連れで、2人ずれの組でも女性は30代以上に見え、相変わらずチエーンの居酒屋とは客層がかなり違う。
入って左側の大きな板卓の3人ずれの客の横に案内された。目の前にはやはり一人客がいたが暫くして帰った。
生中を飲んでいると頼んでいたこの店の定番の牛の(にこみ)が来た。すぐ近くの神田美土代町に勤務していた昭和50年代の、
週に数回は来ていた頃は、確か一皿350円くらいだった、と思う。
相変わらず独特で、関東風の濃い味付けで旨さは変わっておらず、年数を考えると仕方がないと思いながらも、関西が長くなったせいか、
量もしっかりあるのについ(にこみ)が一皿600円かと思ってしまう。
定年前に見える横の3人ずれは近くの勤め人たちらしく誰か同僚の噂話に余念がない。関東弁も歯切れのいい江戸っ子弁だと耳に心地よく、
いまや東京でも希少価値の方言、江戸っ子弁だなと思いながらBGMとして何となく聞いていた。
壁には前にはなかった日本各地の銘酒のあれこれ、田酒、久保田などの名前が張り出され、日本酒だけのメニューが出来ていて驚いた。
しかも料理も、前と同じく壁にそれぞれ小さな板に書いて上げてあるが、メニューも板卓においてある。普通の熱燗一合と「きんぴら」を追加で頼み、
これで引き上げようと思っていたら一人客が目の前に案内されて座った。三十四、五のさっぱりした感じの男だった。座ってから何となく嬉しそうに店の真っ黒な天井、
柱や畳の上がりがまちなどを見廻した。無言でいるのも気詰まりなので、彼が生中を飲み干し「にこみ」を食べ、またメニューを見て私と同じ熱燗、
彼は2合だったがを頼んで暫くして、「この店は初めてですか」と声をかけてみた。外で一人で飲む時、相手を見て目の前の人に声をかけるのだが、
迷惑そうなら必ずその一言で止める。
自分も喋らないで飲みたい時もあるから。この日の彼は飲む人間に共通の雰囲気で「いや、今日が初めてなんですよ」と自然体で返してきた。
桂米丸の切符を知り合いからもらったので今日は公休で東京へ出てきてそれを聞き、終ってから前から来てみたかった「みますや」にようやく来れたという
横浜の人間だった。
この「みますや」が近頃の居酒屋ブームで雑誌やテレビに取り上げられていることを彼から初めて教えてもらった。
明治38年の開業で始めは近くの工事現場の土方相手の店だったことも彼は知っていた。
そうか、だから綺麗ぽっくなって前にはなかった新規の客相手のメニューが出来、とっくりがみますやの名前入りになって店員の数も増え、
次々年配の客が店の中を覗きながら入ってくるわけがわかったと疑問が晴れた。
ただ店の雰囲気が前と変わらないのは有り難く、それも建物が戦前のそのままのせいもあるかも知れない。
しかし次の震災ではおそらく即ぺちゃんこではある古い木造の建物だ。
この横浜人は母親が京都、父親が栃木という組み合わせで、仕事で各地に行くと居酒屋を楽しむという仁であった。
会話は楽しく続き、銚子が沢山並んでしまい翌朝二日酔いで目が覚めた顛末は次回へ。
行ったとさ
#9ごもっとも・・・その後 ’02/09/23
節分が一年に一度の行事であることから、法事でしか顔を会わさくなって久しい従兄姉たちと、法事の席で節分をどうしているかなんて話題にすることは、
当然これまで一度もありませんでした。
今回、神戸新聞の文芸欄に掲載されたエッセイのコピーを父方、母方の親戚に送った事から「ごもっともの真実」が明らかになってきました。
一番上の伯父の上諏訪在住次男家 ;本人は大きな声で毎年やって家族の顰蹙をかっている。
二番目の伯父の東京在住長男家;もう50数年東京に住んでいるが、毎年欠かさず家族と 共にごもっともをやってきた。
ただ子供が独立し、ほそぼそにはなってきた。
四番目の叔父の東京在住の長男家;叔父が大声で欠かさず鬼は外~を毎年やっていたがごもっともは言っていなかった。自分もやってない。
明治41年生まれの伯母が95歳でなくなり、9月の始めに、その葬儀にひさしぶりに上諏訪へ行きました。
小和田地区の檀那寺、教念寺での葬儀の後、父方の従兄の中では最年長の喪主の家に寄りました。
東京在住50年を越え、勤務先を70歳で最近リタイアーしてそろそろ東京から引き上げるかもしれない従兄(喪主)の実家には沢山の書物があります。
従兄が二つの本を出してくれました。それを借りてきました。そこからそのまま抜書きします。
1。「諏訪の年中行事」 全161頁 昭和24年2月20日発行
著者 諏訪教育会 発行所 蓼科書房
正月行事 の63頁 2月節分の項目
(豆撒き)
○「豆撒き」は「鬼打ち豆」ともいって、炒り上げた豆を必ず一生桝に入れて、熱いうちに年男か男の子供が大声に「鬼は外、福はうち」と唱えながら、
上座敷から順次家中を撒きあるく。
○撒く時の様子は家によって多少の違いがある。「鬼は外」は外に向かって大声に、「福は内」は内に向かって小声にいう家、
「鬼は外、福は内、鬼の目へビチャリン(ブッツブセ)(パチリン)」と唱えて家の内外へ撒いてから少しずつ天井に投げつける家、
仮想行列をして下男迄がつきあるいて賑やかにやる家、又、一人が豆撒きをする後へ、一人が擂粉木を持ってつき歩き、
てくんてくんと上下に動かしながら「ごもっともごもっとも」と受答えて騒ぐ家などがある。
(母の里は諏訪市の隣の現在の茅野市(の中でも八ヶ岳のなだらかな麓のかなり上の方の地区)ですが、相方によると母が南柏や藤代の家に節分の頃に来たときは、
一緒に豆撒きをして、「鬼は外、福は内、鬼の目を ブッツブセ」と言って豆を撒いて、嫁と孫を喜ばしてくれたと今回思い出して教えてくれた。
「家によって多少の違いがある」という通りですね。
残念ながら、辛好は出張で不在か、東京にいてもその時間には麻雀か酒で家には帰らなかったのでそのことを知らなかった。)
2。旭ガラス月刊PR誌「GLASS & ARCHITECTURE」の記事
「連載 ■コミュニテイセンターとその周辺(13)<小和田>」
昭和46年8月5日発行 著者 本多昭一 発行 旭ガラス(株)
16頁~26頁
この小和田地区で400年以上住民に維持されてきた共同浴場(自泉噴の温泉を利用)をコミュニテイセンターとして捉え、レポートしたこの記事は、
お上と関係なく住民が地域を自治的に運営した多くの庶民の歴史の一つとして面白いので次回報告します。
中で一つだけこの記事を読んで記憶違いの訂正;22頁の記載
「新信濃風土記」という本によれば、天正19年(1591年)に、豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉が、(諏訪)湖中の高島の漁村50戸を小和田に
移して、高島城を築いたということですが、この「移した」というのが重大事件だったろうということは容易に想像できます。
・・・中略・・・・高島村の人たちは、湖の中の島(現在の高島城のあたり、現在は陸続きですが、昔は湖が大きかった)に住んで、湖で漁をしたり、田んぼ
(現在の小和田田んぼあたり)で稲作をしていたわけですが、日根野氏が「城をつくりたいので立ち退いてくれ」というので、話し合いで、
住居地として現在の小和田の土地をもらうとともに、特権として諏訪湖全体の漁業権を得たということです。・・・後略・・
辛好は「諏訪氏が高嶋城を築城するとき・・」と思っていましたが、このころ諏訪は甲斐の武田信玄軍団に長く占領、
統治されたあと秀吉軍の支配下にあったようで、諏訪神社の祭神の末裔と称する諏訪氏は衰えていたようです。
ただ徳川の時代になってから旧領地に復し、明治維新までお殿様でしたが。
親族の中で我が両親(とその息子たち)だけが関西以西で暮らしたため、ルーツにうとく、いまさらながらルーツの地を学習する辛好。
#10イノシシ遭遇と鹿刺し ’02/09/29
*電車の駅から家までの間は15分ほどですが、近道をすると大きな墓地の横を通ります。
昨日、長女が午後2時頃このルートでひさしぶりに帰宅したとき、墓地の横の道の中ほどで
中型犬ほどの大きさのイノシシに出会ったそうです。
イノシシは普段は昼間は出歩かないのに、お彼岸でお墓に供物があるのを知っていて
それを食べにウロウロしていたようです。
何とかやり過ごして、無事にすりぬけたそうです。
神戸市ではつい最近「イノシシ条例」が出来て、餌をやると罰金ということになったせいか
最近はあまり出会わなくなっていたのですが。
神戸の街 野生イノシシうろうろ
2年ほど前、次女が夜、帰宅して家の呼び鈴を押したので勝手口へ出たら、
柵の向こうで押し殺したような声が「今、ワタシのすぐ後ろに大きなイノシシがいる」と言います。
ガレージの隙間から子牛くらいの大きさのものが見えた時はぞっとしました。
車のライトが下から上がってきて、イノシシが離れたので戸を開けて彼女を中へ入れ
何事もなくすみました。
絵や写真では子供の「ウリンボウ」は可愛いのですが、親の実物と遭遇するとやはり
野獣だけに一瞬身体がすくみます。
*今日朝刊のチラシを見ていたら、その一枚から「イノシシ肉」の文字が目に飛び込んできました。
それは輸入食料品卸の会社が、土曜、日曜だけ倉庫で一般小売販売するというチラシでした。
記載の地図を見ると、家から車で20分ほど浜側へ下りた物流工場団地の中でした。
物流会社や食品工場が多く操業しており「そごう」の配送センターや「ロックフィールド」の
神戸コロッケの工場もあり、かってK君と仕事で良く行った工場団地です。
よっし、イノシシの敵討ちだ、今晩は「牡丹鍋」でいこうということになって
その倉庫へ出かけました。
倉庫の一郭に冷凍ケースを並べて、タラバガニ、ズワイガニ、伊勢エビ、オマールエビ、
鮭荒巻/切り身各種、イクラ、キャビア、野ウサギ、イノシシ、鹿、馬肉、クジラ、カエル
エスカルゴなどなどが並んでいました。
本来はレストランなどが顧客の業務用の卸のようです。
段ボールを見るとRUSSIAの字があちこちに見えたので、ロシア製の輸入品が多いのだと思いました。
目的のイノシシ肉は一つの塊が大きすぎて断念し、結局のところ鹿刺しをメインにして、
本鴨スモーク黒胡椒、紅サケと昔ジャカルタで堪能したドリアンが「ドリアン果肉」(ドリアンの切り身)
になっていたのと、台湾で良く食べた「ライチー」など全て冷凍品を買ってかえりました。
鹿肉のサシミは、女3人組も平気だろうと思いましたが、とろりとしていて期待以上の味でみな大満足。
心配したドリアンも冷凍が適度に解けて匂いもまあまあだったせいか、おいしいおいしいと
大好評で「果物の女王」の初体験を喜んでくれました。
全部で3320円という価格だから一人当たり830円ということもあり、
下手なファミレスへ行くより正解ということになり、イノシシの敵討ちのことをすっかり忘れました。
馬肉も見たら霜降りの加減が何ともいえず次回はこれに決め、牡丹鍋を含めてこれからしばらく
なべ物のシーズンは土曜、日曜にここへ通いそうです。
行ったとさ